第5話
入学初日の本日は午前授業。
友達ができた皆様は友達と食堂へ行き、出来なかった者は枕を濡らしに寮へと帰っていく。
俺は、というと、結衣に捕まり、お弁当を食べに屋上へ無理やり引っ張られていた。
「お昼ご飯、楽しみだね」
「ソウデスネ……」
「理玖の好きな甘じょっぱい卵焼き作ってきたからね。ふふっ、懐かしいなぁ、理玖のお弁当を作ろうとして『ア、アンタの好物ってなに?』ってぶきっちょに聞いたっけ」
「あはは……そうだったね〜」
とこめかみに冷や汗が流れるの感じながら、無理やり笑みを浮かべる。
甘じょっぱい卵焼きは、湊理玖が来日して初日に食し感動を覚えた大好物。俺も好きなのだけれど、まったくそそられない。
それも当然、関わりたくないという思いに加えて、気まずさがある。結衣には素敵な思い出なのだろうけど、俺には『あ、こいつどうせ弁当作ってくんな』という画面外で冷めていた思い出しかないのだ。……うん、罪悪感で胸が痛い。
「ん? どしたの?」
どうやら顔に出ていたようで、階段を上りきった結衣が、ひょこ、と背を曲げて俺の顔を覗き込んできた。
「い、いや何でもないよ。屋上に行こう」
俺も階段を上りきって、屋上への扉を開く。
「うわっ」
抜けた青空が視界いっぱいに広がっていた。
出てみると、少し冷たい風に肌を撫でられて爽快な気分を味わう。柔らかい春の日差しも眠りたくなる暖かさで、立っているだけで気持ちいい。
舞い上がった桜の花びらがくるくると目の前を通り過ぎる。追いかけるように際まで行って見下ろすと、広大な学園の至る所に咲く桜に目を奪われた。
知らずして開いていた口を閉じようにも閉まらないので、口元を手で抑える。いや、綺麗、と、そんなちんけな感想を口に出すことが憚られたのかもしれない。
少し視線を上げてみると、遠くに混み込みとした街並みが見えた。この学園は山の上にあり、そしてその屋上はこのあたりで一番高いところにある。どうして何でもない風景であっても高いところから見下ろすと絶景に思えるのか、そんな謎が深まる景色に感嘆のため息を漏らす。
「どしたの、理玖?」
「いや、景色が綺麗だなって」
「何度も屋上きてるのに。理玖ってば、可愛いなぁ」
鈴が転がるような笑い声をあげる結衣。彼女の笑顔はあまりにも屋上の景色に映えていた。絵画を切り取ったよう、なんて月並みな表現が似つかわしい。人を虜にするためだけに作られた青春アニメ映画のワンシーン、ろくな青春を送ったことがない人が見れば、何日も鬱屈とした気分に苛まれるような魅力がある。
心臓が高鳴る。バクバクと脈を打つ。
そうだ、よくよく考えてみなくとも、ゲーム世界のヒロインが現実にいるのだ。魅力溢れる彼女の虜にならないなんて現実的じゃない。
「さぁ、ご飯食べようよ」
屋上のベンチに座った結衣にちょいちょいと手招きされ、おそるおそる隣に座ると、桜に引っ張られて甘い香りが鼻腔をくすぐってきて、心臓の鼓動がさらに早まる。
「今日入学式だったけどさ、理玖は緊張しなかった?」
「いや、別に。流石に2回目だったし」
「えー、私は緊張したんだけど、ずる〜い」
なんて何気ない会話は次から次へと風に運ばれていく。
言葉を口にする。言葉が耳に届く。それだけで、林檎のような瑞々しい甘酸っぱい空気が流れてくる。
開放的な屋上がそうさせるのだろう。気分は高揚していた。だから、肩を寄せてくる結衣に俺も肩を預けた。
華奢で柔らかな女の子の体が触れる。体温が伝わってきて心地いい。このまま溶けてしまいそうなそんな感覚に陥った時、結衣が箸につまんだ玉子焼きを差し出してきた。
「あ〜ん」
口を開けて迎え入れる。しょっぱさはなかった、代わりに、綿菓子のような甘さがあった。
結衣が、えへへ、と笑うと、触れた肩の温度が上がった気がした。流れる空気もキャラメルを転がしているような甘い空気になる。
……そうだよ。ちゃんと生きている人間。現実の魅力溢れる美少女。怖がっていたけれど、甘い生活を送るのはいいかもしれない。
そう思った時、屋上の扉が開いた。
「……何してるの、理玖くん?」
出てきたのは、本来、屋上で向日葵を抱いているのが似合いそうな美少女、今は凍てついた笑顔の若菜だった。
「それに、結衣。何してんの?」
触れた肩が凍りつきそうになって、慌てて離れる。
「は? 若菜こそ何?」
どすのきいた声を聞いて思う。
あ、やっぱ勘違いだったわ。全然良くない。関わりたくない。
というか、この状況どうしよう。
「理玖?」
「理玖くん?」
やはり四月上旬の屋上は寒かった。
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