第14話 がさがさがさがさ

 翠は慎重にやしろに近づく。


 小さな、本当に小さな社だ。

 いや、これはほこらではないのか。


 翠の目の高さのあたりが、屋根の頂点だ。

 やけに奥に長い。

 翠が養蜂箱っぽいと思ったのも、その横長のせいかもしれない。


「これ……、どっちが正面なんでしょう?」

 翠は足を止め、全体像を視界にとらえる。


 屋根には、千木ちぎと思しき、棒状のものが×のような形で刺されている。前後、両方だ。


「社である限りは、扉的なものがあると思います。そこを開けて、ご神体しんたいを移動させましょう」


 石堂が翠から離れ、社に近づいた。

 さくさくさくさく、と葉を踏みしめて石堂は社の周囲を歩く。


「ああ、こっちです。扉と……。なんでしょうか、これ。紙が……」


 どうやら、下流の方が正面だったらしい。石堂が足を止めて声を上げたが、語尾は訝し気に濁る。


 翠は足を速めて石堂に近づいた。


「あ。本当だ。扉がある」


 素地が分からないほど変色した両開きの扉がついていた。

 ぴたり、と閉じられている。


 ご丁寧に閂が取り付けられており、金具が錆びて枯葉と同じ色をしていた。


「それ、なんです?」


 その扉に相対するように石堂は立ち、手に紙を持っていた。


 彼の摘まむ紙だけがやけに新しい。薄暗く、ともすれば闇に飲まれそうな周囲の中で、蛍光に近い光にさえ見えた。


「わかりません。社の前に置かれていました。その、式台しきだいみたいなところに」


 石堂が指さす。

 確かに。

 扉の前には古民家にある式台に似た板が渡されていた。


「ノート、かな。ルーズリーフ?」


 石堂が手に持っている紙は四つに折られていた。翠は目を凝らす。なんだか、中高生が授業中に回すメモのようだ。


「こっちはコピー用紙のようですね」


 折りたたんだ紙は二つあったようだ。

 石堂は翠に見えやすいように差し出してくれた。


 なるほど。

 ひとつはルーズリーフで、もうひとつは、コピー用紙を乱雑に千切って折りたたんだようなものだ。


「工事にまつわるなにかですか?」


 尋ねると、石堂は無言で首を横に振る。わからない、ということだろう。


「とりあえず、一旦持ち帰りましょう」


 言ってから、石堂はまたワンショルダーを胸側に回す。

 外側についているポケットに紙片を押し込む。


 そのとき翠の鼓膜は、音を拾った。


 ぽきり、と、小枝が折れたような軽い音。


 続いて。

 ころり、と。


 小さな実が転がったような音。


 翠は音の方に顔を向ける。


 がさがさがさ

 がさがさがさ

 がさがさ

 がさ



 音が、続く。


「……葉音はおと……?」


 呟き、目を凝らした。

 位置的には社の真向かいだ。


 竹が幾重にも重なって立ち、枝をよじらせ、葉を落とし。


 闇を。

 深めている。


 見えない。

 奥が。

 見えない。


「違います。竹は揺れてない。これは風じゃない」


 石堂が否定する。

 翠は息を飲んだ。


 そうだ。

 竹自体は揺れていない。かつ、空気が動いていない。


 風に揺れ、葉がこすれ合う音ではない。



 がさがさがさ

 がさがさがさ

 がさがさ

 がさ



 ではこれは……。


「足音……?」

 気づけば石堂にぴたりと寄り添い、彼の手を握っていた。



 がさがさがさ

 がさがさがさ

 がさがさ

 がさ



 音は徐々に近づき。

 そして。



 がさり。



 踏みしめるような音をひとつ残して、止まる。


「………なに? これ、なんの足音?」


 石堂を見上げる。声が震えた。

 物音はしないのに。

 不思議と見られている感覚がある。


 闇の向こうから。

 じっと、こちらの様子を窺っている。

 が。


「ど、動物……、でしょうか。副社長」

 闇に目を凝らしたまま何も言わない石堂に、重ねて問うた。


 途端にまた。



 がさ

 がさ 

 がさ

 がさ



 物音がした。


 さっきまでは近づいてきていただけなのに。


 今これは。


 慎重に。

 見極めるように。


 翠と石堂の周囲を。

 周回している。


「う……、動き回って……」


 翠は身を竦める。

 この足音は移動している。


 自分たちを満遍なく見ようと、円を描くように動いている。


「四つ足にしては、音が変です。獣じゃない」

 石堂が静かに答える。



 がさ

 がさ

 がさ

 がさ



 彼が言うように、確かに二足で体重を支えている音だ。


 ふ、と。

 すぐ真後ろから生温かい呼気が首筋を撫で、翠は「いやああ‼ なに⁉ 誰‼」と悲鳴を上げる。


「帰ります!」


 同時に石堂が声を張った。

 しっかりと翠の手を握ったまま、周囲に首を巡らせる。


「帰ります。ここを出ます!」

 大声でそう告げる。



 がさり



 それは。

 ふたたび足を止めた。


「布士の者と訪問したが、これで帰ります」

 最後に足音が聞こえた方向に向かって、ゆっくりと石堂は言った。


「なにもしない。布士の者と一緒に帰ります」

 石堂は言うと、潔いほどに背を向けた。


「え……、ど……、どう……」


 どうすればいいのか、と問おうとした翠に石堂は顔を近づけ、小声で告げる。


「振り返らないで、絶対に。ゆっくりと戻ります。川を渡って土手に。そして車に乗り込みます」


 翠はがくがくと首を縦に振り、力いっぱい石堂の手を握ったまま、元来た道を歩き始める。


 その後ろから。



 ざくざくざく

 ざくざくざく



 足音が響いて来る。

 葉を踏みしめて、何かがついて来る。


「ふ……、ふくしゃちょ……」

「振り返らない。絶対に」


 こわい、という声だけはかろうじて堪える。

 ただ、気づけば、きつく目をつむって歩いていた。首と肩がくっつくんじゃないかと思うほどに上半身を縮める。


「風が吹く、風が吹く、風が吹く」


 翠は、昔伯母から聞いたおまじないを、必死で唱えた。

 今の今まで忘れていた言葉。


 怖いものがいる、と泣く翠に『風が吹く、と言いなさい』。そう教えてくれた伯母。


「風が吹く、風が……っ。あっ」


 目を閉じたまま走っていたせいで、躓いた。だが、石堂がしっかりと支えてくれたおかげで、無様に転倒するということはない。


 必死に脚を動かし続ける。

 不意に、ふわりと内臓が浮く感じがした。


 は、と目を開く。

 途端に陽が目を刺した。


 ざぶん、と長靴が川の水に踏み出す。


「はぶ……っ」


 自分が立てたしぶきが顔を盛大に濡らし、犬のように首を横に振った。

 気づけば中洲を抜け、川に落ちていた。


 茫然と立ち尽くす翠は、反射的に振り返ろうとする。


「ダメだ」

 石堂の低い声で動きを止める。


 そんな翠を石堂は、強引に歩かせた。

 川の水を蹴りながら石堂は歩き、その手に引っ張られるようにして。


 気づけば翠は泣きながら土手に向かって小走りになっていた。

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