第17話
冬の肌が切れそうな冷たい空気を肺に入れ、代わりに白い息を吐き出す。
墓前に立つ姫乃はゆっくりと屈み込み、優しく手を合わせた。
「お母様。全てが終わりましたので、ご挨拶にまいりました」
地面に落ちた雪が溶けていくような声で姫乃は続ける。
「雪城家の当主になりました。お母様が14代目ですので、私が15代目となりますね」
ちらちらと粉雪が舞い始めた。だけど気にするそぶりもなく、姫乃は続ける。
「お母様の日記。つい数日前に読ませていただきましたが、この場でも読ませていただきますね」
姫乃は日記を取り出して、最初から読み始める。
「12月2日、雪。姫乃が生まれた。お腹を痛めて産んだ、愛しい、愛しい我が子だ。つつがなく出産できたのは、あなたが空から応援してくれたからでしょう。これからは私が守るから、あなたは安心しなさいな」
「3月14日。2歳をこえた姫乃はよく走るわんぱくっ子。いつもころころと笑って、とても可愛い。雪城家の仕事で一緒の時間は短いけれど、会うたびに私をママ、ママと呼んで幸せをくれる。このまま、すくすく育ってくれるといいな」
「7月25日。私の誕生日に、姫乃は折り紙でプレゼントを作ってくれた。それはすぐに私の宝物になった。姫乃は本当に優しい子だ、そう思うが故に、心配になる。この子が、将来、雪城家の後継として重圧に耐えられるかを」
「4月15日。姫乃の小学校受験の結果が通知された。合格者40人中、35位。合格しているのだから決して悪くはないのだけど、私も、父も、祖母も、首席での合格だった。この子に雪城の家業を引きつがせるのは、酷かもしれない。いや、能力の有無なんて関係なく酷だ。政界、財界の海千山千の怪物たちと渡り合い、身も心もすり減らす雪城の家業を愛しい我が子にさせたくない」
「9月9日。雪城家の方針で、後継としての教育が始まった。苦しみながらも必死に頑張る我が子を褒めたかった、抱きしめたかった。だけど、姫乃が「お母様の後を継ぐ」という限り、それはできない。彼女を諦めさせるには、褒めずやる気を削ぐことが一番。それに、当主たる私が後継に相応しいと認めてしまえば、周囲もそのように姫乃を盛り立て後継者として扱うことになる。どうしても冷たくするしかないのだ」
それからも姫乃は読み続けた。
姫乃が首席で小学校を卒業したこと、ピアノのコンクールで受賞したこと、その他様々な褒めるべきこと。それら全てに褒めてあげられない後悔と懺悔の日記が声となり、冬空に消えていく。そして『何があっても私は姫乃を愛している、守っていきたい』という強い思いも。
「7月7日。学園に入って姫乃は変わった。後継者に相応しくなりつつある。姫乃の成長はどうしようもなく嬉しい。だけど同時に、途轍もなく不安だ」
姫乃は最後まで読み上げると、日記を閉じた。
「お母様、私に愛情を持ってくださっていたのですね」
ゆっくりと、長く、姫乃は白い息を吐いて優しい笑みを浮かべた。
「雪城の当主とならぬよう、というお母様の思いやりを無駄にして申し訳ございません。私は当主となってしまいました。それも亡きお母様の意図に気づかず、当主になれれば、空からお母様に認めてもらえるという思いで」
だけど、と続ける。
「おかげで、数々の困難、苦難を乗り越え、姫乃は雪城に相応しい立派な娘になりました。それに、私を支えてくれる素敵な恋人もいます」
姫乃の頬が震える。
「だからね、お母さん。これで、や、や、やっと、安心できるね……」
震える声が詰まってから、堰を切ったように潤んだ声と涙が溢れ出した。
「おかあさん! おかあさん! 姫乃は立派になったから! 立派になったから!」
粉雪に吸われまいとするような姫乃の泣き声が、墓地に響き渡った。
……ところで目が覚めた。
眠気まなこをこすり、あたりを見回す。
寮の部屋。時計はじりじりと鳴っている。
夢を見た。姫乃ルートのシーンを夢で見た。
目覚まし時計を止め、ゆっくりと立ち上がり、ペットボトルの水をコップに注ぐ。
飲み干して、ふぅ、と息をつくと、昨日の姫乃の顔が思い起こされた。
温かな親子を眺める切なそうな顔。
まあ、俺が何か立ち入るようなことではないか。
そう思うけれど、まとわりつくような気持ち悪さはあった。
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