第35話 クロスティーナさんの望み
SIDE:ウォード
ネロとラムルさんに先導され、王宮内を歩く。壁や天井は外側と同様に真っ白。足元は足首くらいまで埋もれそうな、毛足の長いワインレッド色の絨毯が敷かれており、それが延々と続いている。廊下にはこれ見よがしな美術品などはなく、所々に石の彫像が置かれているくらいで落ち着いた雰囲気だ。
「このままお母様の部屋に行くね」
「えっと、クロスティーナ様、だよね?」
「うん。その、お母様が変なお願いをするかも知れないけど、出来る限り聞いてあげて欲しいな」
「分かった」
5分ほど歩き、とある扉の前で立ち止まる。ラムルさんが扉をノックして声を掛けてくれた。
「失礼いたします。ネロ様とウォードさんをお連れしました」
すぐに扉が開く。真っ赤な髪をお団子に纏め、ラムルさんと同じような濃紺のメイド服に身を包んだ20代半ばに見える女性が俺達を部屋に招き入れてくれた。
「どうぞお入りください」
「ネロ様、私はここで」
「うん。ラムル、また後でね」
赤髪の侍女さんに促され、明るい陽の光が入る部屋を奥に進む。窓際には見た事もない巨大なベッドが置かれ、そこには黒髪の女性が横になっていた。
「お母様、ただいま戻りました」
「ネロ、お帰りなさい。よくぞ『ご主人』を連れて来てくれました。心から感謝します」
「遅くなってごめんなさい」
「大丈夫ですよ。その方が?」
俺は一歩前に出て、黒髪の女性によく顔が見えるようにした。
「は、はじめまして。ウォードと申します」
「ウォード……お名前はウォードさんと仰るのですね。クロスティーナ・イグニス=クトゥグァ、ネロの母で…………ご主人が前世で飼っていた黒猫です」
クロスティーナさんは、ネロと雰囲気がそっくりで、見た目は30代半ばくらいの美人さんだった。吸い込まれそうな金色の瞳は慈愛を湛えている。ただ、頬が少しこけ上掛けから出ている腕も折れそうな程細い。
「こんな格好でごめんなさいね」
「いいえ、とんでもない。お体の具合は大丈夫ですか?」
「ええ。まだ大丈夫です。マリアナ、お茶の準備をお願いね」
「かしこまりました」
俺達はベッドの脇に用意された椅子に腰掛けた。「まだ」? そんなに悪いのだろうか。確かに瘦せてはいるけど、声もしっかりしてるし元気そうに見えるのに。
「はぁ、ようやく会えましたね、ご主人……ご主人と呼んでも?」
「え、ええ、俺は構いません」
一国の王妃が子供の俺を「ご主人」と呼ぶのは少し居心地が悪い。だけど、クロスティーナさんは400年近く俺を待っていてくれたんだ。多少居心地が悪いくらい何だって言うんだ。
「そ、その……クロスティーナ様。長く待たせてしまってすみません」
俺が謝罪の言葉を口にすると、クロスティーナさんは目を丸くした。
「いいえ、謝るのは私の方です。間違って随分早く生まれてしまって……私が助けるべきだったのに、ご主人には辛い経験をさせてしまってごめんなさい」
謝罪合戦が始まりそうだったが、マリアナと呼ばれた赤髪お団子の女性がティーセットを運んで来てくれた。お茶を飲んでひと息つく。
「クロスティーナ様のせいじゃありません。どうかお気になさらず」
「私は……自分ばかり幸せだったような気がします。夫に出会い、ネロを授かって」
「俺は、ネロさんとラムルさんに助けてもらって、一緒に過ごせて、今幸せです。クロスティーナ様が幸せだったと聞いて安心しました」
途方もない時間待たせてしまったけど、その間幸せだったなら何よりだ。
「今日ご主人と会えて、唯一の心残りも果たせます。ご主人、私の隣に横になってくれますか? ネロもこちらに」
クロスティーナさんはそう言って、自分の隣をポンポンと叩く。一国の王妃の隣に横になっても良いのだろうか? ネロに目で問うと頷かれたので、上掛けを捲って俺はクロスグリースさんの左側に、ネロが右側に横になった。
「ご主人……前みたいに頭を撫でてくれますか?」
俺は言われるがままにクロスティーナさんの頭を撫でた。前世で黒猫のネロにやっていたように、ゆっくり優しく。反対側にいるネロは、クロスティーナさんの肩に頬を寄せて目を閉じている。
「はぁ……またご主人に撫でてもらえるなんて夢のよう……」
クロスティーナさんの体温が伝わってくる。前世で、眠っているといつの間にか布団に潜り込んでいた「ネロ」を思い出した。
「俺……前世で『ネロ』がいてくれたから寂しくなかった。辛い事もあったけど、『ネロ』の顔を見たら全部吹き飛んだ。『ネロ』は俺に助けられたと思ってるかも知れないけど、助けられたのは俺の方なんだ。『ネロ』と過ごした3年間は、本当に幸せだったよ。ありがとう、『ネロ』。この世界に生まれてくれて、こんなに長い間待っててくれて、本当にありがとう」
気付けば俺の両目からは涙が流れていた。
「ご主人……また『ネロ』と呼んでくれた……」
クロスティーナさんは、頭を撫でていた俺の左手を掴み、自分の胸の上に置いた。その瞬間、俺に中に力が流れ込んで来るのを感じる。
「うっ!?」
今まで感じた事のない、圧倒的な力の奔流。体中の血管に熱湯を注ぎ込まれるような感覚に襲われる。これはアシグナシオンか!?
