40 転

 伊勢くんの死以来、わたしは黒い服をすべて捨てる。

 黒い下着も捨てたが、それはご愛嬌だ。

 代わりに緑(モスグリーン)と赤(ワインレッド)を基調に青や他の色を織り交ぜる。

 緑と赤がその色の範囲の中でも暗い方なのは、わたしが黒に慣れ過ぎたためだ。

 明るい色には抵抗がある。


 心境変化といえばそれまでだが、わたしは自分が今まで喪服を着ていたことに気づいたのだ。

 それが自分の心を縛り付けていたと。

 伊勢くんの喪はまだ当分明けないが、死んだ伊勢くんもわたしなら、当然わかってくれるだろう。


 この世の死者はすべて生者の中に潜んでいる。

 道元禅師の言葉とは意味が異なるが、その実感がわたしにある。

 死者が安らかに死ねないのは生者が死者をそうさせないからだ。

 生者の死者への想いが死者を縛る。

 けれども、そこで縛られている死者とは実は生者のことだから話がややこしい。


 生者の死者に対する悲しみを和らげるためにあるのが法要。

 死者を死者として認識し、死者が生者であったことを思い出すなら、死者は眠りを妨げられない。

 聖職者の多くは、そのことを知っているはずだ。

 ただし彼らも生きなくてはならないから金が絡み、話が少々面倒になる。


 靴は普通の赤、靴下はピンク、夏なので脚は露出し(またはモスグリーンかワインレッドのレギンスを履き)、ボトムはウォッシュアウトしたジーンズ(さすがに青)、トップはパーカー系でワインレッド、帽子は薄い緑。

 髪をプラチナブロンドにしようかと考え、思い留まる。

 さすがにわたしの年齢では似合わないだろうと思ったからだ。


 わたしの顔は丸いが小さいのでほぼ八頭身。

 だから服が制限されることがなく楽といえば楽。

 もっとも通販で服を買い揃えたは良いが、最初はアパートから出る勇気がない。

 それで夜間に徘徊して身体を慣らし、ちょうど良い機会だからと実家に戻る。


 夏休みはまだ続いているのだ。


 木槐内で過ごした翌朝に実家に戻ったときより、わたしの心に抵抗があるとはどんなメカニズムだろう。

 あの朝、実家に戻ったわたしを迎えた母の振舞いがぎこちない。

 前日のことを一言たりとも訊ねようとしない。

 父の方はそんな母に合わせるつもりか、口数が少ない。

 もっとも、いつも喋り続けるのは母だから相対的に父は無口だ。

 それはわたしが物心ついたときから変わらない。


 両親がその気なので、わたしも彼らに合わせてぎこちなく振舞う。

 二日目になっても改善の兆しが見られないので、さすがにわたしも疲れ、勉強の用事があるからと、明日か明後日にアパートに戻る旨を告げる。

 大学から高額の奨学金を貰っていなければ、わたしにしても休み期間はアルバイトをしていたはずだから、こうなると時間があるのが恨めしい。

 そんな自分の気持ちに、贅沢だな、と自らツッコミを入れ、アパートに戻る。

 わたしが留守の間に伊勢くんが来ていたらイヤだなと感じながら。


 アパートで暮らし始めてようやく三ヶ月が過ぎたところだ。

 最初は独りに怯えるかと心配するが、怖かったのは最初の夜だけ。

 その後も時折独りの怖さを感じたものの、暴漢が侵入することも幽霊が現れることもない。

 その代わりに天使を見ることになるが、それはまだ先の話。

 独りに対する自分の臆病さを、まるで可愛い女の子のようじゃないの、と他人目線で傍観する。

 伊勢くんにとって自分が可愛い女の子であったのだろうかと思いながら。


 困ったことに何を考えても伊勢くんのことが頭に浮かぶ事実に、もちろんわたしは気づいている。

 その時点でわたしがまだ気づいていないのは死者の呪縛だ。

 当然のようにそれはわたしの心が生んだ呪縛なのだが、自分の外からそれを感じる。

 だから、それが自分の中で起こっていることだと認識し難い。


 本を買いに出かけ、昼過ぎに実家に戻ると透さんがいる。

 問えば、遊びに来た、と答えるが、わたしには両親の画策に思えてしまう。

 頼住透(おうらい・とおる)は父の姉の娘で、わたしより三歳年上の従姉だ。

 大学卒業とともに結婚したが、そのまま主婦の座に納まるよう人ではなく、好きな就職先を自ら探し、ちゃんと受かってバリバリと仕事に励んでいる。

 蓮見の家系にはそういった女が多いようだ。


「遊びに来たって何の用ですか」

 遅い昼御飯を両親及び透さんと摂りながらわたしが聞くと、

「紗ちゃんがいるっていうから」

 という返事、

「じゃあ、わたしに会いに来たわけですか」

 と重ねて問うと、

「母からの届け物を引き受けたのが先だけど」

 と説明する。

「それがね、ドラゴンフルーツなのよ」

 と、ここぞとばかりに母が口を挟む。

「そんなものがあるとは今日初めて知ったし、どうやって食べればいいかもわからないわ」

「見た目はどうあれ、果物なんだから切って中身を食べるのよ」

 とわたしが言うと、

「そんなことくらいはわかりますよ」

 と母が怒る、

「もう、この子は本当に親を馬鹿にして……」

 と続けるので、

「ドラゴンフルーツの原産地は中央及び南アメリカ北部で十三世紀以降のアステカ王国時代に普通に食べられていたのよ」

 とドラゴンフルーツについて解説する。

「元はピタヤという名前だったんだけど、果皮が竜の鱗のように見えるからドラゴンフルーツって呼ばれるようになったんだって。味はまあ、切って食べればわかるから食後のお愉しみね」

 とわたしが淡々とドラゴンフルーツについて語ると、

「紗ちゃん、相変わらず博識ね」

 と透さんが言う。

 だから、

「いえ、知識だけ。わたしも食べたことがないんです」

 とわたしは応える。


 わたし自身は婉曲な意味を考えずに言ったのだが、まあ、そう取れば取れないこともない発言だったとすぐに気づく。

 つまり男の女の関係についてだ。

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