第8話 弟の存在

「さっきも申し上げたように、石堂家の次男はわざわいに目をつけられぬよう、表舞台にほとんど出てきません。長男が矢面に立ち、泥をかぶる。弟は現在二十六、だったか。長良」


「そうですね。副社長よりよっつ下ですから」

 さっさと書類を片付ける彼は、いまだに無念そうな顔だ。


「大学を卒業していますが、家業の親愛コーポレーションに所属はしていません」

「別のお仕事をされているんですか」


 創業一族だからと言って、その会社に入らなければならない、というわけではないだろう。石堂は首を縦に振った。


「自分で作詞作曲した音楽をときどき、ネットで発表したりしています」

 なんとミュージシャンか。


「弟の生活費全般は、もちろん石堂が見ています。わたしが死んだあと、滞りなく役職に就けるような教育も受けているはずですが、そのあたりは父の仕事ですから、わたしは口をはさんではいません。ただ」


 ひょい、と石堂は肩を竦める。


「弟は一刻も早くこの地位に就きたいようです。そのためにわたしに早く死んでほしいらしい。

 以前はわたしがシャーマンに会ったりすることを極端に嫌い、邪魔をしていました。懇意にしている方には脅迫まがいのことをしていたのも知っています」


 ひょっとしたらそれは長良にとっても初耳だったのかもしれない。クリアケースに翠の書類を入れて手渡そうとしたものの、凍り付いている。


「そういった能力のある人の力を借り、わたしが元気になったら困るのでしょう」

「そんな……っ」


 ことはない、と長良が言い切ることはなかった。


「わたしは弟のことを何とも思いません。わたしが気にかけているのは、弟の長男だけだ。いや、今後生まれる石堂家の長男だけが気がかりだ。だが、弟はわたしが憎いらしい」


 話し続ける石堂に、なんと言えばいいのか翠にはわからない。

 きょうだいはいないし、母のことは疎ましいが、死を願うほどではない。


 しかし。

 彼の弟は、ずっとずっと「兄がいなくなればいいのに」と思い続けている。


 だとすれば。

 それが一番の呪いではないのか。

 彼の命をむしばむ願いごとではないか。


「今回、わたしについていろんなところに行ってもらいます。弟は、あなたの力について気づくかもしれない。そうすると危害を加えようと計画するかもしれない。だったら、わたしの恋人という立ち位置にすればどうでしょう。少しは変わってくるかもしれません」


「……長良さんはどう思いますか」

 翠は彼からクリアファイルを受け取りながら、話を向けた。


「……信じるかどうか、ですよね。嗣治つぐはるくんが」


 眉をハの字に下げて長良が答えたときだ。


 ノックもなしにいきなり扉が開いた。


「おっと。なに、兄貴だけじゃなかったの?」


 入室してきたのは、切込みの沢山はいったデニムに、なんとも色鮮やかなTシャツを着た若者だった。


「いま大事な話の最中です、嗣治くん」

 長良が立ち上がり、足早に若者に近づいた。


(つぐはる、ってことは……)


 彼が石堂の弟か、と翠は目を丸くする。

 まるで正反対だ。


「ごめんごめん。兄貴がここにいるって聞いたからさ」


 屈託なく笑う表情や、身に着けたアクセサリー。微動だにしないほどワックスで固めたニュアンスヘア。

 日焼けした顔に、筋肉質な体躯。対して、石堂は弟より長身だが、肉が薄い。

 二十六才といわれれば年相応に見えるし、むしろ石堂の三十才というほうが、落ち着きすぎているのかもしれない。


「とにかく、一旦退室してください」

 長良が背中を押して扉に進ませようとするが、くるりとその手から逃れ出た。


「すぐ終わるって。あのさ兄貴。別荘の鍵、貸して」

 そのまま石堂の傍まで歩み寄ると、無邪気に手を突き出してきた。


「父さんに許可は得たのか」

 冷淡とも思える声で石堂が応じる。


「ううん。だって、駄目って言うし」

 はは、と笑い、そこでようやく翠に気づいたようだ。


「あれ。こんにちはー」

 無邪気に笑いかけられ、翠はおっかなびっくり会釈をする。


「兄貴。このひと、誰。また新しい霊媒師かなんか?」


 真っ直ぐに目を見て問われ、翠は身体を強張らせた。

 正直にいえば霊媒師でもなんでもない。だが、疑うような訝るような彼の目が絡みついて不快だ。


「どこの別荘の鍵だ」


 石堂は立ち上がり、さっきの長良と同じように弟の背に手を添えた。


「用意してやるから、しばらく別室で待っていろ」

「彼女、仕事関係の人じゃないんでしょ? 書類とかないし」

「嗣治さん。部屋に案内しますから」


 長良が再度近づき、扉へと誘導する。


「なになに。ちょっと気になるな。長良さん。あとで教えてね。それでさ、別荘の鍵だけど、伊豆のが欲しいんだ」

「長良。鍵を出してやってくれ」

「かしこまりました。さ、嗣治さん」


 扉を開け、嗣治を促したのだが。


「兄貴、浮橋うきはしの件に関わるの?」


 扉の前で振り返った。

 そろえた様に、長良と石堂は動きを止める。


「すっごいヤバいところらしいじゃないか。おれの知ってる心霊系ユーチューバーが騒いでるよ。あれかな。兄貴の最期の場所かな。今度、紫苑しおんと見てこようかなぁ、気になるし」


 あはははは、と陽気な笑い声を立てる嗣治を見て、翠は呆気にとられる。


「ついでに動画とか上げればあれかな。バズったりするかな。ねえ」

 呼びかけられ、翠は反射的に背をのけぞらせた。


「君も一緒に来る? 兄貴に呼ばれた心霊関係者なんでしょ?」


「彼女にかまうな」

 嗣治の言葉を途中で断ち切り、石堂が低く唸る。


「えー、なんだよ、その反応。気になるな」

 くすぐったくなるような笑い声を立てて嗣治が腕を組む。


「まじで、兄貴とどんな関係よ。言ってよ、ねえ」


 嗣治の顔は笑っているのに、声には威嚇するような色が溢れている。翠は黙ったまま、ただ彼の顔を見返した。


「あとでお伝えしますから」

 なんとか長良が部屋から退出させようとする。だが。


「今、教えて!」

 横柄に長良に命じた。困惑した顔で長良はちらちらと石堂を見た。思わせぶりに石堂が首を動かす。


 それは、黙れ、とも、伝えろ、とも思える仕草で。

 翠にはお芝居のひとつのようにも見えた。


 だが、嗣治は気づけなかったようだ。興味深げに長良を急かせる。


「副社長の……、その」


 石堂の芝居を受け、長良は、顔を近づけて来る嗣治の耳になにごとか囁いたようだ。


「まじで‼ 兄貴の恋人‼ え⁉ ほんとに⁉ 童貞のまま死ぬのかと思ってたよ‼ なんだよ春が来たのかよ‼」


 げらげらと腹を抱えて笑う嗣治を連れて、長良は退室する。

 ぱたん、と扉が閉まる音が室内に響くが。

 そこからたっぷりと一分間、石堂は黙ったままだった。


 なんとなく翠も耳をそばだてる。

 嗣治が廊下に潜んで聞き耳を立てているような気がしたのだ。


「……なんとか」

 石堂が口を開く。


「気づかれずに済んだようですね。たぶん、弟はあなたの特異性に気づいていない。わたしの恋人だと信じているようです」


 翠はソファの背もたれにぐったりと凭れたまま、天井を仰いで「そうですね」と力なくこたえた。

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