第16話 ネロさんの事情

SIDE:ネロ


 その日の夜、ボクは火焔神龍国へ向かう事にした。本当はもっと早く行かなければならなかったんだけど先延ばしにしていた。ウォードの成長を見るのが楽しくて、目が離せなくなってしまったのだ。


 あの鉱山から助け出してもうすぐ2週間。たったそれだけしか経ってないのに、驚くべき成長スピードだ。確かにアシグナシオンはしたけど、本当に僅かしか力は分けてない。龍属性を得た人族はみんなあんなに凄いのかな? 龍気の使い方も独創的で、戦いの中でとても上手に使っている。火魔法なんか、使えるようになったばかりだと言うのに夕方見た威力にはびっくりしたよ。


 ボクはいつもの東門じゃなく、南門に向かった。なるべく人気のない所まで行って龍化する為だ。


 コルドンの町の近くで龍になったら大騒ぎになっちゃうもんね。それに、一度服を脱がなきゃいけないから誰かに見られたら恥ずかしいっていう理由もある。火焔神龍国の王都までは走竜の足で5~6日かかるけど、龍になって飛んで行けば5時間で着く。全速力なら3時間くらいだ。


 南門から街道を逸れて1時間ほど歩くと、人気のない森に到着した。もう夜だし、ここなら龍になっても人目につかないだろう。ボクは着ていた服を全部脱いで鞄に入れた。それを首に掛けて龍化する。鞄の紐は一種の魔道具で、大きさに合わせて伸びるので首が締まったりする心配はない。


 ドラグーンの龍化した姿はドラゴンとは全然違う。ドラゴンは胴体がふっくらしていて後ろ足が太いスタイル。ドラグーンの胴体は蛇のように細く、手足も細長い。ドラゴンの翼には鱗がなくて蝙蝠みたいだけど、ドラグーンの翼には体と同じように鱗がある。ボクの鱗は炎のように真っ赤だ。


 龍化したボクは最初だけ全速力で空の高い場所を目指す。人の目には速過ぎて何が天に昇ったか分からないだろう。超高空まで行けばもう人目は気にならない。通常スピードで王都を目指す。


 東の空に三角形の形で大・中・小と三つ浮かぶ青白い月に向かって飛びながら、ボクはお母様から聞かされた話をまた思い出していた。幼い頃から何度も何度も聞いた話だ。


 それは前世でお母様が「ご主人」と出会った話。


 お母様には前世の記憶がある。しかも、こことは違う別の世界の記憶だ。その記憶はとても短いんだけど、お母様にとっては何物にも代え難い大切な記憶なんだって。


 冷たい雨が降る日、暗くて寒くてお腹が空いて、寂しくて心細くて、そのまま死んでしまうんじゃないかって思っていたそうだ。誰かに見つけて欲しくて、最後の力を振り絞って鳴き声を上げた時、お母様は初めてご主人に会った。ご主人はお母様を見つけた時、少し困ったような、それでいて優しい目をしていたそうだ。


 ご主人はお母様を自分の家に連れて帰り、少し温めたミルクをくれた。汚れた体を丁寧に拭いて、暖かくて柔らかい寝床を作ってくれた。その夜、お母様は久しぶりに安心して眠れた。


 目を覚ました時はご主人が居なくて、また心細くてたくさん泣いたんだって。泣き疲れて眠っていると沢山の荷物を抱えたご主人が帰って来て、今度はミルクとご飯を用意してくれた。お母様はご主人が戻って来てくれたのが嬉しくて、ご飯を食べるのも忘れてご主人の膝に飛びついたそうだ。


 そして、ご主人はお母様に「ネロ」という名前を付けた。ご主人が呼ぶ「ネロ」という言葉の響きが心地よくて、お母様はその名前を凄く気に入ったんだ。


 ご主人は朝早くから出かける日が多くて、そんな日は寂しくてご主人の匂いがついたシャツやタオルに包まって眠っていたらしい。そのうち、夜には必ず帰って来る事が分かった。ご主人は家に帰るとお母様をいっぱい構ってくれたそうだ。


