第51話


 結衣の真意は何なのか。考えてみてもずっとわからないまま放課後。落ち着いた場所で話したいという結衣につれられて、学校の屋上まできた。


 夕方に変わりかけた空は水色が黄色に帯びてきている。白いカビみたいな雲が不規則に浮かんでいて、何となく落ち着かない。吹き込む風も不規則。首振った扇風機の送る風に肌を撫でられているようで、妙にそわついた。


「座ろっか」


 いつもと同じようにベンチに座るけれど、二人の距離は少し遠い。ペットボトル一つ入るかどうかの差。そこを埋める気なんてさらさらないようで、結衣は背もたれに体重をあずけ、空を見上げた。


「さて、何から話したらいいんだろ」


 結衣は視線を真上から前へと移し、傾きかけた夕日に目を向ける。そしてそのまま、こちらを向くことはなく、淡々と話し出した。


「私ってさ、理玖が言うにはギャルゲーのヒロインなわけじゃん?」


「それは、うん」


「でもさ、私がギャルゲーのヒロインだぁ、だなんて言われても、しょーみ、そんな自覚なんてなかった」


 だってそうじゃん? と結衣は笑う。


「私は私でちゃんと意思がある人間だし。作家によって作られたものかもしんないし、プログラムで構成されたものかもしんないけど、そんなの普通の人間だって、思考は遺伝子に刻まれたプログラムによるものだーとかの議論があるくらいなんだから、特に変わんないよねー、なんて思ってた」


「思って、た、なんだ?」


「そー。思って、た」


 結衣は自嘲の笑みを浮かべて続ける。


「私がさ、ちょくちょくギャルゲーをしていたこと知ってる?」


「まあ、いろんなキャラで迫ってきたくらいだし」


「あはは。あの時は、まだ今の考えに至ってなかったからね。もしかしたら、あの時理玖に全然響いてなかったのが、今の考えになるきっかけだったのかな?」


「今の考え?」


「うん、私はギャルゲーのヒロインなんだって考え」


 どうして結衣がそんな考えに至ったのか。それは助けを必要としないにも関わらず、急にDNA鑑定を受けところからあたりがついた。


 だけど、想像の域を越えないので黙って続きを聞く。


「まあそこそこ詳しくなったつもりで言うんだけど、どのギャルゲーのヒロインも、主人公に助けられて好きになるじゃん」


「どのってことはないような気がするけど」


「私はどのって思ったけどね。欠如の回復を手助けしてくれる主人公に恋をする、なんて、むずかしー言葉に当てはまるような感じがするし」


 言われてみれば、そうかもしれない。何か欠落したものを埋めてくれる存在が、ヒロインにとっての主人公で、主人公に惹かれる理由、というのが凄くしっくりとくる。


「事実、私は理玖に助けられたことで好きになった。そんで私の経験を振り返っても、ずっと理玖に助けられる物語だったように思う」


「それで自分がギャルゲーのヒロインだと思うってこと?」


「そっ、主人公に助けられる存在だってね」


 だから、と結衣は続ける。


「ギャルゲーのヒロインのままじゃ、ダメなんだ」


 そう言った結衣は、初めて俺に顔を向けた。青く深い瞳を真っ直ぐに向けられて、不意に息が止まる。


「だってさ、理玖はギャルゲーのヒロインを好きにはならないでしょ?」


 反射的に弁解しようとしたけれど、事実その通りで何も言葉が出てこない。


「あはは、図星、って感じ。そりゃそうだよね、助けないといけない存在、危険を冒してでも守り通さなきゃいけない存在、物語の中ならいいけどさぁ、現実でそんな子と恋するなんて無理じゃん」


 それにさ、と結衣は続ける。


「私もヒロインでいるのは嫌だ。私は私の物語の主人公なんだ。理玖のヒロインじゃなくて、吉良結衣という一人の女の子として歩いていきたい」


 照れ臭くなったのか、結衣はハニかんで、また顔を遠くの夕日に向けた。


「だからさぁ、ヒロインじゃなくて普通の女の子になって帰ってくるから、まあ姫である時点で普通の女の子ってのは無理あるけど、出来ればそう見てくれたら嬉しい。あと、そんな私に恋してくれたらなー、だなんて思ったり」


 そう言ったきり、結衣が口を閉じ、無言の時間が訪れる。


 俺が、わかった、と言えば、それで終わり。


 たしかに、助けないといけない存在、ヒロインのままじゃ、俺が好きになることはないのかもしれない。自分の物語の主人公は自分で、ヒロインでいたくない。そんな結衣の言っていることはわかる。


 俺は何もしなくていいし、拒む理由はない。それに結衣はもうすでに何をすれば良いか知っていて、きっと自分の問題は自分でうまくやるだろうし、止める必要はない。むしろ、助けないと、だなんて、自分の足で歩もうとする主人公に対しては傲慢な考えで、してはいけないものなのかもしれない。


 それでも、わかった、と言い出せないのは、何となくの気持ち悪さがあったからだ。


 ふと気づけば日は傾いていて、辺りは真っ赤に染められている。屋上に吹き込む風も冷たく、身震いしてしまいそうだった。


 しばらく口を開けずにいたが、このままじっとしていても仕方ない。気持ち悪さの正体はわからないけれど、俺が結衣を止める理由もないならば応援する他ない。


「わかった、結衣。でも、本当に手助けはいらない?」


「うん、きっと理玖に助けられたら、私はヒロインでしかない。でもね、私は私の人生の主人公なんだ」


 結衣はそう言ってから、悪戯っ子のようにニッと歯を出して笑った。


「シンデレラは、助けてもらった魔女じゃなくて、王子様に恋するの!」


 ギャルゲーのヒロインらしからぬ、ただの夢見る女の子のような顔。だけど、頬が緩む愛嬌があって、野花みたいな何でもない美しさがあった。


「そっか。じゃあ頑張って、っていうのも変だけど、応援してる」


「うん。助けてもらったから好きになる。明確な理由があって主人公のことを好きになるギャルゲーのヒロインから、何となくで理玖が好きな一人の女の子として帰ってくるから、覚悟しとけ〜」


 結衣の冗談に俺は笑った。


 そんなやりとりに爽快感も覚えた。


 けれど、何となくの気持ち悪さは拭い切れなかった。


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