第18話 動かないパソコン
数時間後。
翠はベッドに座ったまま、石堂を見た。
「壊れてなさそうですか?」
彼は床に直置きしたマットレスの上に胡座し、スマホの液晶を見ている。
USBケーブルにつながれているのは、コンパクトカメラだ。
ノートパソコンは彼の隣で、ぱかりと口を開いているが、画面は暗転したまま。何も映していない。
「いけ……そうですね。よかった。SDカードに破損はなかったようです」
顔をほころばせ、石堂は顔を上げた。
「もともと、ノーパソのほうに写真を保存して……。それを送信したので、大丈夫かとおもっていたんですが……。挿しっぱなしでしたからね」
相変わらず眼鏡をかけたままだ。ひょっとして日中はコンタクトなのかもしれない。
服装はというと、ジャージにTシャツ姿だった。そうやって笑い、乾いて若干ぼさぼさになった髪をかき上げる姿は、いつもより幼く見える。
(……なんか、私もまた幼く見えてるのかな)
ふと不安になる。
翠とて、石堂と大差ない格好だ。
着古したジャージのハーフパンツに、これまた襟ぐりが伸びるぎりぎりのTシャツ。完全に〝寝る〟ことを前提にした服装だった。
「これを、長良に送れば……」
両手でスマホを持ち、石堂は真剣な表情で操作している。
というのも。
落雷の影響なのか。
それともガラス扉の向こうから覗き込んでいた異形のせいなのか。
石堂のノートパソコンが、まったく反応しない。
立ち上げようとするのだが、うんともすんとも言わない。
仕方なくスマホで長良に電話をし、SDカードの画像を確認してくれと石堂が伝えたのだが、「送られていない」と長良が言う。
雷が鳴る前に送信したはずだと石堂が言い、ある程度の時間帯を伝えたのだが、それでもメールボックスに入っていないという。
SDカードの状態を確認しようにもノートパソコンは起動しない。
石堂はそこで一旦諦め、通話を切った。
そして、現在に至る。
「まさか、デジカメからスマホに写真が送れるとは思いませんでした」
翠は、やけにふわふわと頼りない枕を胸の前で抱え、石堂を見る。
「ケーブルでつなげばいけますよ。……さて、これで長良に送れているのか……」
送信したのかもしれない。ふう、と石堂は息を吐いてスマホをマットレスの上に放り出し、後ろ手について翠を見上げた。
「というか、本当に夕ご飯食べなくて大丈夫ですか?」
心配げに尋ねられ、翠は苦笑した。
「普段も夕飯はあんまり食べないので……」
ほぼ、酒を飲んでおしまいだ。
つまみ程度にナッツをかみ砕く程度で、あとは眠くなれば布団にもぐりこんで寝てしまう。
異様な雷鳴を伴った夕立が終わり、石堂からは夕飯をどうするかと尋ねられた。
気分転換にどこか食べに出ようか、と。
だが、そもそも食欲などない。
というか、この男。怪異に慣れているのかもしれないが、ここまで気持ちがきり変えられるものなのだろうか。
だんだん、石堂自身も得体が知れなくなってくる。彼さえ未知の者のようだ。
『私は……。なにか飲み物があればそれで』
そう答えて、そそくさと炭酸水を数本もらって二階の寝室に戻った。
だが。
風で窓が鳴ったり、柱が屋鳴りで軋むたびに怖くて仕方がない。
慌てて持ち込んだノートパソコンを立ち上げ、心が浮き立ちそうなYouTubeを検索して視聴しようとするのだが。
すぐに動画が停止して、なにも見られなくなってしまう。
普段の翠なら多分、「Wi-Fiの状態が悪いのかな」と思うのだろうが。
形を持たない、なんらかの異形のせいに思えて仕方ない。
数時間ほど悩んだ結果、翠は意を決し、一階に向かう。
目に見えない恐ろしい者より、目に見える得体のしれない者の方がまだました。
適当に夕飯を済ませ、食器を洗っていた石堂を捕まえ、翠は提案したのだ。
『お願いです。一緒に寝てください』と。
「石堂さんこそ、ちゃんとご飯食べたんですか?」
キッチンで見かけた彼は、鍋やフライパン、食器を洗っているように見えたが、食材等はあったのだろうか。
「外に行けないこともあるかと思って、冷蔵庫はいっぱいにしていたんです。雷で停電が起こらなくてよかった」
「自炊、されるんですね」
ちょっと驚く。
「よかったらまた料理を食べてください。自分で作って、自分で消費するのは結構むなしいので」
「それ、わかります」
翠が笑ったとき、低い機械音が室内を漂う。
ふたりして、同じ動きでマットレスの上のノートパソコンを見た。
画面上には、見慣れたロゴが浮かび上がっている。
「復帰しましたか?」
勢い込んで尋ねるが、石堂は顔をしかめた。
「まだわからないですね。ちょっと様子を見た方が……。ただ、これで内部のファイルが無事なら、ちょっと仕事ができる。……あ」
胡座したまま、背中を丸めるようにしてノートパソコンの画面を凝視していた石堂だが、不意に身体を伸ばしてベッドの上の翠を見た。
「落ち着いた、と思ったら声かけてください。寝室を出ますので」
「そんな気持ちにはなれません。この家にいる限り」
翠は断言する。
もう何度もこの話を繰り返しているが、翠は譲らない。
石堂は『逆にこの家は大丈夫』『絶対侵入されないから』と言うが〝なにかが入ってこよう〟としているこの状態が嫌だ。
なにより、翠はこの家の中にいる見知らぬ男を見たのだ。
ひとりでなど過ごせるものか。
一緒にいてくれないのなら契約は解除だと訴え続け、仕方なく翠の寝室に石堂がマットレスと枕だけ持ち込んでやってきたのだ。
「あなたとここで生活するにあたり、せっかく居住空間を一階と二階にわけたのに」
石堂は口をへの字に曲げる。
「男とふたり同室で過ごすなんて、変な噂が立っても知りませんよ」
「立ったところで」
翠は苦笑いする。
「結婚などは考えておられないのですか? あるいは考えている男性とか」
石堂は投げ出したスマホからケーブルを抜き、くるくるとまとめながら尋ねる。
「ないですね。結婚には興味ない」
翠は後ろを確認した。ベッドは壁に寄せられている。枕を抱えてもたれると、石堂が自分を見ていた。
「不思議ですね。わたしの周囲にいる、あなたぐらいの年齢の方は目の色を変えてわたしに近づいてきます。結婚を前提におつきあいしてほしい、と。そりゃあもう肉食動物のように」
眼鏡越しに見える、きょとんとした顔に翠は吹き出した。
「なんだ。私に襲われると思って、居住空間を別にしたんですか」
わざわざ二階にも浴室やトイレがある物件を探してくれたのは、自分の身の安全のためらしい。
「まあ、それもありました」
「あるんですか」
笑いながらつっこむと、石堂はコンパクトカメラとケーブルを、床に置いたワンショルダーバックの中にしまう。
「一般人から見ればうちは大企業に見えるのでしょう。なので、わたしの妻という座はある意味ステイタスなのかもしれませんが」
石堂は肩を竦め、バッグをまた床の上に置く。
「いつ死ぬかわからないのに、妻を娶る余裕なんてない。わたしも結婚に興味はないのです」
そう言ってから、ふと小首を傾げた。
「布士さんは、どうして結婚に興味が無いのですか?」
「私ですか?」
話を振られ、戸惑った。
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