第5話 石堂家の長男

「なぜ、布士ふし家が?」


 翠は盛大に顔をしかめて石堂に尋ねる。彼は興味無さげに、「さあ」と肩を竦めてみせた。


「そのあたりのことは、わたしには分かりかねることです。ただ、あなたがたの苗字を聞いたとき、ああ、なるほど、と思ったのは確かですね」


「ふし、ですか?」


「ええ、ふし、です。たぶん、『ふしゃ』『ふしゅく』あたりからきたのではないですか? それを短縮して漢字を当て『布士』を名乗っておられた」


「ふしゃ、ふしゅくってなんですか」

 訝しげな顔のまま問うたが、石堂は特に気を悪くするでもなかった。


「巫女の巫と者で、ふしゃ。同じく、巫女の巫と祝う、という字で、ふしゅくと呼びます。〝巫〟は、そもそも神に仕える者を指しますし、神意をおろす人でもある。ふしゃさん、ふしゅくさん、と地域で呼ばれ続け、それがのちのち、ふしさん、になったのかもしれません」


「なるほどねぇ」

 言いながら腕を組み、ついでに唸る。


「だけど、うち普通に浄土真宗西本願寺派ですけど」

 言った途端、ぷ、と小さく石堂は吹き出す。


 おや、と翠は思った。

 今まで愛想笑いすら浮かべなかったのに、たまらず笑った、という感じで。

 その表情が意外にもあどけない。


 それは長良も同じだったようだ。驚いたような顔を一瞬浮かべたが、翠の視線に気づいたのが、すぐに取り澄ました顔を作る。


「わたしの知り合いの巫覡ふげきですが……。日本の八百万の神々を下すのに、自身は浄土真宗なんです。伴侶がそうだったそうで……。不思議ですねぇ、こういうの」


 あなたもそうなのか、と口元を緩く握った拳で隠し、ひとしきり笑う。


「失礼しました。気を悪くなさったのなら、申し訳ない」


 こほり、と咳払いをして石堂が仕切り直す。翠は緩く首を横に振った。さっきよりもこの男に親近感が増した。


「この禁足地において、布士家の方々が我々の力になると思っています。どうか、お力をお貸しいただけないでしょうか」


「その……、何度も申し上げていますが、どうやら私は力になれないようです」

 翠は申し訳ない気持ちで伝える。


 母は、いい小遣い稼ぎだと言っていたが、なにもできないのにそんな報酬を受け取ることはできない。結果的に「無能者」とわかり、返還を申し出られても気まずい。


 そして、期待させるのも可哀そうだ、と翠は思った。

 想像以上に、この石堂尊という男は必死だった。

 ここは早々に切り上げるべきだ。


「私にはなんの知識も経験も、思い出もありませんから」

 立ち上がり、ソファの背中側に押し込んでいたバッグを手に掴む。


「母が安請け合いしたせいでお手数をおかけしました。このお話はなかったことにしてください」

 ぺこりと頭を下げ、再度顔を起こす。


 ばちり、と。

 音がしそうなほど、強烈な視線にぶつかった。

 石堂の真っ黒な瞳だ。


「大丈夫です。なにも難しいことはない」

 彼はわずかに目を細める。なんとなく獲物として狙われた気分だ。


「わたしとともに、この中洲に行っていただければいいのです」

 断言されたものの、翠は首を振った。


「だとしても、無理です」

「では、仕方ないですね」


 石堂は組んでいた足をほどき、足裏を床につける。そのままソファの背もたれから上半身を離し、身を乗り出した。反射的に翠は背を逸らせる。


 なんだか、いきなり間合いを詰められた感じがしたのだ。


「あなたが一緒に行ってくださらなければ、わたしは死ぬしかない」

「…………は?」


 死ぬ、とはどういうことだ。

 まじまじと石堂を見据えると、彼は口の端にわずかに笑みを湛えた。


「そのままの意味ですよ。おや、ご存じないですか。親愛コーポレーションの噂を」

「副社長」


 咎めるような声を長良が発したが、石堂は気にも留めなかった。


「なに。ググればなんでも出て来る。いまさら隠しても仕方ないだろう」

 石堂は、立ったままの翠に視線をくれた。


「今でこそ、親愛コーポレーションという名称で不動産を扱っていますが。その昔、われわれ石堂家が行っていたのは、金貸しでした」


 ずっとずっと昔のことです、と石堂は付け足す。


「カネが返せず、進退窮まった債権者の土地を奪い、われわれは今の地位を築き上げている。なんなら、あの土地が欲しいと目をつけてから慎重に所有者に近づき、返済できないのを知っていてカネを貸し、最終的に土地を奪った。そんなあくどいことをしていたためでしょう。呪いがかかってしまったようだ」


「のろい」

 翠は目を剥く。だが、石堂は相変わらず淡々としたものだ。


「業界内では有名な話です。親愛コーポレーションは、次男が継ぐ。長男は呪いを受けて死ぬからです」


「………え………、っと。では、副社長さんは、次男さん……」


 長男が社長だろうか。そう思って尋ねたというのに、あっさりと石堂は首を横に振った。


「長男はわたしです。次男は、さわりを受けぬように、長男が死んでから表舞台に出ます。なので、わたしの弟は、わたしが死んでから副社長の地位に就き、いずれ父の後を継いで取締役社長になるでしょう」


