第58話
あくびを手で覆いながら、完治した足で登校する。
太陽は燦々と輝いていて、うだるような暑さにちゃんとうだる。校内の桜は、少し前まで花が咲いていたように思うけれど、もうすでに青々と葉が茂っていた。
五月は、もはや夏だな。なんて考えながら、冷房完備の校舎内へと歩を進める。
「あ、理玖」
廊下で姫乃と出会った。艶やかな黒髪を靡かせ、爽やかな甘い香りを振りまきながら近寄ってくる。
「姫乃、おはよう」
「お母様から聞いたかしら?」
「今日中には、結衣が帰ってくるって話?」
そう言うと、姫乃は頷いた。
結局、渡り廊下からのダイブのあと、姫華さんに結衣のことを頼んだ。
『あなたに恩を売っとくのも悪くないわね……くっ、くふっ、ふははっ! これは大きな、大きな、借りになるわよ! 雑巾を体に巻きつけて、廊下を転がって掃除してもらおうかしら!』
と二つ返事で了承してもらい、姫華さんの保護の下、結衣は王国へ。
そして昨日。自分で進めていた計画を雪城家の力を借りて実行し、無事大臣の悪を暴いた、という報告を結衣から電話で聞いた。
何と言うか、色々悩んだりしたのは何だったんだ、と思えるくらいあっさりした幕引きだ。
「結衣が帰ってきて嬉しいわね、理玖」
「意外、姫乃は嬉しいんだ」
「そうね、恋敵と言えど、友達。いないとやっぱり寂し……ごめんなさい、好感度が欲しくて嘘ついたわ。やっぱいない方がいい、一生姫やってろ、二度と理玖に近づくな、って感じだわ」
姫乃の好意を、乾いた笑いで流したとき、ふと思った。
一つだけ解決していないことがある。
それは結衣が言っていたこと。
『助けないといけない存在、危険を冒してでも守り通さなきゃいけない存在、物語の中ならいいけどさぁ、現実でそんな子と恋するなんて無理じゃん』
たしかに今まではそうだったのかもしれない。
主人公を『一人でヒロインを支える存在だ』と思っていた俺は、三人のことを『一人で助けないといけない存在のヒロイン』と見ていた。
だけど今回の件で、それは誤りだと気づいた。ルートに入ったとて、結衣がしたように、誰かに手を借りればいい。俺は助けたくないわけじゃなく、助ける労が苦なだけなんだから。
それに、あまりにも当たり前の話で、何のひねりもない、冷めちゃうくらいの結論だが、彼女らは皆、ヒロインでなく主人公。生きる普通の人間だった。
……だったら、別に好意を拒む必要なんてないんじゃ……い、いや、なんかあるはず! なんか拒む理由があるはず!
「理玖、どうかしたかしら?」
姫乃を見てみると、整った顔立ちや、艶やかな黒髪、凛として綺麗な姿に、魅力溢れる美少女だと改めて思う。
「あ、あのさ、姫乃」
「何かしら、理玖?」
「今まで散々、好意を無碍にしてきたのに、今更好きになるかもしれないとか言ったら、流石にやばいよな?」
「ちゅき(そうね。流石にやばいけど、好きになってくれるのなら些事だわ。告白してくれるの?)」
「そこまでは……」
「は?」
と冷たい声のすぐあとに、耳元で、好き、とくすぐったくなるような声で囁かれた。
びくっ、と飛び退いて声のした方を見ると、悪戯っ子の笑顔を浮かべている若菜がいた。
今日も今日とて、アオハルという言葉が似合いすぎる雰囲気が魅力的で、顔に熱が上ってきそう。
なんて思った時、きゃー、と黄色い悲鳴が聞こえた。
何か、と思って周囲を見回すと、皆、窓にくっついて外を見ている。皆の視線の先を辿ると、銀髪の美少女、登校している結衣がいる。結衣が実は姫だったという話は情報が回り、すでに周知の事実となっていたのだ。
結衣は俺に気づいたのか、笑顔で大きく手を振った。それに周囲は「お姫様が私に手を振ってくれた」と黄色い声をあげる。
何となく気まずくて、軽く手をあげ、空に視線を逃す。
真っ青な空には、大きな入道雲がある。
あつい季節に入ったよ、と唆されているように俺は感じた。
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