第4話 血族
「
聞きなれない言葉を翠は繰り返す。
「立ち入ってはいけない土地、ということです。うかつに入ると、
補足したのは長良だった。
祟りや禍。
長良が口にした言葉から思い起こされたのは、工事のために中洲に入った現場責任者や工事関係者が、次々にけがをしたことだ。まるでツタンカーメン王の呪いだ。
(だけど……)
翠は彼に対して首をかしげて見せる。
「でも、変じゃないですか? 誰も入ってはいけないのに、そこに
どうやって世話をするのだ。
「誰もが入れない、というわけではありません。今、あなたがご指摘されたように、祭事に関わるため、限られた人間は立ち入りを許可される」
石堂は足を組んだ。意識しているわけではないだろうが、ものすごく脚が長く見える。
「多くは、神職や僧侶など。彼らは決められた手順を踏んで禁足地に入ります」
「ああ、なるほど」
そりゃそうだ。祟りや禍といえば神主や僧侶の専門だろう。翠は納得する。
「また、ある一族のみ入ることを許される、という場合もあります」
平坦な声で石堂が言う。翠はまばたきをした。
「ある一族。……一般人ですか?」
「一般人ではない。特殊な一族、という意味です」
石堂が重ねたが、翠は意味をはかりかねた。ちらりと長良を見ると、彼はお愛想程度に笑みを浮かべて口を開く。
「この辺りに住んでおられた長老にお話を伺うことが出来ました」
「……その、さっきから出てくる〝長老〟というのは、なんですか?」
翠は戸惑う。
まるで『もののけ姫』の世界だ。
自分は小学校低学年までだったが、確かにあの地に住んでいた。だが未開の地でも村社会でもない。近代的とまではいわないが、ニュータウンも混在する場所だった。
「更地になる前、この場所は、
「りんぽ。こう?」
翠が繰り返すと、長良は優しく頷いてくれる。
「あくまで、この地区の場合ですが、自治会の中で、隣近所の十数軒がまとまって、隣保という集団になります。その集団がまたいくつか集まって、講という団体になる。隣保は自治会組織と重なりますが、講は、主に祭事を取り扱っていたようですね」
「祭事って?」
「たとえば、この地区には八幡神社があります」
「ああ! 覚えています。こども神輿」
翠は声を上げた。銀杏並木の奥に石の鳥居があり、そこから大人が担ぐ神輿とこどもが担ぐ神輿が出てくるのだ。
「その八幡神社が行う祭りであるとか、年末の大掃除、正月参拝の手伝い、それから隣保内の葬式などは講が取り仕切っていたようです。その講の中の長。自治会長のようなものが、長老と呼ばれる、これはいわば役職名です」
「はあ……」
長いひげのじじいというわけではないようだ。翠が頷くと、今度は石堂が引き継いだ。
「その長老に話を聞きましたが、この中洲の
「うち……、ですか」
困惑したような、訝し気な。そんな声が翠の口からこぼれ出る。
「それ以外、長老はご存じありませんでした。中洲については、布士家がすべて取り仕切っている。禁足地なので、我々は、どのようなことをしているか知らない、と。あなたはなにかご存じではないですか?」
「そのような記憶はありません」
首を横に振った。
「当時は、まだ幼かったのでしょう? 小学校低学年だと、祭事に関わることもなかったのでしょうか。あるいは」
石堂が首を傾げ、漆黒の瞳を翠に向けた。
「あなたが〝普通〟だと思っていることは、実は普通ではない、とか」
普通だと思っていることが、普通ではない。
翠の眉根が再び寄る。
そんなことはないはずだ。
翠の家はまさに中流家庭を絵にかいたような家だった。
会社勤めの父。専業主婦の母。当時、珍しかったことといえば、翠がひとりっこだったことだろうか。
「とても、重要なことなのです。なにか覚えておられませんか?」
再度尋ねられて、翠は困惑しながら首を横に振る。石堂は一旦話の先を変えた。
「この付近には、布士家が2軒ありました。ご親戚ですよね?」
石堂に問われ、翠は頷く。
「祖父の弟の家だと聞いています。うちは本家でした」
「お父様が布士本家の主である、と」
重ねて問われて、翠は否定する。
「父は入り婿ですから、旧姓を持っています。母は姉妹だったので……。姉である伯母さんは嫁に出て、妹である母が家に残り、苗字を継いだ形になっています」
「あなたのお母様は、妹さんでしたか。……ほう、妹さんが、跡を継いだ……。その伯母さんに当たる方にも、わたしは興味があるのです。実はコンタクトを取ろうとしたのですが、うまくかわされてしまって……」
石堂は少しだけ唇を噛む。残念そうな表情を浮かべたのち、ちらりと長良と視線を交わし、それから翠に顔を向けた。
「あなたはごきょうだいがいらっしゃらないと思いますが……。やはり、家に残り、苗字を継ぐのでしょうか」
「私ですか?」
思わず素っ頓狂な声が出る。
「さあ……。今のところ、そんな話はありませんが……」
実際母は結婚について反対はしていない。
破談にはなったが『嫁に行く』。つまり、布士姓にこだわりはなかった。
「あとで、あなたの伯母さんにあたるかたにもお話を伺いたいのです。連絡はつきそうですか?」
「確実なことは申し上げられませんが……、母に聞けば……」
語尾を濁す。ひょっとしたら伯母は逃げているのかもしれない、と思ったからだ。
「わたしの勘はよくあたるのですが……。あなたの伯母にあたるひとは、キーマンになるはずだ」
「……そう、ですか」
なぜ、そんなに確信に満ちているのか。
なんだか薄気味悪くなって、翠は曖昧に返事をした。
「ですが、とっかかりのない我々としては、今のところ、あなたに全面的にご協力をしていただくしかない状況ではあるのです。ぜひ、この中洲について力を貸していただきたい」
石堂が淡々と話し始めるので、翠はやっぱり混乱する。
「ですが、私は神主でも住職でもありません。なんの力にもならないと思いますが」
「そういったことは必要ありません。この中洲……、禁足地に入るためには、布士の血族が必要なのです」
「けつ……ぞく」
布士であれば、誰でもいい。
石堂の目はそう語っている。
「禁足地に入るには、2つの方法があるとわたしは思っています」
石堂は足を組み替える。器用そうな指を翠の前で二本、立てて見せた。
「神官や僧侶のように、それなりの知識を習得し、かつ、作法を学んで一定の手順を踏む場合と、特定の血縁者であればだれでも可能である場合と」
ようするに、と石堂は続けた。
「入室ルールを守って鍵を開けるか、DNAで認証するか。その違いです。布士家の場合は後者だ。余分な手順などふまず、パスできる」
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