第16話


 休憩が終わっても、姫乃の働きぶりは変わることはない。


 せっせと注文を取り、テーブルを片付け、キッチンに入れば丁寧に食器を洗う。


 あらためて思うけれど、仕事ぶりは見事だ。


 最初があれだ。ゲームでも努力が見えたが、映らない場所でも、出来るようになるために並々ならぬ努力を重ねたにちがいない。


 多分、バイトだけではないんだろうな。


 ゲームで姫乃は、様々な苦難に挑み、乗り越え、そして氷室家の頭首の座についた。きっとバイトだけでなく、いろいろな面で成長しているだろう。


「ちらしが出来た!」


 店の奥から、ちらしの山を抱えたマスターが出てきた。


「もうできたんですか?」


 そう尋ねると、頷きが返ってきた。


「ああ! それでなんだけど、今は17時半! ちょうど帰宅どきだ!」


「なるほど、今からビラ配りに行けばいいんですね。わかりました。姫乃と2人ででいいんですか?」


「うん! よろしく頼むよ!」


 場所はここだから、と駅前の場所を示した地図を渡され、ちらしを肩掛けカバンにつめてから俺と姫乃は出た。


「マスター、仕事が早かったわね」


「そうだな。あの人、やれば出来る人だったし」


「ふふっ、そうね。初めてではないおかげで、安心して色々任せていられるわ」


「姫乃は『本当にあの人にカッサータの件を任せて大丈夫かしら?』なんて、心配していたからなぁ」


「意地悪」


 ぷくっと膨れる姫乃の顔は、夕焼けに馴染むみたいに赤かった。


「あ、ここじゃない、理玖?」


 駅前にたどり着いて、ビラ配りの場所についた。そこは駅から伸びる大きな階段下の広場。仕事終わりの人が階段から続々と下りてきている。


「そうだね、じゃあ、始めようか」


 姫乃と2人、声を上げながらチラシを配る。


 わざわざ足を止めて受け取ってくれる人もいたが、素通りしていく人がほとんど。冷たい態度に、心が折れそうになる。とはいえ、やめるわけにはいかないので、ひたすらチラシを差し出し続ける。


 日が暮れてきて、茜から青い色に辺りは染まってきた。腕時計に目を向ければ、18時を回っている。


 終わり、だな。


 声をかけようと、俺は姫乃に目を向けた。


「今週、新作のフェアを行います! お洒落で美味しいスイーツですので、是非足をお運びください!」


 最初と変わらぬ声量、最初と変わらぬ魅力的な笑顔で、姫乃はビラ配りを続けていた。


 冷たい風が髪をかき上げた。寒さに体が震える、いや寒さではないだろう。


 きっとこの感覚は俺しか味わえない。


 高圧的な態度をとることしか知らず、掃除をやらせても皿洗いをさせても不器用で満足にできず、その上、自分の非を認めずに当たり散らかす彼女は、この世界にいないのだから。


 妙な悔しさが湧き出すと、パチリ、とスイッチが入る音がした。


 どうしてこの頑張りを知る人は俺だけなのか。この感動を共有できる人はいないのか。俺には共有させることができないのか……と、危ない。


 息を吸う。冷たい空気で肺が満たされると、落ち着きを取り戻す。


 危ない、負けず嫌いのスイッチが入るところだった。


 難儀な性格だ。穏やかな生活を望んでいるくせに、ふとした拍子に苛烈になってしまう。


 はあ。ただでさえ、結衣と若菜に釘刺され、姫乃に落とされないよう一杯一杯だというのに、この性格にも付き合わないといけないなんて、ハードすぎる。


「理玖、そろそろ時間よね?」


 結衣の声で現実に意識を戻す。


「そうだな、帰ろうか」


 そう言った時、足元に何かが巻きついた。


「おにいちゃん、わたしにも折り紙ちょーだい!」


 見下ろすと、ちいさな女の子が足に抱きついてきていた。


「す、すみません」


 慌てた様子の母親らしき人が頭を下げる。


「いえいえ。可愛らしくて、むしろ癒されましたよ」


「おにいちゃん! 折り紙!」


「こ、こら! それは折り紙じゃないの!」


「え? 違うの?」


 可愛らしく首を傾げる女の子に、姫乃は屈んで目線を合わす。


「これはね、宝の地図なの。美味しいデザートの絵が描いてあるでしょ、これが宝物なんだよ」


「ほんとだぁ! すっごく美味しそう! ねえママ!」


 母親はにこりと微笑む。


「そうね。ちぃちゃん、ピアノ頑張っていたもの。今度一緒に行きましょうか?」


「うん!」


「チラシ、いただけるかしら?」


 俺は、もちろんです、とチラシを渡した。


「お姉ちゃん、お兄ちゃん、またねえ!」


 と元気に手を振る女の子に手を振り返しながら、姫乃の表情を窺う。笑顔だけれど、どこか寂しそうでもあった。


 声をかけようとしたが、喉元で止まる。


 まあ俺が口出すことじゃないわな。それに、わざわざ深入りしようとするのも、関わらないようにするって俺の目的からも離れるし。


「理玖、帰りましょうか?」


「そうだな」


 それから2人で店まで戻り業務を終えて、2日目は幕を閉じた。



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