 お母様が何かを倒したり壊したりしても、ご主人が怒ることはなかった。大きな声を出すこともなく、それよりもお母様を心配してくれたんだって。大丈夫か、怪我はないか、って真剣に心配してたらしい。どこも怪我してない事が分かると、とても優しい顔で頭を撫でてくれたって。


 色んなオモチャを買ってくれたり、お母様が遊べる場所を作ってくれたりしたけど、お母様は結局ご主人の膝の上が一番好きだった。落ち着いた低い声でその日あった事を教えてもらいながら、優しく撫でてもらうのが最高だったんだって。


 ご主人が一日中家に居る時はずっと遊んでくれたそうだ。


 その時のお母様にとって、世界はご主人の部屋の中だけ。会う人はご主人だけ。そんなとても小さな世界だったけど、お母様は幸せだった。


 変な話だけど、猫だったお母様はご主人のことをお父さんのように愛していた。


 世界一優しくて、頼りになって、自分を愛してくれるお父さん。昼間どこかに行って夜帰って来たら、ずっとご主人の傍から離れたくなくて、寝る時も布団に潜り込んでご主人の温もりを感じながら眠った。


 一緒にいた時間はたった三年くらいだったけど、お母様にとっては夢のような時間だった。死にかけていた所を見つけてもらって、ご主人と出会ってからは心から幸せだったと言ってた。


 でも、そんな日々は続かなかった。ある日突然終わりを告げた。


 ご主人が死んでしまった事を知ったお母様は、自分も死ぬ事を願った。ご主人に受けた恩を全然返してない。ご主人から貰った幸せを全然返せてないって思った。そして神様に強く願ったそうだ。またご主人に会いたい。次会う事が出来たらご主人のために出来る事は何でもしてあげたい、って。


 そして気が付いたら、この世界でドラグーンとして生を受けていたそうだ。


 神様の手違いか、それとも気まぐれか、お母様が生まれた時、この世界にご主人は生まれてなかった。それどころか、二度と会えないかも知れないと思っていたそうだ。でも自分がこの世界に生まれた事にはきっと意味がある。だから、いつか出会うかも知れないご主人が前世を思い出したら、一緒に過ごした黒猫の事も思い出してもらえるようにと願い、自分の娘に「ネロ」と名付けた。


 8年前の神託でお母様の待ち人がこの世界に生まれた事を知った時、ボクは7歳だった。お母様はすぐにでもご主人に会いに行きたがったけど、丁度その頃台頭してきた「デモニオ」との争いのせいで傷を受け、自由に動く事が出来なくなってしまった。


 物心ついた時からお母様とそのご主人の話を聞かされ、ボクはこの世界に転生したご主人の事が気になって仕方なかった。いや、もっとはっきり言うと、会った事もないご主人の事を、ボクは好きになっていた。物語の主人公を好きになってしまうように。


 2週間前、そのご主人が死にかけているという神託を聞いた時、身動きが取れず床に臥せっているお母様の代わりにボクがご主人を助けに行ったのは、ごく自然な成り行きだった。


 そして出会ってすぐ、ボクはそのご主人――ウォードに本物の恋をした。


 まだ8歳の男の子に恋するなんておかしいかも知れない。お母様のお話を聞いて夢を見てるだけかも知れない。

 でも、あの真っ直ぐで優しい瞳、強くなる事へのひたむきな姿勢、ボクとラムルを守ると言ったあの言葉。それだけで、ウォードは間違いなくお母様が愛した「ご主人」なんだって分かった。


 そんなウォードを、ボクは自然と愛してしまったんだ。


 ボクは、お母様に報告するために夜空を駆ける。お母様が前世で愛した人を無事に助けたこと。お母様から聞かされた通り、いやそれ以上に素敵な男の子だってこと。そして、ボクが彼を愛してること。この先、ずっと傍で彼を守り、支えたいと思ってること。


 お母様が何て言うか分からない。お父様は、まあ、好きにしろって言うだろう。王女と言っても形式的なものだしね。


 でもボクはもう決めたんだ。ボクは自分がしたいように生きる。それが、ウォードの傍にいるって事なんだ。

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