第10話 踏切の音

「あ」

 どうしよう、いつ声をかけようと思っていたら、石堂も翠に気づいたようだ。


 片手をあげ、ここだとばかりに合図してくれる。

 いや知っている、わかっていると、顔を伏せながら足早に近づいた。がらがらとスーツケースが鳴るから、慌てて翠は若干浮かせた。タクシー運転手と女子高生の視線が痛い。そりゃそうだ、と翠はうんざりした。あんな美青年と、こんな貧乏な格好をした女がどんな関係なのか不思議に思うのは当然だろう。


「時間通りでしたね。お疲れ様です」


 近づいてきた石堂が翠をねぎらい、ついでにスーツケースを持ってくれるから恐縮する。


「いえ、あの……。こちらこそ、交通費まで出していただいて……」


 ああ、それ自分で持ちます、と続けるのに石堂はスーツケースを受け取って、車のハッチを開けた。


「本来であれば、わたしか長良が同行してここまで来ていただくのが筋なのですが……。どうしても外せない件がありまして」


「いやもう、ほんと、私なんて放っておいてください」


 口をついて出てしまう。

 集合場所と時間が決まり、翠が移動手段を検索していたら、新幹線のチケットは郵送されてくるし、宿泊場所まで用意した、と連絡がきた。


 しかも、家を出た瞬間から賃金が発生している。

 自分は本当に役に立つのかどうかわからないのに、至れり尽くせりだ。


「ここから宇津うづ川までは車でしか移動できないものですから……。どうぞ、乗ってください」


 ハッチを閉め、石堂が助手席を指さす。

 おずおずと移動していると、女子高生たちがやっぱり興味深げに翠を見ていて、慌てて車に乗り込んだ。


「お邪魔します。よろしくお願いします」

 シートに座り、運転席にいる石堂にぺこりと頭を下げると、くすりと笑われた。


「こちらこそ、お願いします」


 シートベルトしてくださいね、と促され、慌てて締める。

 車はするり、とアスファルトの上を滑り出した。


 信号もなければ住宅も店舗もない道を、車は走る。遠くから踏切が鳴る音が響いてきた。


「うわ……。結構響くんですね」

 耳を両手で塞いで翠が言う。


「なにがですか?」

 不思議そうな石堂の言葉に、目を丸くする。


「踏切の音です。更地になってるからかな……。すごい音量……」


 だが、石堂は「そうですね」とは言わなかった。

 ほんの少し眉根を寄せてから、表情を取り繕って話を続ける。


「平地が続きますから、そのせいでしょう。この辺もだいぶん変わったのでは?」

 窓の風景を一瞥し、石堂が言う。


「そうですね。このあたり、家が密集していた気がします。美容室とか自転車屋さんとか……。スーパーなんてどこに行っちゃったんだろう」


 広がるのは砂利敷きの土地だ。

 橋脚っぽいコンクリが見え、いったいどんな風に開発がなされていくのか翠には皆目見当がつかない。


「もう少し進むと、住宅街が広がりますよ」

「そうですか」

 頷き、流れていく景色を見るとはなしに眺める。


「随分この前と雰囲気が違うんですね」

「え?」


 ちょうど、道沿いに家が並び始めた頃だ。翠もよく利用する百円ショップの郊外店を見つけ、いつの間にこんなものが、と驚いていたらそんなことを言われた。


「応接室でお会いした時と、なんだか違うので」

 石堂が瞳だけ動かす。


「ああ。これラフ過ぎました?」

 苦笑いし、Tシャツの前部分を引っ張る。


「スーツを脱いでくればよかった」

 石堂が顔をしかめた。


「仕事場から直接来たもので……。しまった、着替えればよかったな」


 眉根を寄せて悔やんでいるから、なんだか申し訳ない。動きやすい格好と書いてあったのでこんな服装にしてしまったが、もっと違う服装をすればよかったと、翠は恥じ入る。


「こちらこそ、もっと年相応の恰好をすれば……」

「未成年者を連れまわしている、いかがわしいおっさんに見られたらどうしよう」


 言葉を遮り、石堂がそんなことを言う。


 翠はぽかんと口を開いて、運転席の石堂を見た。

 黒い瞳がすい、と動き、口がへの字に曲がる。


「警察に声掛けされたら、身分証を提示してください。わたしが捕まりそうです」

 真面目な顔でそんなことを言うから、翠は大声で笑った。


「さすがにそれはないでしょう」

「いや、ある。なんかものすごく幼く見えますよ、今日の布士さん」


 断言され、ひとしきり翠は笑ったあと、肩を竦めた。


「それを言うなら、私の方が副社長に釣り合ってませんよ。あきらか、女子高生が訝し気でしたからね」

「女子高生?」


 赤信号で車は停車する。

 気づけば二車線の大きな交差点まで移動していた。道沿いには理髪店やコンビニ、チェーン店のスーパーなどが並び、なかなかの賑わいを見せている。


「駐輪場のところにいたでしょう? 熱視線送られてましたよ」

「そうですか?」


 石堂はまったく関心がないようだ。


「その世代にウケても、うちの土地を買ってくれませんからね」

 そんなことを言うから、翠はさらに声を立てて笑った。


「お仕事の方は大丈夫ですか?」

 信号が変わり、石堂は静かにまた車を前進させる。


「ええ。昨日、第一稿をメール送信しましたから。しばらく連絡待ちです」

「おや。フリーランスと伺っていましたが、作家さんですか」


 石堂が眉を跳ね上げるから、翠は曖昧に笑った。


「そんな大層たいそうなものじゃ……」

「じゃあ、近々また本を上梓じょうしなさるんですか?」


「じょ……、上梓というか……。えっと……、そうですね。まだだいぶん先ですが」

 しどろもどろになって答える。


「どういう分野の本なんです?」

「そりゃもう……。副社長が読まないような本です」


「わたし?」

 意外そうに石堂が言うから、翠は笑った。


「女の子向けのラノベです。あの駐輪場にいたような世代の子たちが読んで……、元気になるような話が書きたくて、頑張っていますが……。うまくいきません」


「ラノベって、スケジュール的に忙しいイメージがありますね。次々巻数が出ませんか?」


「そりゃあ、売れてる先生方はそうなんでしょうが……。私は全然。どんどん後回しにされているほうなので……。なんか、休符の多いカスタネット奏者って気分です」


「休符の多いカスタネット奏者?」


 オウム返しされたので、翠は頬を掻いた。


「たぶん、編集さんの手が空いた時に私に連絡が来るので……。

 昨日原稿を送りましたが、ここから二か月以上〝休符〟がつくんです。で、その後、編集さんの手が空いたら、無茶ぶりなみの短いスパンで改稿がはじまるから、カスタネットを急いで、かかかかかかか、って叩いて……。

 で、第二稿を送ったら、また長い休符。それの繰り返しなんです。ほぼほぼ、休符の楽譜を持たされたカスタネット奏者です」


 途端に、運転席から爆ぜるような笑い声が聞こえて来た。


「な、なるほど……。それで、か……、カスタネット奏者……」


 安全運転を心がけてくれているのだろう。なんとか笑いを堪えようとしているが、肩が小刻みに震え、結局「失礼」と断りをいれて、爆笑した。


「面白いことをおっしゃる」

「いや、真実です」

 苦笑いで応じると、ふふ、とまた石堂が吹き出した。

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