第19話
ちかちか、と街灯が灯り、目の前の道路に車が通り過ぎていく。冷たい空気に、ほー、と息を吐いて、姫乃は話し出した。
「私ね、お母様のことで悩んでいるのよ」
「姫乃のお母さんのこと?」
「そう。お母様は私が当主になることを望んでいない。なのに、未来で当主になった私でいれば、お母様を傷つけることになるんじゃないか、とね」
「この前も言ってたな」
「ええ。ただね、今朝事情が変わったの」
事情、それは何だろうか、と首を傾げる。
「私ね、記憶が戻ってすぐ、お母様と電話で話したの。不慮の事故がある日、絶対に外に出ないようにって。そしたら、今朝、わかったって返事が来た」
「じゃあ姫乃のお母さんは亡くならずにすむな。それは良かった」
「うん、いいこと。すごく嬉しい。私の突拍子もないことを信じてくれたことに、愛情も伝わってきた。でもね、だけどね、だから迷うの」
俺は姫乃が何に悩んでいるか察した。
「なるほどな。お母さんが亡くならなければ、当主はそのまま。姫乃が当主になる必要も、相応しい人物である必要もない。んで、別に当主になる必要がないんだったら、立派に振る舞って認められる必要もない。振る舞うだけ、お母さんに気苦労をかけるだけか」
「うん。このまま未来で当主になった私でいれば、お母様は私が跡取りに盛り立てられると危惧する。日記で書かれていたように、褒めたくても無理に冷たくしないといけない、なんて傷つけることになる。成績一位を喜べなかったのも、それが理由なの」
そして姫乃は自嘲気味に笑った。
「だから、お母様の目に触れることすら、今は怖いわ」
暗くなり冥色に染まった辺りに溶け入るような寂しい声。心の中に弱い火が灯ったような感覚を得て、俺は口を開いた。
「跡取りにはなりません、って宣言したら、いいんじゃない? お母さんが、姫乃を認めないのも、不仲であると思わせるような冷たい態度も、姫乃を後継にしないためだ。姫乃が跡取りの権利を放棄したら、お母さんも成長した姫乃を純粋に喜ぶんじゃないか?」
「それはできないわ。だって私は15代目の当主になりたいもの。お母様がどう思おうが、私はお母様の後を継ぎたい。だってお母様のたった1人の娘だから」
姫乃の瞳には強い光が宿っていて、意思の固さが窺える。
ならこの問題を対処するには、わだかまりを解く他ない。姫乃を後継にしたくないお母さんと、後継になりたい姫乃の平行線をなんとかするしかない。
落とし所を見つける、折り合いをつける、俺が出来るのはそんなところだろうか。いや、違うな、この問題を解決するには……。
と、そこまで考えたところで、内心首を振る。
いやいや。深入りしてどうなるよ。余計、距離を置きづらくなるだけだ。
「ありがとうね、理玖。話したら、すっと楽になったわ」
「そっか、なら良かった」
「ええ。きっとお母様とは分かり合えないけれど、生きてくれているだけで私は幸せだから」
ぴくっ、と耳が動く。
『きっとお母様とは分かり合えないけれど、生きてくれているだけで私は幸せだから』
何だその言葉? 俺には分かり合わせることができないんだね?っていう、あてつけ? 煽り? 挑発か?
さっき灯った胸の火がメラメラと燃えだすと、今まであったことを薪として飲みこむ。
高圧的な態度をとることしか知らず、掃除をやらせても皿洗いをさせても不器用で満足にできず、その上、自分の非を認めずに当たり散らかしていた姫乃。そんな彼女が成長した姿に、感動を覚える人間が俺以外存在しない。
元気に手を振る女の子に手を振り返した姫乃の、あまりに寂しそうな笑顔。
『おかあさん! おかあさん! 姫乃は立派になったから! 立派になったから!』と泣き叫ぶ声。
全てが焼べられると、業火となって燃え盛る。姫乃が何の悪意なく言っていたことに気付いていてなお、もう止められない。
「姫乃様、お迎えに上がりました」
「あ、迎えがきたから帰るね、理玖」
俺は姫乃の腕を掴んで言った。
「お母さんに、姫乃が成長したところを見てもらおう」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます