第25話 この世界にある筈のない物

「ウォード? どうしたの?」

「ウォードさん? 大丈夫ですか?」


 自販機と自転車の残骸を見つけてしまった俺は気が動転していた。そんな筈はないのに、空から落ちてきたのかと上を見上げてみたり。手の込んだドッキリを疑って、木々の間にカメラを探してみたり。


 プラネリアの背から突然降りた俺にネロとラムルさんが何やら声を掛けているが、何を言っているのか頭に入って来ない。


 自販機は横倒しの状態で斜めに埋もれている。飲み物の見本が陳列される透明の部分は曇り、中が全然見えない。少し掘り返してみようと思ったが、周りの土はかなり硬かった。とても手で掘れそうにない。


 自転車は後輪の方が見えており、半分以上が土に埋もれている。タイヤのゴムは無くなりチェーンも外れている。あちこち歪んでいるから自転車としての用を成さないだろう。これも引っ張ってみたがびくともしなかった。


 前世の日常で、自販機と自転車を見かけない日などあっただろうか? これが日本の物かは分からないが、二つとも余りにもありふれていて、意識して見る事もないくらいだった。


 それが、この異世界で、強烈な存在感を放っている。ネロとラムルさんには、これが何か分かっているのだろうか? 見慣れた物? それともただのゴミのように見えてる?


 俺の頭は大混乱していた。自販機と自転車が示す可能性、それは――


 ここは地球なのか? 見た感じ、二つとも随分長くここに埋もれているようだ。だとしたら俺が死んでからかなり経った地球なのか?


 いや、その可能性は限りなく低い。月が三つあるし、この大陸は縦に長い菱形だと聞いた。地球で見える月は一つだし、縦長で菱形の大陸なんてない。


 なら、俺と同じように地球の記憶を持つ誰かが作った? いや、百歩譲って自転車は分かる。人力の移動手段として便利だし。だけど自販機はない。そもそも電気、というかそういうインフラがないし、自販機で売るような缶や瓶、ペットボトルなんかも見た事がない。


 すると、今考えられる可能性は一つ。これは地球からものだ。


 どうやって来たのか、何故来たのかは全く分からない。ああ、もう一つ、俺が勘違いしてるだけで、これらは自販機と自転車に凄く似てる別の何かって可能性もあるか。いや待て、もしかして俺は死んでなくて、この8年間は全て夢で、本当は病院のベッドで眠っているとか?


 そうだ、まずはネロとラムルさんに聞いてみよう。二人はこれが何か知っているかも知れないじゃ――


「ウォード、危ない!」


 ネロの叫び声で現実に引き戻される。俺の右ではネロが、左ではラムルさんが、前方ではプラネリアとマフネリアが何かと激しく戦っていた。


「うぐっ!」


 右肩から背中にかけて激しい衝撃を感じて吹き飛ばされる。衝撃の次に猛烈な痛みが襲って来た。地面に転がされた俺は何とか仰向けになって攻撃者を確認した。逆光でよく見えないが、シルエットは大型の熊のようだった。


「ウォードーっ!」


 そして見えたのは熊が右腕を振り上げた所。そこで俺の意識は途切れた。





 目を覚ました時、俺はいつもの宿の、いつものベッドに横になっていた。いつもと違うのは、ネロが隣にいない事だった。


 夢だったのかな? 森で自販機と自転車を見つけた事や、熊みたいな奴に襲われた事も。


「ウォードさん、目が覚めましたか? ネロ様をお呼びしてまいりますね」


 少し離れた椅子に座っていたのはラムルさんだった。俺が声を掛ける前に部屋から出て行ってしまった。窓の外は暗い。今何時だろう? 俺は無意識にスマホを探し、ここが異世界でスマホなんてない事に気付く。あんな夢を見たせいで、この世界と地球がごっちゃになっているようだ。


 体を起こすと、右肩から胸にかけて包帯が巻かれていた。それを見た瞬間、記憶が蘇る。


 違う! あれは夢じゃない! 自販機と自転車も、熊に襲われたのも。


「ウォード……」


 部屋の入口には、これまで見た事もないくらい憔悴したネロが立っていた。後ろにはラムルさんもいる。ネロはいつも眠る時に着る、薄いブルーのネグリジェの上に白いカーディガンを羽織っていた。ラムルさんは安定のメイド服である。


