第4話


 教壇に立ったピシッとしたスーツ姿の教師が、厳格な雰囲気で告げる。


「諸君、入学おめでとう」


 にぎにぎ。


「早速、浮かれているところに、水を差すようなことを言うが、この学園に入学したからには気を引き締めてもらいたい」


 にぎにぎ。


「この学園は普通とは違う。君たち使用人クラスの生徒は、貴族クラスの方々の手となり足となる従者だ。君たちの恥は主人たる貴族クラスの方々の恥になるため、浮かれず、品格を持って行動するように」


 にぎにぎ。


 ……ずっと俺の左手を捕まえた結衣が、両指でにぎにぎしてくるんだけど。


 結衣を見る。すると、へへっ、と頬を染めて笑った。


 へへっ、じゃないんだよな。恋人なら『こいつぅ〜』となるだろうけど、今は他人。可愛らしさなんてなく、見知らぬ人に手をにぎにぎされる恐怖しかない。


 どうしていいかわからないから、そのまま放置しているんだけど、一向にはなされる気配がないし、どうしよう、本当に。


「えー、で、あるからして……」


 あ、先生がこっち見た。


「……気を引き締めて、学校生活を送るように」


 おい、先生目ぇそらしたぞ。


 いやまあそりゃそう。こんな真面目な話の最中に、ずっと手をにぎにぎしてるヤバい奴がいれば、見なかったことにしたくなる気持ちはわかる。


「ではこれから、入学式場の体育館に向かう。全員、ついてくるように」


 先生に従ってクラスメイトがぞろぞろと動き出すと、結衣も立ち上がった。


「私たちも、行こ?」


 小首を傾げる結衣の見た目はとても可愛い。銀髪がさらりと揺れるたびに輝き、青色の瞳の深さには呑まれそうになる。


 惚れてもおかしくないが、指の間にするりと指を滑り込まされて、他人に恋人繋ぎされた恐怖が勝ってそうはならなかった。


 いや、失礼か、流石に? 仮にとは言え、俺は未来では恋人やってるんだし。


「どうしたの?」


「いや、何でもない……いや、何でもないということはない」


「ん? なんか、変なとこあった?」


 あるだろ、入学式におてて繋いで入場って何? 6年生と1年生? てか、手を離してください。


 とは言えるはずがないので、


「ほら、手を繋いでるとこ見られるの恥ずかしいから」


 代わりにそう言うと、


「何言ってるの、理玖。皆の前で『結衣は俺の彼女だって知らしめてやる』って恥ずかしがる私の手を引っ張ったのは理玖じゃん、あぁ、あの時の理玖、格好良かったなぁ」


 と結衣は頬を染めて目を輝かせた。


 そうだった……。結衣ルートで俺は、文化祭を回るときにそんなことをしていた。


 何やってんだ、未来の俺……。


 ってあれ? 見られる?


 結衣と手を繋いでいるところを、姫乃に見られたらどうなるだろうか。


 ぶるり、と震える。


「結衣、ま、まだ手を繋ぐのは早いって」


「早い?」


「そう、ほら、えーと、あれ。また恋人未満の関係を楽しみたいって言うか、ね?」


「友達以上恋人未満……いいかも。昔の私は、理玖のことが好きなのに、素直になれなくて。でも理玖も私と同じだったんだ……嬉しい」


「そうそう」


 嘘である。湊理玖は、気持ちが抑えきれなくなった結衣の告白に、心揺り動かされて好きになる。だけど、手を離してくれたのだから、下手なことは言わないことにした。


 それから結衣の何でもない話を聞き流しながら、入学式会場にたどり着く。


「理玖ぅ、離れたくないよぉ」


「大丈夫、すぐにまた会えるから」


 別れを惜しむ結衣と入学式が終われば本当にすぐ会う約束を交わして、出席番号順に定められた自分の席に座る。


 席に座ってしばらくして入学式が始まったが、そんなの無視して、この状況どうしよう、と頭を悩ませる。


 姫乃も結衣も俺のことを恋人だと思ったまま、近づいてきてるよな……。


 関わりたくないが、こうなったら避けるのは難しい。


 仕方ない。もう、あなたたちとは関わることができません、と正直に言おうか。


 このゲーム、ルートに入らなかったヒロインたちには何も起きない。ルートに入らないことで最高の幸せはないかもしれないが、何も起きないのならそれなりに幸せだろうし、関わらないようにしようと言っても、案外文句は言わないかもしれない。


 よし、そう言ってみるか。シミレーションしてみよう。


『俺、君らを攻略したけど、今世では関わりたくないんだ』

『は? 死にたいの?』


 ……ダメだ。ミンチにモザイク、大量の鯉が口パクパクしてるところまで見えた。


 さらに嫌な想像は止まらず、俺のことを恋人だと思った2人が鉢合わせてしまう展開まで想像してしまう。


 どういう関係なの? と問い詰められたとき、どちらも俺の恋人でした、と事実を吐けば、俺はどうなるだろう?


 雪城姫乃。日本の財界、政界に大きな影響力を持つ、雪城家の未来の頭首。


 吉良結衣。一般家庭で育ち平民クラスにいるが、実は、このゲームにしか存在しないレシステンシアという国の姫君。


 浮気とかだと思われたら、消されてもおかしくない。


 しかもこのゲームのヒロインは三人。二股でさえ消される未来が見えているのに、三股ならどうなるだろうか……うん、恐ろしくて仕方ない。


 一旦、考えないようにしよう。メンタルがもたない。


 椅子に座り直し、顔を上げる。


 ちょうど新入生代表の挨拶の最中だった。


「私たちはこの三年という貴重な時間、部活動に、学業に、夢に、青春に、青春に、性春に日々精進したいと思います!」


 こんな挨拶だっけ……。


 舞台上の新入生代表を見上げる。


 黒に近い青髪の爽やかなショートカット。溢れ出るキラキラした雰囲気は、白い砂浜に青い海、真夏の太陽といった背景が見えるほど。貴族クラスだけれど、お嬢様感はなく、坂系の清純派トップアイドルのような顔立ち。しゅわしゅわのラムネをほっぺたにくっつけてきてニカっと笑う。そんな姿が似合いすぎる彼女は、ヒロインの如月若菜きさらぎわかなだ。


 あ。


 若菜と目が合った。


 遠くからでもわかる、熱っぽい重たい重たい愛情のこもった目。


 ……俺は俯いた。


 それから入学式の間ずっと俯き続け、式が終わると肩を落としたまま立ち上がる。


「理玖、帰ろ?」


「……うん」


 終わって即俺のところにきた結衣と歩き出す。こういうとこでも接近を許すほかなく、本当にどうすればいいのか頭を悩ませる。


「若菜、元気そうだったね」


 元気そう、それは未来から戻ってきたからこその言葉だろう。それにファーストネーム呼びの親しい感じも、共通ルートで若菜と課題に挑み、友達になった未来から帰ってきたからこそだろう。


「うん。まあ元気そうってのもおかしいけど」


「あはは、そだね。で、ところで理玖?」


 尋ねられたので、結衣に顔を向けた。


 そこにあったのは冷たい笑顔と、どす黒い闇の目。


「あの女狐、理玖に色目使ってたように見えたけど、あれ何?」


「……気のせいじゃない?」


 俺は結衣から顔を背けた。


 

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