第15話
木曜日、課題二日目。
昨日よりも喫茶店に人の出入りは多く、姫乃は真面目に働いている。
共通ルートでは、ダメダメだった姫乃だが、
「ご注文は何になされますか?」
「えっと、ブレンドで」
「かしこまりました。マスター、ブレンド一つお願いします!」
とテキパキ注文を受け付け、
「お会計ですね。520円になります。ありがとうございました!」
と愛嬌のある笑顔を浮かべ、
「今週の土日、新メニューのデザート、カッサータが発売されます! すごく美味しいので、よろしければ是非お立ち寄りくださいね!」
なんて、宣伝まで器用にこなしている。
何だかひどいズルを見ているような気がする。実際に本人の努力で成長したので、ズルではなく正統なものなのだけど。
しばらく働き続け、店内から客が消えると、マスターは喜色満面で俺たちに声をかけた。
「いやぁ〜、ご苦労様! 学園からお金をもらえる上、こんなにも素敵なバイトが働いてくれるなんて、ぼかぁついてるなぁ!」
「素敵だなんて、ただ当たり前のことをしているだけですわ」
そう。当たり前ではあるのだけれど、お前が言うな、と言いたくはなる。
「当たり前なんかじゃないよ! いやぁ、2人ともよく働いてくれてるし、休憩に珈琲でもどうかな? 今すぐ、淹れるよ!」
「まあ、素敵。ではお願いします、理玖は?」
「え、ああ、俺もお願いしてもいいですか?」
マスターは「もちろんだよ、じゃ、バックヤードで待ってて」とキッチンに向かっていった。
俺と姫乃は頷いて、バックヤードに行き、テーブルの下から椅子を引いて座る。
「いい感じに働けてるわね」
雑談を切り出されたので、同じテンションで話す。
「そうだな、順調って言っていいと思う」
「うふふ、前の私からすると、我ながらあり得ない話ね」
そう言って、姫乃は何かを思案するように斜め上を向いた。
「どうしたの?」
「え? ああ。少し、これでいいのかなぁ、なんて」
「どういうこと?」
「こうすれば上手くいくのは知っていたから、前と同じ方法をとってみたのだけれど、これでいいのかしら?」
それの何がダメなんだろうか、と首を捻ると、姫乃は笑った。
「ほら、お母さま。私が頑張ることを望んでないから」
「ああ」
姫乃ルートの話を思い出して、俺は納得した。
ゲームでの姫乃は、雪城家の現当主、姫乃のお母さんに、何を頑張っても、どんなことをしても、才能ないからやめなさい、などと冷たくされたことしかなかった。
だから姫乃は、『母が冷たいのは私が雪城家の跡取りに相応しくないからだ』と、跡取りと認めてもらおうと、母に褒められようと、母に愛されようと、この学園の課題に必死に取り組むことになる。
だがのちに、実は、姫乃のお母さんは娘を大切に思っていて、厳しい世界に身をおく雪城家の頭首になってほしくない、という思いから、認めるそぶりを出さず、姫乃がなろうとしないように冷たくしていたということが判明するのだ。
ありきたりな展開だが、そんなことはどうでもよく、姫乃が好成績を修め、雪城家の当主に近づくことをよく思わないのは、そういう理由だ。
「じゃあやめる?」
姫乃は首を振る。
「やめないわ。いい成績をとりたいのは性だし、若菜にも結衣に負けるつもりはないもの」
「そっか」
「ええ、少し思うところがあっただけ。ふふっ、やっぱり、理玖は優しい、ちゅき」
姫乃がそう言って、蕾が綻ぶような笑顔を浮かべた。
その笑顔はあまりに魅力的で、息をするのも忘れるほど。
「理玖のことが好き、大好き、好きが止まらない」
好きの一つ一つに思いが乗っかっていて、心がぐらぐらと揺らぐ。
そんな中、姫乃の綺麗な瞳に視線を捕まえられる。
見つめ合い、メロンのような瑞々しい甘い空気が流れ、胸がドキドキし出す。
「えへへ、理玖を落とす方法を沢山考えてきたのに、何一つ浮かばない」
はにかむ姫乃は、雪溶けた春のような柔らかい魅力がある。
「ねえ、理玖、頭撫でて?」
すっと前屈みにして差し出された頭に触れる。指の間を艶やかな黒髪が滑り抜け、もっと触りたいと手を動かした。
すると姫乃は、くすぐったそうに、嬉しそうに身をよじる。そんな仕草を愛しく思う感情が湧き出す。
甘い気分になってきて、ふわふわと浮つく。
今なら、何を言われても二つ返事で頷いちゃうだろうな、と思ったところで、我に返り、手を離す。
危ない。またギャルゲーヒロインの美少女力にやられるところだった……。
「2人とも、コーヒー淹れてきたよ……って、え? 何? ご、ごめんなさい!」
良いとこを邪魔されたと睨む姫乃に、マスターは謝った。
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