46 能

「それって、どういう……」

「わたし、不思議な能力を持っているらしいのね。まあ、能力っていうほど洒落たモノじゃないけど。わかるのよ。その人の感じている世界みたいなものが……」

「……」

「紗ちゃんになら言うまでもないけど、人はそれぞれ自分の意識の中でしか生きられない。もちろん外界がないとか、そんなことを言ってるんじゃないわよ。それぞれの人の心の話」

「はい」

「紗ちゃんは理系の娘だけど、いえ、だからこそ、観測されたモノは信じるでしょ」

「はい」

「だからわたしにはそれが何かはわからないけど、紗ちゃんが何かを見ることはわかる。それが紗ちゃんの感じている罪悪感と関係するかどうか、それもわたしにはわからないけど、でも無関係でもないことがわかる」

「そうなんですか」

「そうよ。でも違うかもしれない。わたしにはわからない。わからないけどわかる。矛盾ね」

「いえ、わかります。わたしにもわからないけれど、よくわかります。でも、それが何かはわかりません」

「そしてね。紗ちゃんは大きな流れの中に入って行く」

「大きな流れ……」

「そう、大きな流れ。だけど、わたしに見えるのはそこまで。後は紗ちゃんが自分で見るしかない」

「はい」

「恋人の死を嘆いている時間はないかもね」

「わたし……」

「どう、まだ涙が出る」

「いえ、幸か不幸か、枯れたようです。だけど……」

「無理しなくていいのよ。わたしの可愛い紗ちゃん」


 そう言い、透さんが両手できつくわたしを抱きしめる。

 強く、強く……。

 わたしは為すがまま、抱きしめられる。

 すると感じる。

 透さんの気配の中に伊勢くんがいる。

 遠いけれど、間違いなく伊勢くんがいる。

 伊勢くんのいる場所からもっと遠くには、かつてわたしが愛した男たち全員がいる。

 それぞれの遠さを維持しながら……。

 きっとわたしは自分自身の心の中を見ているのだろう。

 透さんが言う不思議な能力を通しつつ……。

 鏡に映った自分の顔は、自分が意識して知っている自分の顔より鮮明だ。

 透さんの心を通し、わたしは自分の知らない自分を垣間見ているのかもしれない。

 さらに、そのずっと遠くにいる自分のことを……。


「ありがとう、透さん。もう大丈夫」


 わたしは感謝の気持ちを込めてそう言うが、透さんには聞こえないようだ。

 瞬間、わたしは厭な気持ちに包まれる。

 これまでわたしが殺した相手はみな男だ。

 けれども、それが女ではいけない理由はない。

 わたしは今、透さんを愛している。

 かつてわたしが男たちを愛した愛とは種類が違うだろうが、愛の一形態には違いない。


「透さん」


 だから、わたしは声を荒らげる。

 もう誰も殺したくない。

 だが……。


「あら、わたしったら何をしていたのかしら」


 まるで今まで眠りについていたかのように寝ぼけた声で透さんが言う。


「少し疲れたみたい。そろそろ家に帰った方が良いみたいね」

「透さん、大丈夫ですか」

「うん、大丈夫。自分ではわからないけど、いつもこうなるのよ」

「……」

「わたしがしたことについて語ってくれた人がいてね、ずいぶん前のことだけど。それでわたしは自分の能力を知ったのよ。ヘンでしょ。自分ではそれを使った覚えさえいないというのに……」

「そんなこと」

「でも紗ちゃん、気持ちの方は少し落ち着いたようね」

「はい」

「わたしで役に立ったかな」

「十分に」

「そう、良かったわ」

「透さん、本当に大丈夫ですか」

「わたしは紗ちゃんの罪悪感には無関係よ。わたしの能力って、一種の反能力みたいなところがあるらしいの。だから大丈夫」

「よく、わかりません」

「わからなければ、それでけっこう。ついでに厭なことや悲しいことまで忘れてしまえば良いのだろうけど、多くの人たちにはそれが出来ないみたいね」

「だって」

「忘れたら自分がその人を愛した事実まで消えてしまうから。そういうふうに思うのでしょう。だけど本人が忘れたところで、あった事実は消えないのよ。死んだ人が生き返らないのと同じこと。それに記憶は常に捏造される。それを想起した本人が思い出を思い出す度ごとに……」

「でも、それは……」

「もちろん悪いことじゃないわ。だけど自分が信じたい記憶のみに支配されるのなら、それは害ね」

「害、ですか」

「そう、害。……外資系の会社に勤めていると、国内ではほとんど聞かない噂を耳にすることがあるわ。紗ちゃんの通っている大学は、そういった研究もしているらしい」

「そういった研究って……」

「ヒトの記憶の固定のされ方……というより歪み方のメカニズムとでも言えば良いのかしら」

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