第37話


 施設を出ると、もう既に夜。だけど、道路には車がびゅんびゅんと行き交い、ライトの白とランプの赤が目に明るい。建物の看板、漏れる明かり、街灯も煌々と輝いていて、暗さは感じない。


「じゃあ帰ろっか、理玖くん」


「そうだね」


 若菜と共に帰路を辿る。


『そうなんだよね。理玖くんと接してる時は、心置きなく楽しい。本当、それだけなら良いのに、人生はそれだけじゃあないかなって』


 か。


 人生それだけじゃない。そりゃそう。ギャルゲーのヒロインであったとしても、この世界は現実。主人公とイチャイチャするところだけ、主人公とのラブコメだけを切り取ってくれるわけじゃない。俺とは関係ない時間も、彼女らは人間として生きていかないといけない。


 そっか。そういうことか。若菜は過去に戻ったわけじゃない、ハッピーエンドの続きを生きているんだ。


 1番のモチベーションがなくなって、何かがあった、もしくは、何かになった、それが悩み。


 1番を取り続けることが生きる指針だった少女が、それを失った。ならば、そこから、どう生きていけばいい?


 しっくりとくる。恐らく若菜の悩みはそれ。人生の迷子。自分探しの最中。現実に生きる高校生らしい悩みだ。


 だが、本当にそうか?

 

 たしかめるため、俺はアミューズメント施設であったことを順に振り返っていく。


 最初、館内図を前にしてどこに行くかを決めるのに、『若菜がやりたいの行こうよ』と言った時のこと。『あはは〜、私のやりたいとこ……かあ』と若菜の顔に陰が落ちた気がした。


 あれは、やりたいことが、わからないからこその反応だったんじゃないか。


 次に、バッティングをしたときのこと。甲子園を目指すか、という話になった。


『だよね〜、ああいうのってやっぱ勝ちたいって気持ちがあるから、やれるんだよね』

『若菜はない?』

『ないわけではないし、あるわけではない』


 なんて、若菜は自分の話なのに曖昧に答えて、


『理玖くん、勝負をしよう。私も全部ヒット性の当たりだったら勝ちでいい?」


 と勝負をもちかけてきた。


 結果は、若菜の負け。


 その反応は、『うーん、ま、だよね』という反応。あれは、1番を生きることを指針にしてきた少女が、負けても、悔しさも、勝ちたいという思いも、何の感情も湧かないことを再確認したのではないか。1番を生きる気がないことを再確認したのではないだろうか。


 次に行ったのは、パターゴルフ。一打席で若菜は、『いいよ。何かこれじゃないなぁって感じたから』と、別のアクティビティに向かった。


 これも、勝つことに何の感情も湧かなかった。また、やりたいことではない、と興味を失くしたのではないか。


 テニスの時も、きっと同じだ。


『若菜はどうしたい?』


 と尋ねてみると、返答がこなかった。それは、やりたいことがわからないから、だったんじゃないか。


『勝負はさっきしたし、ゆっくりとラリーしてみようかな』


 それは勝ち負けではない楽しさを求めての発言だったのかもしれない。そしてその楽しさに気づくことなく、いや気づいていても、求めるものではなかったことに、興味をなくしたのだろう。


 で、カーレース後の決定的な発言。


『そうなんだよね。理玖くんと接してる時は、心置きなく楽しい。本当、それだけなら良いのに、人生はそれだけじゃあないかなって』


 やはり、若菜は、今人生の迷子の最中にいるとみるべき。


 足を止めた。


「若菜」


「ん? 何?」


 可愛らしく振り返った若菜に向けて、口を開く。


「人生の迷子にいる、それが悩みですか?」


 若菜の唇が尖る。


 しばらく無言の時間が続き、大きなため息が返ってきた。


「正解」


 不満げに、むう、と言った若菜は堪えきれないといったように文句を言ってきた。


「あー、折角、耳舐めASMRを収録したのに、無駄になっちゃった〜! 頼んだ拘束器具もだよ! ムラムラ溜めてたのにぃ〜!」


 吐き出すと、また若菜はため息をついた。


「仕方ない。わかったよ、理玖くん。課題はちゃんと取り組むことにするよ……でも、やだぁ〜。いじめられたぁい。無茶苦茶にされたぁい」


 なんて恨み言を帰りの最中、若菜はずっと吐いていた。


 そして学園までたどり着いたところで、惜しげな若菜とわかれる。


 1人になると、胸中がもやついた。


 これで、退学も雪城家入りも免れた。若菜に変なことをしないでよくなった。結衣にも何もされることはなくなった。


 何の憂いもない。


 そのはずなのに、もやつきが晴れない。


 人生の迷子、か……。


 親しい人間が悩んでいるのだから、俺に何かできることはないのだろうか。


 そう思ったところで、にゅるにゅると口の中を蹂躙され続け、息が苦しくなってやっと引き抜かれた感触を思い出す。


『次、若菜とペアだよね。姫乃みたいなことしたら、今度こそ許さないから』


 結衣の言葉が頭の中で響いて、俺はぶるりと震えた。


 今回は何もしない、何もしないぞ。


 それに、人生の迷子だなんて、俺にできることは何もない。個人で解決すべき、個人でしか解決できない問題だ。


 うん、そう。


 それでいい。何か手を出すべきじゃない。


 俺はそう自分を戒め、寮へと帰った。

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