第25話 禁足地に入った娘
「榊さんもぼくも、結構気になってたんだよねー」
ぶるり、と身体を震わせたものの、翠は平静を装って尋ねる。
「なにを?」
「お姉さんのこと。尊が自分からぼくたちに女の人の話なんてするの初めてだし。このまま、うまくいくといいなって」
悠里は目を細めて柔らかく笑った。
「いや……、そういう関係にはならないと思う」
翠は苦笑する。
「ついこの前も、お互いに『結婚なんてしなくていいよね』って言いあったところだし」
そんな翠を見て、悠里は呆れかえった。
「尊ってほんとバカだからなー。今度ぼくと榊さんから説教しとこー」
けらけらと笑ったとき、出入り口付近で「いらっしゃいませ」という店員の声が聞こえてきた。
翠と悠里はそろって顔を向ける。
店員と何か話している40代の夫婦が見えた。たぶん、名田夫妻だろう。
驚いたことに、その後ろにはパジャマを着た少女が立っていた。
顔の半分が包帯で隠されているが、つやつやの長い髪といい、ほっそりとした体躯といいかなりの美少女だ。
(名田、愛花さんかな)
事故のショックが大きく、立ち会えないと聞いていたが。
翠が立ち上がるのと、店員が翠たちを手で示すのは同時だった。
名田夫妻は翠を認めると軽く会釈をし、背後にいるパジャマの少女を促して足早に近づいてきた。
「このたびはどうも、娘がご迷惑を」
テーブルに来るや否や、男性の方が深々と頭を下げ、遅れて女性も目を伏せる。その隣で少女は微動だにしない。
顔の右側は包帯で包まれ、目さえ見えない。
目は無事だ、と聞いていたが今は完全に
「今日は事情を伺いに来ただけですから」
翠が慌てて声をかけ、ウエイトレスに、もうひとつイスを持って来てくれるように頼んだ。ウエイトレスはにっこり笑って、近くの席からひとつ、イスを持参してくれる。
翠の向かいには男性が。悠里の向かいには少女が。そして、新たに持参されたイスには、女性が座った。
「私たちは先に注文を済ませました。あの、どうぞ」
声をかけると、男性が翠たちのグラスを一瞥し、ウエイトレスに「コーヒーを二つと、アイスティーを」と告げる。
「本日、石堂は所用で……。私はこういうものです」
翠は夫婦に一枚ずつ名刺を差し出した。
昨晩、石堂が急ごしらえで作ってくれた名刺だ。
そこには〝親愛コーポレーション〟という企業名と、〝非専任業務アドバイザー〟という意味の分からない肩書が書かれていた。
男性は型どおりに受け取り、女性は慣れない手つきで名刺を手に取る。その間パジャマの少女はうつむいたまま、微動だにしなかった。
「彼は、私のアシスタントです」
翠は悠里を示す。
「小説家の布士先生の助手をしております、水地と申します」
にっこりと悠里は笑う。
その屈託ない表情に女性は、つられて顔を緩ませたが、翠は目を丸くする。いきなり何を言い出すのだと思ったが、男性には有利に働いたらしい。
「作家先生ですか」
ははぁ、と感心するものだから、翠は慌てた。
「いえ、あの……。まだ駆け出しで……。石堂に使われる身です」
口早に、適当なことを言う。
だが男は鷹揚に頷き、それから神妙な顔になった。
「末松先生からすでにお聞きかと思いますが、名田愛花の父で、博と申します。こっちは、妻の由香里」
「このたびは、ご迷惑をかけました」
由香里は名刺を両手で持ったまま、また頭を下げる。
「そして、娘の愛花です」
博がパジャマの少女に視線を向けるが、彼女はやっぱりぴくりとも動かなかった。
「愛花」
由香里が、少女の薄い肩に触れる。
「いえ、あの……。大丈夫です。えっと」
本題を切り出そうとすると、ウエイトレスがコーヒーを運んできた。なんとなく口をつぐみ、翠は鞄から手帳を取り出す。
「率直にお伺いしますが、宇津川の中洲にある竹藪に入ったのは、お嬢さんですか?」
ウエイトレスが立ち去ったのち、翠は手帳に挟んでいた暗視カメラの写真を広げた。
博は名刺を仕舞い、写真をプリントアウトしたA4用紙を引き寄せた。
じっと夫婦で同じものを見、それから深いため息と同時に頷く。
「娘です。愛花に間違いありません」
「なぜここに入ったのか……。その、理由をお聞かせ願いませんか?」
翠が尋ねると、前のめりになったのは母親の由香里だった。
「私どもも、そのあたりのことを親愛コーポレーションさんにお聞きしたいのです。ここは、呪われているんですか?」
由香里が写真を指さした。
呪われている、という言葉に如実に反応したのは、愛花だ。
びくりと肩を震わせ、見る間に真っ青になる。
「呪われている……、とは」
どこで知りえたのだ、という言葉をかろうじて翠は飲み込む。
「それは、娘さんがおっしゃったのですか」
問い直すと、由香里は翠の名刺を握りしめたまま頷いた。
「娘がネットで調べたらしくて……」
「ネットですか」
翠は目を丸くする。
中洲を中心に事故が多く発生していることは、まだそんなに噂になっていないと思っていた。それがまさか、ネットに上がっているとは。
(あ……。でも待てよ。そういえば、副社長の弟さん……)
応接室で初めて会った時、『おれの知り合いの心霊系ユーチューバーが騒いでる』って言っていなかったか。
もしや、ネット上ではかなり有名な話なのだろうか。
ちらりと、悠里と目を見合わせる。
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