第38話


 金曜日。課題の前日。午後からの、武道の授業。


 学年で3グループに分けられて、同じクラスの結衣と別れ、たどり着いたのは板張りの武道場。寒いはずだけれど、ここはお嬢様、お坊っちゃまが通う学園で、換気に窓を開けていて尚、温度管理は万全で、道着を着ていても全く寒くなかった。


「今日の授業は、明日より始まる課題の班で受けてもらう」


 師範の言葉を受ける前から、既に配置は同じ班の人と隣になっている。ペアだったり、3人だったり、もしくは4人だったりが、別の班と少しの間隔をあけて、正座していた。


「入学して二週間だが、今まで学んだことを活かし、組み手であったり、形であったり自由に取り組んでほしい。もちろん、鍛錬内容を決めるのは、明日の予行練習をかねた貴族クラスの生徒だ」


 つまり、おいお前ら戦えよ、だとか、投げる練習したいからお前、ずっと受け身やれ、だとか、今から打撃のサンドバックな、だとか貴族クラスの生徒は自由に決めれるわけだ。


 羨ましい、とは思うが、流石に神々の遊びをすれば不和を招き、明日の本番に支障が出るので、そんなことはしないだろう。


 若菜もそんなことしないよな? と隣を見ると、眠そうにうつらうつらとしていた。


「ただし、これは授業、遊びではない。常に私は見回るし、鍛錬の内容は報告するように。では、ウォーミングアップから」


 と、師範の指示に従い、動きを真似て体をほぐす。


 そしてそれが終わると、自由鍛錬の時間が始まったので、俺は若菜に指示を仰ぐ。


「で、若菜。俺たちは何をするんだ?」


「ん? ふあああ」


 若菜は口に手を当てて、大きなあくびをしたあと、じとっとした目を向けてきた。


「理玖くんは意地悪だね。何をしたいかわからない私に、そんなことを聞くのかな?」


「まあそういう授業だし」


「あはは。冗談、からかってみただけかな。勿論、考えてあるよ」


 若菜はしゅっしゅと可愛いシャドーボクシングをしながら言う。


「組み手に決まってるよ。しゅっしゅ」


「そんな可愛いパンチしないでしょ」


「じゃあ、ほい」


 びゅん、とストレートを顔の前で寸止めされて、風圧に前髪がふわっと浮いた。


 ゲーム世界の達人の御技を現実で目撃し、感動を覚える。が、それ以上に恐怖を覚えた。


 俺、殺されないで済むかな……。


 とは思うものの、俺もギャルゲー主人公。パンチは見え、躱すのに問題ないと感じた。


「どうする、理玖くん。ルールは寝技限定でいいかな?」


「さっきのパンチのくだりはなんだったのさ」


「意味はないかな」


「ないんかい」


「あはは。冗談、打撃ありにしよう。あざ残してくれたら、それだけで、治っちゃうまでは夜のおかずに困らないし」


「寝技限定でお願いします」


「それはそれで、くんずほぐれず出来て、困らないかな。汗と匂いがついた道着は一生洗うことないだろうし。よし、両方ありで行こう」


 ええ……と嘆くものの、若菜は気にする素振りなく、ぺたんと座って足を左右に広げる。


「さ、理玖くん。柔軟手伝って、背中から押して。指示だよ、指示」


 貴族クラスの生徒の特権を活かしてくる若菜を無視しようかと思った。が、授業で、周りの目も気になるので、素直に従って背後に回る。


「さ、押してみて」


「わかったよ」


 俺は若菜の小さな背中に触れる。女の子らしい柔らかさと温かい体温に、髪から漂う甘い香り。変な気分になりそうだけどそうならないよう、ゆっくり押すとしなやかに体は前に進む。


「どう、柔らかいでしょ?」


「うん、柔軟性に富んでるな」


「前はもっと柔らかいよ」


「後ろに倒れられない人がいたら、それは心配になる」


 つれなーい、とぶーぶー言う若菜。


「あぁ、もう、何で悩みを当てちゃったのかな。惚れさせる機会が少なくなったのが耐えられないよ。あ、もっと前に押して」


 そう言われて、少しだけ前に押す。


「もうちょい、強く」


「いや、これ以上押したら、二つ折りになるよ」


「足開いてるから余裕だよ」


 たしかに、手から伝わる抵抗は弱いので、大丈夫なのだろう。


 もう少し強く押すと、若菜は、ぺたん、と地面についた。


「んっ、いい。気持ちいー」


「体が伸びて?」


「ううん。地面に押し当てられて興奮して」


 俺はすぐに若菜から手を離した。


 若菜は、また、ぶーぶー、言ったが、気を取り直したように、立ち上がった。


「よし、準備運動もできたし、目も覚めたし。うん、やろうか、組み手。理玖くんは柔軟とか大丈夫?」


「大丈夫だけど?」


「じゃあやろう。あぁ、ぞくぞくしてきた。今から私は理玖くんに組み伏せられるんだぁ」


 元からやりたくはなかったが、やりたくなくなってきたんだけど……。


「忠告しておくけど、全力でいくから。理玖くんも本気出さないと死んじゃうからね。本気で私を組み伏せて無力化しないと、大怪我だからね」


 また可愛くしゅっしゅとシャドーしてるけど、全然可愛くない。


 仕方ない。若菜の作戦にかかってしまうようで、悲しいが、全力で行かねば大怪我だろう。したくはないが、組み伏せねばならない。


「わかったよ」


「よし、じゃあはじめよう」


 若菜が腕を伸ばし拳を前に出した。それに俺はこつんと拳を合わせる。


 お互いに軽く下がって、構えをとる。


 真剣な目。放たれる闘気に、本気でくると警戒した。


 軽快なステップで踏み込んでくる若菜。ストレートでも打ってきそうな雰囲気で繰り出されるのは早いジャブ。強打を警戒するせいで、一方的に打ちこまれてしまいそう。


 こっちから打つか、と思っても、素早いフットワークと、スイッチしてくるせいで、距離感がわからない。


 だけどまあ。


 俺は若菜の攻撃を全て捌き切る。


 何と言うか、余裕。俺が強いとか、きっとそういうのじゃない。


 若菜にキレがない、そう感じる。


 ガードが下がって甘くなったところに、軽いハイキックを見せると、若菜は躱したけれど、無理に体勢を変えたせいで転んでしまう。


 若菜はグラウンドに持ち込む姿勢を見せたが、俺は首を振った。


「若菜、保健室に行こう」


「どうしたの、理玖くん、恐れをなしたのかな?」


「多分、体調悪いでしょ?」


 そう言うと、若菜は苦々しく笑った。


「……わかる?」


「まあ」


「そっか。じゃあ、はい」


 倒れたまま、両腕を伸ばしてきた。


「勿論、お姫様抱っこしてくれるよね?」


 俺はため息をついて、若菜を抱き上げた。


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