48 結
バイクに揺られ、漆原均に連れて行かれたのは居酒屋だが、何故か鮒寿司(卵の入ったメスのフナを腹開きにし、腹腔内に塩を詰めて数ヶ月から一年ほど塩漬けにする熟れ寿司の一つ)が品書きにある。
だからそれを注文し、釣られるように地酒を頼む。
わたしはまだ未成年だが、日本酒を飲んだのは初めてではない。
だが飲めば酔うということに理解がない。
それで酔う。
わたし同様杯を重ねる漆原均に、
「ねえ、バイクはどうするの」
と問うと、
「下宿が近いから」
という返事。
「じゃあ、わたしはどうするのよ」
「蓮見さんの家は遠いの」
「ここって何処……」
「JR・N線のS駅が近いかな」
「それなら一時間までかからないわね」
「送って行くよ」
「送り狼はゴメン」
「じゃあ、駅まで」
「ストークしないでよ」
「残念ながら、その趣味はない」
「そう」
最初は時間を気にしていたが、そのうちどうでも良くなって来る。
漆原均は伊勢くんではないが、隣にいて不快ではなかったから。
それでゆっくりとだが酒が進む。
頭の奥では危険信号が点滅していたが、気づかないことにする。
「蓮見さんはワラスボがあったら食べたい」
「エイリアンはたぶん苦手。食べたことないけど。それならカラスミがいい」
店にカラスミはなかったが、珍味的なものに拘ったせいか、お腹にモノがはいっていない。
それで、さらに酔いが進む。
漆原均が心配したくらいだ。
「蓮見さん、やっぱり休み中に何かあったんでしょ。……らしくないよ」
「いいの、わたしは毀れたから。もう元には戻れないから」
自分で話す言葉の意味が自分でわからない。
そんなことは、これまでなかったはず。
「もう止めて帰ろう」
「まだ九時にもなってないから」
「明日は実験のある日だよ」
「わたしは才能がないからなあ」
漆原均に引き摺られるようにして居酒屋を出る。
わたしはほとんど眠っている。
漆原均が悪人ならば、わたしを襲うには良い機会だ。
「電車は無理だな。ウチに連れてくよ」
「はい、仰せのままに……」
そこから先の記憶がないが、目覚めたときは裸ではない。
ただし時計は外されていて、時間がわからない。
布団の上にいて、毛布をかけられている。
辺りは暗いから、まだ夜明け前だろう。
ムクリと起き上がると気配がある。
漆原均が気づいたようだ。
影が近づく。
「ゴメン。醜態だったでしょ」
その影に言うと、
「いや、誘ったオレが悪かったから」
困った顔が浮かぶような返事。
「言訳はしないけど、わたし毀れてるんだ」
「どうもそうらしいね」
「理由を聞かないの」
「話したいならば、どうぞ」
「じゃあ、言わない」
しばらく沈黙。
けれども、わたしの次の言葉は決まっている。
「帰るわ。この埋め合わせは、いずれまた」
「始発はまだだよ」
「そうか。……迷惑ついでに送ってくれない」
「蓮見さんが何を考えてるのか、さっぱりわからないな」
「抱きたいなら、そう言って。わたし、未経験者じゃないから」
「ますます蓮見さんがわからないよ」
そう言い、漆原均が電気を点ける。
「送るよ。明日は午前中休んだら」
「大丈夫。今日は失態だったけど、わたしルーティンはこなせるんだ」
すると漆原均は首を左右に振り、ヤレヤレという表情でわたしを見つめる。
「蓮見さんに惚れそうだ」
「ありがとう。でも、わたしの方は漆原くんにトキメキがない」
「この先も」
「今のところは、たぶん」
「そう。……じゃ、行きましょうか。時計はテーブル。リュックは玄関。トイレは……」
「借りる」
数分後、闇夜の中を二人乗りのバイクが走る。
わたしのアパートに近づく頃に少しだけ明るくなる。
だから、
「ありがとう、漆原くん。ここまででいいわ」
わたしがさらに我侭を言う。
それを漆原均が寛容に受け止める。
「気をつけて帰ってね」
最後にわたしが言うと、
「それはこっちが言う台詞だよ。じゃあ、数時間後に……」
漆原均が言い、ヘルメットを被り直して後腐れなく去る。
わたしは男運には恵まれているらしい。
それとも逆だろうか。
そして気づけばビル街に天使がいる。
わたしの目には、そう映る。
あのときには気づかないが木槐が消えている。
いや、生息場所を移動したようだ。
(第四章/終)
(了)
木塊 り(PN) @ritsune_hayasuki
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