 まるで他人事のように石堂は語る。その隣では長良が険しい顔をしていた。


「石堂家の長男が死ぬというのは、あくまで迷信です。信じすぎるのはよくない」


 語気強い口調に、おや、と翠は目をまたたかせた。そこに情のようなものが含まれているような気がしたからだ。


「長良は、わたしの叔母と結婚しておりましてね。実は幼いころからよく知っているのです」


 補足説明でもするように石堂は翠に言い、それから端正な顔を長良に向けた。


「迷信ではない。何度も説明しているように、わたしは遠からず死ぬだろう」

 きっぱりと言い切ると、改めて翠に向き直る。


「わたしも、会社に入社するまでは迷信だ、俗信だと嗤っていました。確かに長男ばかりが死んではいるが、それを言うなら、三男や長女だって死んでいる。

 時代的に子どもは死にやすかっただけだ、ただの偶然だ、と思っていました。だが」


 石堂はそこで口を一度閉じ、視線を宙に彷徨わせる。なにか言葉を探しているようだ。


「ある特定の……、売買に問題が起こるような土地に関わると、身体におりのようなものが滞るような気がするようになりました」


「澱、ですか」

 繰り返すと、石堂は整った眉を寄せた。


「そうとしか表現ができない。へどろのようなものが身体の中に入って出ていかないのです。寝てもとれない疲れというか……。

 どろりとしたなにかがまとわりつくというか。ですが、その症状が出た後は、不思議なぐらいに契約がスムーズに進む。わたしが問題の土地に赴くことでなにもかもがうまくいく。いえ、わたしの手腕のせいではありません」


 ふ、と石堂は表情を緩めた。


「そして、倦怠感や体調不良は年々ひどくなり、精密検査を受けましたが結局何も異常はありません」

 石堂は、飄々と続ける。


「たぶんですが。買収した土地によっては、なにか穢れ的なものがあるのでしょう。わたしはそれを吸収し続けている。それが石堂家の長男に課せられた役目なのでしょう」


 石堂は笑った。


「とある異能者は、私を見て『スポンジみたい』と言いました。なにか、穢れ的なものを吸収しやすいらしい。わたしだけではない。代々の長男はそうした傾向を持つのかもしれません。そうして、土地を正常化させ、われわれは土地を売って利益を得てきた。それが呪いなのかどうかはわかりませんが」


 一瞬だけ遠い目をする。


「許容量をオーバーし、吸収できなくなれば死んで。そして、次にまた長男が生まれれば、その子が穢れを吸収してまた死ぬ。そうやって、結果的に石堂の家は永遠に潰れず、ただただ、長男だけが疲弊して死んでいく」


「尊くん」


 おもわずと言った風に長良が遮ったが、場に相応しくないと気づいたらしい。慌てて口を閉ざしたものの、心配げな視線を石堂に向けた。


「わたしだって、死にたいわけじゃない」


 口端にほんの少しだけ笑みを載せ、石堂は長良に声をかけた。長良は口を開き、なにか言おうとしたが、結局何も言わず黙る。だが、目元にはさっきとは違い、安堵の色が浮かんでいた。


「医療に頼ると同時に、様々な呪術師や霊媒師、異能者にも会いました。まあ、いんちきな人間の方が多かったが、それでも本物と呼ばれるひとにも会うことができた。いろんな方法を試してもみたが、あまり効果はない」


 石堂は、いまやすでに暗転してしまったテーブルの上のタブレットに視線を落とす。


「たぶん、この中洲の件がわたしの最後になるでしょう。わたしの身体は、この地の闇を吸収しきれない」


 ですが、と、石堂は顔を上げた。

 漆黒の瞳で翠を見据える。


「あきらめるわけにはいかなくなりました。どうやら弟が来年結婚するようなのです」

「……え……っと」


 脈絡が無いように思えて、翠は意味なく声を発したのだが。

 ふと、気づく。


「あ。子ども……」

 呟くと、石堂は大きく頷いた。


「わたしが死ぬと、弟が石堂を継ぐ。そうなると数年後には長男が誕生するでしょう。その子が石堂の長男になる。彼を不幸にすることはできない。そのとき、気づいたのです」


 石堂は、ほんの少しだけ表情を緩ませた。どことなく悪戯をおもいついた子どものような顔だった。


「わたしが死ななければ、わたしが長男であり続けられるのだ、と」

「……死ななければ……」


 翠は呟く。

 確かにそうかもしれない。


 系統が移らねば、石堂家の長男は尊のままだ。弟夫婦が子どもを産もうが、孫が誕生しようが、本家は尊。そこに長子が生まれなければ、尊は本家石堂の長男であり続けるだろう。


「わたしが長男であり続ければ、次の犠牲者は出ない」

 おずおずと、翠は頷く。


「わたしは死ぬわけにはいかない。甥や……、その次に生まれる長男たちのために」


 翠は、石堂を見る。

 いまや、翠のようなものでも知る大企業へと変貌を遂げた、石堂家。

 そして栄える家門。


 だが、それは、長男が死ぬことが前提で成り立っている。

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