第9話 浮橋郡八川町
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十日後。
石堂の指示通りに、新幹線から在来線に乗り変え、
(えー……。思っているより過疎化が進んでいるのかな)
翠の記憶ではもっと賑わっていた。
改札を抜けるだけでも混雑をし、ホームには制服を着た学生や家族連れが列をなしていた気がするのだが。
平日というのを考慮しても、人がいない。
現にスーツケースをがらがら引いて歩いてるのは翠だけだ。
翠が住んでいた八川町の町名は知らなくても〝浮橋駅〟と言えば誰もが「始発と終点がある駅」と言われたほどだった。
(町行政がやっきになるのもわかるなぁ)
切符を自動改札機に滑り込ませて出たものの、コンコースにはなにもない。少し離れたところに、有名なコンビニが提携している売店があるが、それも閑古鳥だ。そもそも売り子も見えない。ひょっとしたら無人化しているのかも、と思いながら翠はスーツケースを引きずってエレベーターに向かう。
これも、翠が居た頃にはなかったものだ。
駅舎は灰色にくすんだコンクリート打ちなのに、後付けのせいかエレベーターだけは近代的でガラス張りだ。
無人駅ほどエレベーターの設置が早いのだ、と聞いたことがある。
車いすユーザーや身体に障害を持つ人を介助する駅員がいないからだ。
「どうぞご自由にお使いください」「その代わりと言っては何ですが人はいません」と言われたようで、これはこれで物悲しい。
翠がボタンを押そうとした刹那、スマホが着信音を鳴らす。
石堂からだろうか。彼とはここで待ち合わせをしている。
翠は鞄から取り出し、スマホを見る。パネルに表示されているのは、
「もしもし? ご無沙汰しております。翠です」
通話ボタンをタップし、耳に当てた。
「まあ、久しぶり。元気だった? 連絡もらったみたいだけど……。どうしたの」
穏やかな伯母の声は変わらない。
話をするのは翠が大学卒業をしたころだろうか。卒業祝いを頂戴し、直接お礼を伝えたのが最後だと思う。翠の結婚が破談になったことは、母を通じてしかやり取りしていない。
「いきなりごめんなさい。お母さんから、伯母さんの連絡先を聞いて……」
新幹線に乗る前に一度電話をしたのだが、留守電になったので折り返し連絡が欲しい、とメッセージを吹き込んでいたのだ。
「それはいいのだけど。なあに? 伯母さんが役に立てそうなことなの?」
優し気な声。伯母夫婦には子どもがおらず、かわいがってもらっていた。
小学生の頃は、自宅に戻る前に必ず伯母の家に行き、伯母の訪問者たちと一緒にお菓子を食べて帰ったものだった。
翠の結婚がダメになったことも、その理由も知っているだろうに、余計な連絡も無用な慰めの言葉も送りつけてはこなかった。今だって多分、聞きたいだろうに言わないでいてくれる。
基本的に伯母は翠に甘いのだ。
「あのね、
「布士家?」
きょとんとした声がスマホから流れる。
「お母さんにいろいろ聞いてみたんだけど、そういったことは知らない、って言われて……。今ね、
スマホ越しに緊張が伝わって来る。翠は
「あれって、布士家がかかわっているの? なんか、禁足地らしくて」
途端にスマホから金属を引っ掻いたような音が聞こえてきて、翠は反射的にスマホを離す。
「え。なに」
気づけば、通話は切れていた。
慌てて画面をなぞり、リダイヤルをする。
呼び出し音が聞こえて来たので、耳につけるが伯母が出ることはない。
そのまま、留守番電話の応答アナウンスが流れてくる。翠は迷った末に「また連絡します」とだけ吹き込んで、通話を切った。
(電波、悪いのかな……)
首を傾げ、スマホをバッグに仕舞う。
エレベーターのスイッチを押した。
陽の光を充満させて登場したのは、足元以外全部ガラス張りの箱だ。
その表面に翠の姿が映し出される。
石堂からのメールには『中洲に同行してもらうので、動きやすい服装で』と記されていた。
エレベーターの扉に映る自分は、カーゴパンツにTシャツ姿だ。足元も履きなれたスニーカー。
数年前にばっさり切った髪は、もう一度ロングにしようと奮闘中で、ショートとボブの間ぐらいの長さだ。美容師は「もうちょっとの辛抱」というが、この長さが一番嫌いだ。手間がかかる上に、どうにもこうにも、幼く見えてしまう。
案の定、ラフな格好も相まって、なんだか貧乏大学生のようだ。
(まあ……、いいか)
石堂は自分の外見を目当てにしているわけじゃない。どうやら、布士のDNAが目的らしいのだから。
翠はエレベーターに乗り込み、1の階数ボタンを押す。
箱は滑らかに稼働し、降り始めた。
エレベーターから見える風景は、非常に殺風景だ。
ここも再開発地区なのかもしれない。
工事車両と灰色の砂利ばかりが広がり、時折取り残されたかのように住宅が点在していた。店舗と思しき古い家屋もでこぼこと見える。翠が覚えている景色とは全く違っていた。
エレベーターが音もなく1階に到着し、扉を開いた。
翠はスーツケースを引いて外に出る。
ロータリーの真正面だ。
数台のタクシーが停車していた。運転手は外に出て煙草をふかして会話をしている。
「結局昨日の酔っ払いはどうなったんだ。カネ、払ったのか?」
「払った払った。だけどあれだな。なんか最近こんな客ばっかりだな」
運転手が顔をしかめるのを見て、なんだか物騒だなと翠は眉根を寄せた。
駅の向かいには見覚えのある3階建てのビルがまだ健在だった。
1階は駐輪場になっていて、2階は旅行会社が。3階は大手の塾のロゴが壁面に入っている。
その駐輪場のところで、女子学生たちが一塊になって黄色い声で騒いでいた。
ほほえましいなぁ、と翠も唇をほころばせる。あの年代というのは、とにかく友人と何時間でも話ができたし、くだらないことで涙が出るほど笑っていたものだ。
なんとなく、女子学生たちの視線の先を追って。
ぎょっとした。
石堂だ。
初めて会った時に、男前だなぁとは思っていたが、
着ているものこそ値の張りそうなスーツだが、ロータリーに停車させているのは高級車でもなんでもない。ハッチバックのトヨタ車だ。なんなら〝親愛コーポレーション〟と車体にロゴまで入っている。
石堂はその社用車にもたれ、片手に持ったスマホに視線を落として画面操作をしているだけだ。それなのに、女子高生たちから熱い視線を送られていた。
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