今の状態のクロスティーナさんがアシグナシオンなんかして良い訳がない! しかも、こんな……命を燃やすようなアシグナシオンは駄目に決まってる!
止めさせたいのに声が出せない。手を振り解こうとしても力が入らない。
焦る俺の頬にそっと手が乗せられる。それは、クロスティーナさんの向こうから伸ばされたネロの手だった。ネロの目からは大粒の涙が溢れている。
「ウォード、これがお母様の望みなの。受け取って、あげて……」
そんな……そんなの嫌だ! やっと会えたのに。ずっと待っててくれたのに。もっと一緒にいたい。もっとありがとうって伝えたい。どれくらい大切に想っていたのか伝えたいのに。
どれだけの時間そうしていたのだろう。何時間も経った気もするし、5分くらいだったかも知れない。気付けば俺に流れ込んで来る力が消えていた。
「う、うぅ……ふぐぅ……」
ネロの抑えた嗚咽が部屋に響く。俺の頬に乗ったネロの手から震えが伝わって来る。
クロスティーナさんは、残った力を全て俺に譲り渡し、さよならも言わせてくれず静かに息を引き取った。
それから数時後。俺は別室に寝かされていた。
あれから、マリアナと呼ばれた侍女とラムルさんがクロスティーナさんの部屋に駆け付け、ラムルさんに抱かれて俺は今の部屋に連れて来られた。
俺は強烈なアシグナシオンの反動で動けずにいる。前にラムルさんから受けたアシグナシオン以上に、全身の筋肉が千切れたんじゃないかというくらいの激痛に苛まれながら、自責の念に捉われていた。
俺がここに来なければクロスティーナさんはもっと長生き出来たのではないだろうか。俺が来てしまった事でネロからたった一人の母親を奪ってしまったのではないだろうか。俺は会いに来ない方が良かったのではないだろうか……
痛みが少し収まった頃、赤く目を腫らしたネロが様子を見に来てくれた。
「ウォード、体は大丈夫?」
「うん……痛いけど死ぬ訳じゃない」
「そっか。ありがとうね、ウォード。お母様の最後の望みを叶えてくれて」
「…………ネロ、俺は……俺のせいでネロのお母さんを死なせて――」
ベッドの縁に座ったネロは、俺に最後まで言わせてくれなかった。
「それは違うよ? あれはお母様の心からの望みだったの。ボクは、こうなる事が分かっててウォードをここに連れて来た。責められるべきはボクなんだ」
俺は自分を責めるばかりで、ネロの気持ちを考えていなかった。自分の母親の死に手を貸すような形になったネロは、俺以上に自分を責めているだろう。
俺は、実際に千切れてるんじゃないかと思える腹筋になんとか力を入れて上半身を起こし、ネロの体に両手を回した。折れそうな程細いネロの背中は小刻みに震えていた。
「ネロ。クロスティーナ様の想い、しっかり受け取ったよ。俺、強くなるから。強くなってネロを絶対守るから」
「うん……うん……」
俺達はそのまましばらく抱き合いながら、静かに涙を流していた。
――――――――――――――
ここまでが第一章となります。
第二章は短編公開後に開始いたします。
しばらくお待ちくださいませ。
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