第60話
「まあ適当に座りなさい」
案内された部屋は、見事な掛け軸、新品かのように清潔な畳、炉までがあって、ここを茶室と呼ばざるして何ざるやというくらいの茶室。侘び寂びなんて一切知らないけれど、俺はついつい正座した。
「何背筋張って正座してんのよ。クソガキなのだから胡座かいて後ろ手つきなさいよ」
「姫華さんは俺を何だと思っているんですか?」
「言ったじゃない、クソガキって。作法も何も知らないんだから格好つけんじゃないわよ」
「まあそれはそうなんで、楽にさせてもらいますね」
姫華さんが言う事はもっともだったので、俺は足を崩した。
「じゃ、麦茶でいいかしら?」
「あー、めんつゆですか? コーヒーですか?」
「別に変なものを飲ませる気はないわよ」
「え、ないと思いますけど、純粋に饗すつもりだったり?」
「どうしてないと思うのよ? 一応、貴方は客人なのだから、良識があれば茶くらい入れるでしょうが。何? 私を鬼か悪魔とでもお思い?」
「ダーリンって呼んでもらっても?」
「だっちゃ……やめなさい。歳を思い出すでしょ」
「うん? 言うほど古いアニメじゃないですよね?」
「……そうね」
と姫華さんは虚ろな表情で言ってすぐ、威勢を取り戻した。
「じゃないわよ!! 別にいいのよ、私が歳を召してようが!! そもそも、ギリ平成よ私は!!」
憤慨する姫華さんだけど、見た目は女子高生くらいにしか見えないのだから本当にどうでも良さそう。今日だって、艷やかな黒髪に凛とした面立ちの和服美少女としか……あれ?
「姫華さん?」
「何よ?」
「今日ちょっと口紅の色違いません?」
いつもは自然な朱に近く、高貴な花のような印象の美人だけれど、今日は潤んだ薄ピンクで可愛い印象が強い。
「気、気の所為じゃないかしら?」
「それもそうですね。女性が毎度毎度同じ化粧することもないですし」
「そ、そうよ。で、麦茶でいいかしら?」
妙に焦った姫華さんに話題を逸らされている感じがしたけれど、どうでも良かったので気にしないことにする。
「頂いてもいいです……あ、やっぱ嫌です」
「贅沢なガキね。何? コーラ? オレンジジュース?」
「折角、茶室にいるので、点てたお茶が飲みたいです」
「超贅沢なガキだったわ」
ため息をついて動き出そうとする姫華さんに目を丸くする。
「冗談のつもりだったんですけど、本気で茶を点ててくれるんですか?」
「別にいいわよ、それくらい……あ、ふふん! 貴方にこの雪城姫華が一流の茶人という事実をまざまざと見せてあげるわ! 他の茶を飲めない体にしてやるわよ!」
「え、じゃあいいです」
「何でよ!!」
「だって怖いじゃないですか。姫華さん以外の茶を飲めない体になりたくないですし」
「なら余計に飲ませたくなるわね! ふふん、楽しみよ!」
冗談で飲みたくないとは言ったが、嬉しげな姫華さんを見てると、悔しくなってきたので飲みたくなくなってきた。だけど、和室で点てたお茶を飲んでみたい気持ちは強いので、拒まないことにする。ただやっぱり、悔しいのは悔しいので、ぽつりと呟いた。
「あと、まんじゅうも怖いです」
「……貴方、本当にいい性格してるわね?」
「お互い様ですよ」
なんて本日二度目のやりとりをしたのち、姫華さんは茶器を取りに行った。
和室に備えてあるもんじゃないんだ、なんて思うと、違和感を覚える。
この屋敷が普段住まいの家じゃないことは、ここに住む人数を曖昧に覚えていたことから明らか。なのに姫華さんは、どこに何があるかを把握している。まるで勝手知ったる我が家のようだ。
「じゃ、やるわよ」
帰ってきた姫華さんは、茶器を備え、炉の湯が湧いて準備が整うとまた部屋から出ようとする。
「どうして部屋から出るんですか?」
「別にしなくてもいいけれど、一応ね」
「あぁ、茶道の長ったらしいパフォーマンスみたいなやつやるんですか」
「別に間違っちゃいないけれど、貴方茶人に殺されるから思っても口にしない方がいいわよ」
なんて言って姫華さんは部屋の外へ出る。そして襖が開いて戻ってきた姫華さんは、大和撫子の雰囲気があって別人みたいだった。
一つ一つの流麗な所作、美しい立ち振舞い。姫華さんの所作は全てに理由が汲み取れるくらいに合理的で、無駄一つない洗練された動きだ。茶道の長ったらしいパフォーマンスなんて俺は言ったけれど、所作が最適化されてこの程度の長さで済んでいるのだとわからされる。
目を奪われてるうちに気づけば点てられたお茶が目の前にあって、俺は作法も何も出来ずただ茶碗に口をつける。
味は言わずもがな。本当に他の茶を飲めないかもしれない。
尊敬の念を抱いて前を見ると、和らかな表情、雰囲気の和服美人がいて胸がざわついた。
……が、すぐにその和服美人が姫華さんに変貌し、肩の力が抜けた。
「あらあらあらあらぁ〜? どうやら良かったみたいねぇ? わからされたかしらぁ? この私の……ひゃん!? 何するのよ!?」
ムカついたのでいつものごとく脇腹をつっついた。
そこからはさっきまでが嘘みたいに無粋ないつもの喧嘩が始まった。
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