「ネロ……ど、どうした、の……?」


 自分の声がびっくりする程掠れている。ラムルさんが水差しからコップに入れた水を渡してくれた。


「ラ、ラムルさん、ありが、と」


 俺は水を飲み、乾いた喉を潤した。ネロがフラフラとした足取りで近付き、俺の頭に両腕を回し、そっと胸に包んだ。


「ウォード、良かった……」


 俺の頭に、温かい雫が落ちる。


「ネ、ネロ!? 泣いてるの?」

「ウォードさん、あなたは三日間眠っていたのです」

「三日も!?」

「ウォード、ごめんね……ボク、ちゃんとキミを守れなかった……」

「私もです、ウォードさん。本当に申し訳ございません」


 泣いているネロに代わってラムルさんが説明してくれた。


 あの自販機と自転車(ラムルさんは『邪神の遺物』と呼んだ)を見つけた場所で、突然50体を超えるモンスターに襲われたらしい。ルーンウルフの群れとワイヤードグリズリーの群れだったそうだ。どうも、ルーンウルフがワイヤードグリズリーを狩ろうとしている所に俺達が巻き込まれたらしい。


 どちらもAランクのモンスターで、人族の領域に近い場所まで来る事は滅多にないそうだ。恐らくスタンピードが原因で餌となる動物やモンスターが減り、あんな場所で遭遇したのだろう。相手がAランクだからか直前まで気配に気付けず、突然戦闘になったと言う事だった。


 二人は目の前に現れたルーンウルフとワイヤードグリズリーを次々に倒したが、いつの間にか俺の背後に1体回り込んでいた。俺はそいつの爪で右肩から背中にかけてザックリやられたのだった。止めを刺される寸前に、ネロが助けてくれたらしい。


 だが、思いのほか傷が深くて、ラムルさんの手持ちのポーションでは完治させる事が出来なかった。急いでコルドンに戻ったが3時間程の間に傷が悪化してしまった。


 モンスターの爪にどんなものが付いているか分からないもんな。恐らく破傷風のような症状になったんだと思う。意識がないまま全身の痙攣を繰り返し、高い熱が出たそうだ。


 ネロは寝ずに看病してくれていたらしい。俺の症状が落ち着いたから、ラムルさんが無理やり休ませていたんだって。


「ネロ……心配かけてごめんなさい」

「ううん、いいの。ボク、ウォードが死んじゃうんじゃないかって……こんな小さな体で苦しそうにしてて……でもこうやって目を覚ましてくれて本当に良かった……どう? どこか具合が悪い所はない?」

「うーん……腹が減った?」


 俺の空腹宣言で、ようやくネロとラムルさんが笑ってくれた。


 俺のせいで、二人に物凄く心配をかけてしまった。ネロはたった三日で頬がこけたように見えるし、ラムルさんも目の下にうっすらと隈が出来ている。俺が、あそこで見付けた物に心を乱されて、周囲への警戒を完全に忘れ、物思いに耽った挙句モンスターに大怪我を負わされ、結果的に二人をこれ程までに心配させる事になったのだ。


「全部俺が悪い。あんな場所でボーっとしてしまった事、モンスターに気付かなかった事、そのせいで二人に心配かけちゃった。ネロ、ラムルさん、本当にごめんなさい」


 俺は二人に向かって深く頭を下げた。自分の弱さと馬鹿さ加減に心底嫌気がさす。守るって決めた二人をこんなに心配させてどうするんだ? ウォードのバカっ! アホっ! 俺は何でこんなに弱いんだ。


 知らず知らずのうちに涙が頬を伝わった。それは二人への申し訳なさと悔しさの入り混じった涙だった。


「ウォード、泣かないで……」

「ウォードさん、悪いのは私なんです……」


 俺は二人に抱きしめられながら、大声を上げて泣いた。三人で抱き合いながら、三人それぞれが涙を流していた。

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