第26話 一願成就

「どういった内容でネットに上がってるのかな? そもそもなんで愛花ちゃんはそのソースにたどり着いたんだろうなぁ」


 悠里が首を傾げながら、人懐っこく愛花に尋ねる。

 だが彼女はやはり、小刻みに震えたまま何も発しない。


 悠里は気を悪くした風でもなく、ポケットからスマホを取り出した。

 大手の検索エンジンを立ち上げ、ワードを打ち込む準備をしながら愛花に尋ねる。


「なんて検索した? 単語とか教えてくれる? 〝都市伝説〟とかかな?」


 だが、愛花は押し黙ったままだ。

 無言に耐え切れなかったのは父である博だった。


「最初はおまじないをネットで探していたようです。『勝てる』『おまじない』みたいに。

 その……。娘は、剣道をしているのですが、どうしても勝ちたいお相手がいて……」


 意識しているのだろう。できるだけ博はゆっくり話す。翠は相槌を打った。


「決勝で対戦した選手ですか?」


「そうです。他団ただんの子でしたが、小学生の頃から優勝旗を奪い合ってきた仲でした。ですが、娘はこのところ負けてばかりで……。なんかこう、ジンクス的なものが欲しかったのかもしれません」


 博の言うことはわかる気がする。


 力が互角なのであれば、勝敗を決するのは時の運だ。

 その時の体調、心持ち、会場の雰囲気や、先輩後輩の声掛けなどが、いわゆる〝運〟を作り上げる。


 と、今の翠なら思う。


 だけど、自分が小学生や中学生の頃は、やっぱり、ここ一番の勝負となると、良く知らない神様にお願いしてみたり、おまじない的なことをしていた気がする。


 なにかにすがりたいのだ。

 自分以外の。


「いろんなことを検索していった結果、関連ワードで〝一願成就〟が出てきたそうで……」


「一願成就」

 翠が呟くと、悠里が小声で教えてくれた。


「一生に一度だけの願いをかなえてくれるモノのことだよ」

「それが、あのやしろに?」


 つい訝った声が出る。


「やっぱり社があるんですか、あの中洲」

 由香里が勢い込む。その隣で、愛花がさらに身を小さくした。


「はた目には全く分からないから……。そんなものが、本当にあるなんて」


 ため息を漏らし、由香里は両手で顔を覆った。博はいたわる目で妻を見たのち、翠と悠里に言った。


「願いをかなえてくれる場所がある、と書かれていたそうで……。はっきりと地名があったわけじゃないそうなんですが、状況的に考えて八川町の宇津川だろう、と掲示板では推測されていたそうです。ただ良くある話ですが」


 博は一旦言葉を区切り、苦々し気に言う。


「願いと引き換えに、二番目に大事なものを貰う、と。それが覚悟の上であるならば、ぜひ行ってみろ、と書いてあって……」


「二番目に、大事なものですか?」

 なんとなく戸惑う。


 二番目。


「結果的に、娘の顔には一生残る傷が……」

 博も由香里も、痛まし気に娘の包帯で覆われた顔を見た。


 愛花が一番に望み、大事にしたいことはきっと「相手ライバルに勝つこと」。


 そして、両親や教員たちの様子を見る限り、彼女が二番目に大事にしていたのは〝美貌〟ということだろうか。


 翠は、ふたたび視線だけ隣に移動させる。悠里がスマホでいろんな単語を打ち込んでいっていた。だが、今のところヒットはしないのだろう。何度も単語を変えたり、増やしたりしている。


「愛花さんは、夜中にこの中洲に入り、願い事をしたんですね?」


 翠はテーブルの上に広げられた写真を見た。

 隅の方に時刻表示がある。

 2:25。深夜だ。


「紙に願いを書いて、社の前に置くのだそうで……」


 あ、と思わず声を漏らす。

 石堂が見つけた紙片。あれのことだ。


「ん? でも、もうひとつ……」


 そう、紙片は2つあった。


 一願成就の社だ。

 名田愛花がふたつ願いを書いたことは考えにくい。


(あ……。あの、小太りの男の人)

 モーションカメラには、もうひとり男性が映っていた。彼が書いたのだろうか。


「あなた、社に行ったの?」


 低い声に、翠は視線を向ける。


 愛花だった。

 真白な包帯に顔の半分を覆われているが、ただひとつの目が爛々とした光を湛えている。


「あんた、行ったのね? じゃなきゃ、あそこにもうひとつ紙が置いてあったことなんてわからないもの」


 尋ねられるというよりも、確認の色を帯びている。翠は小さく頷いた。


「ええ。社の前には、紙を四つに折ったものが、ふたつ……」

「それでどうだったの‼ が来た⁉」


 立ち上がり、テーブル越しにつかみかかろうと、愛花が腕を伸ばす。

 茫然としていた翠を、背もたれへと押し付けたのは悠里だ。そのおかげで愛花の指は空を切る。


「あんたの所にも、あいつは来たの⁉」

「落ち着きなさい!」


 必死に博が娘を制御しようと抱きすくめる。


「あんたも私みたいな目に遭ったの⁉ なんなの! ここにはなにがいるの!」


 悲鳴を上げる。彼女が指さしているのは、テーブルの上に広げられた、自分の姿だ。ぼろり、と、片方の目から涙があふれた。


「私が望んでいたのはこんなことじゃない! 全然違う! どうして、どうして、どうして!」


 愛花は頭髪を掻きむしり、叫び続けた。


「愛花!」「落ち着いて!」


 大人ふたりが少女を抑え込もうとしているが、まるでできていない。身体をよじり、奇妙なダンスを踊るように愛花はうねり、制止の腕から逃れ出て翠を拘束しようとする。つかみかかろうとする。


「誰か、先生を呼んでください!」


 由香里が叫ぶ。

 その間、博が必死に娘を抱きすくめていた。


「あっちゃあー……。行こう、お姉さん」


 肩をぽんと叩かれ、翠は悲鳴を上げた。

 我に返り、隣を見ると気の毒そうな悠里の顔がある。


「まだ、この子に話を聞くのは早かったんだと思うよ。一旦、退席しよっか」

 促され、翠は這う這うの体で名田夫婦の前を辞した。


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