第57話
葉露が朝日を映して煌く時間。校舎の二階を繋げる吹き抜けの渡り廊下には、朝の新鮮な空気が満ちている。
昨日とは打って変わって今日は快晴だ。朝焼けの空がどこまでも広がっていて、鳥が自由を謳歌するように羽ばたいている。
ぽつり、と屋根から落ちる水滴にしたがって視線を落とすと、中庭からこちらに向かってゆっくりと歩いてきている結衣が目に入った。
ちゃんと来てくれたみたい。
昨日の夜に、結衣に早朝に教室に来て欲しい、とメッセージを送っておいた。
その理由は、当然、結衣に助けてもらっても主人公やれると伝えるため。
「えっと……理玖、一応きたけど」
よくみると、目の下が黒い。昨日は眠れなかったのだろう。
「ごめん、結衣。朝早くに呼び出して」
「いや、うん、それは全然いいんだけど……どうして呼び出したかは聞いていい?」
「ちょっと話がしたくて」
「話?」
「そう。結衣、俺に助けを求めて欲しい」
結衣の眉がひそめられた。
「えっと……さぁ、理玖。気持ちは凄く嬉しいんだ。それに、私も助けてもらわないとどうしようもないことはわかってる。でも、助けてもらったら……」
「主人公になれない。そう言いたいんだと思う。でもさ、助けられたら主人公になれないなんてのはバカげてる」
「バカげてるって……。でも、助けを借りたらヒロインの枠組みから外れないんじゃ?」
「ヒロインなんて枠組みは、主人公になりたいって、物語から解離した意思を持ってる時点で、とっくに外れてるよ」
「そう、なのかな」
「うん、だから助けられたところで、主人公じゃなくなるなんてないから安心して」
そう言っても、結衣は浮かない顔のままだ。
「理玖の言っていることはわかるよ。だけど仮にそうだとしても、自分じゃ何にもできず、理玖におんぶに抱っこでさ、私が主人公です、なんて流石に烏滸がましくて胸を張れないと思う」
「まぁ、そういう話になるよな。そんなわけで、俺も考えてきた」
俺は手すりに立てかけていた傘を持ち上げた。
「傘?」
「うん。結衣からしたら、俺は主人公なわけだろ」
「え、そりゃそうだけど」
「で、助けられたら主人公になれないということは、俺は助けが要らない存在なわけだ」
「う、うん? そうなる、のかな?」
「そこで、だ。俺が結衣の問題を解決するのに、誰かの助けを借りられないとする」
そう言って俺は傘を開いた。
「現状、結衣の国へ渡る術がない。日本とは海で隔たれているから、陸路は使えない。海路か空路だけど、パスポートも金もないから、公的機関は使えない。自力で泳いで行こうにも難しいから、これだ」
俺が掲げた傘に、結衣は呆れた目を向けた。
「まさか、傘で空を飛ぼうって言うんじゃないよね?」
「そのまさかだよ」
「ねえ、理玖? ふざけてる?」
「まじのおおまじ。俺の財産、能力、全てを考慮して、一晩悩み抜いた結果、これが最適解だと思った」
「……理玖、渡り廊下に呼び出したのってさ」
「俺が飛べるかどうか見てもらうため」
「ええ……。いやまあ、ここ二階で高さないから、飛んでも死にゃあしないと思うけど……ええ……」
「高さで選んでないよ。助走の距離、吹き込む風を考えて、最善の場所だからで選んだ」
結衣は力が抜けたのか、くったりと屈み込んだ。
「わかった、理玖。たしかに、傘で空飛べないと主人公じゃないなんて、馬鹿な話ないもんね」
「まあそういうこと。じゃあ飛ばせてもらうわ」
「待って、待って、待って!! いやもういいじゃん! 私、納得したって!」
慌てて止めてくる結衣を、俺は手で制する。
「俺はず〜〜〜〜っと、モヤモヤしてたんだよ」
「え、急になに?」
「さっきまでのこと全部忘れて、だ」
「忘れちゃうんだ」
「結衣はさ、助けてもらえなくてしんどくっても主人公になって輝きたいって思ってたわけじゃん」
「そ、そりゃまあ」
「でも、俺はそんなにしんどいなら主人公にはなりたくないって考えなんだよ」
「う、うん」
「結衣に、そんな意図はないだろうけど、主人公になりたくない俺の考えが否定されたみたいで、モヤモヤさせられたんだよ。だから、結衣に助けられない存在の情けなさを見せつけて、やっぱ助けてもらえない存在にはなりたくないかも、って思わせたい。そうやって俺の考えを認めさせたい」
言い終えると、結衣は大きなため息をついた。
「そんな理由で飛ぶんだ……」
頷くと、呆れた声がきた。
「言ってることも、やろうとしてることも、全部かっこ悪いよ、理玖」
「わかってる。でももう、負けず嫌いの火が灯ったから止められない」
結衣はまた大きくため息をついて、そして仕方ないなぁと言うように笑った。
「わかった。しっかりと見てあげる」
「よろしく」
結衣が中庭に移動し、安全な位置にいることを見届けると、俺は手を挙げた。
「いきま〜す」
「どうぞ〜」
閉じた傘を持って、高飛びの助走のようにテンポ良く跳ね、スピードをあげていく。そして手すりが目の前に迫ったところで地面を強く蹴る。
体が弾む。手すりを飛び越え空中に体が投げ出される。視界いっぱいに大きな空が広がったとき、傘をばさりと開いた。
一瞬の浮遊感、すらなく、傘をもった腕に大きな圧力がかかり、傘の骨が折れる音がすぐ側で鳴る。
風をびゅうびゅうと切る音とともに落下していき、恐怖が脳内をしめる。
やばい、やばい、やばい、やばい、やばい、やばい!!!!
地面はどんどん近づいていき、そして足が地面についた。
硬いものを金属バットで殴った時のような衝撃が全身に走る。衝撃を逃すために受け身をとって、ごろごろと転がる。
完璧な着地、ではあるが、痛みはあって、ごろごろとのたうちまわった。
「大丈夫、理玖?」
数十秒のたうちまわって、ようやく痛みが抜けたとき、結衣が声をかけてきた。
「う、うん、まあなんとか」
そう言うと我に帰り、あらためて失敗したことを自覚する。
「まあそりゃそうだよな。傘じゃ空を飛べないよな」
「ちゃんと凹むんだ」
「いやまあ、俺なりに真剣に考えた結果だし。で、結衣」
「大丈夫、伝わった。本当、何見せられたんだ、って感じだけど、しっかり伝わった」
結衣は俺を見下ろして、爽やかな笑顔で言った。
「私を助けて、理玖」
満足感が胸の中を占める。
もちろん、承りました、と言おうとしたが、代わりに出てきたのは、あ、という短い間抜けな声だった。
「? どうかした、理玖?」
「あ、あのぅ、そのぅ、うん。ごめん」
「え?」
「今ので、足ひねっちゃったみたい。その、だから……俺の代わりに、この人を頼って」
俺はポケットに入れていた財布から、姫華さんの名刺をとりだしたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます