33 違
先週が四十九日だったので、墓にはさすがに目立った汚れはない。
それで申し訳程度に掃除をし、墓石の上から水をかける。
その役目はわたしが引き受け、まず
「失礼します」
と断ってから一つ奥の墓の段に昇り、伸びをしつつ墓石の真上から水をかける。
それから伊勢家の墓の正面にまわり、花立てで萎れた花を廃棄場に捨て、新しい水に代えると、そのタイミングで環奈さんが花束を立てる。
ついで、わたしの方を向き、
「ライターはあるの」
「そういえば忘れました」
「今の人は煙草を吸わないから」
と会話が流れ、環奈さんが黒いハンドバッグからライターを取り出し、わたしに渡す。
「はい、これ」
「ありがとうございます」
色はとりどりでも、わたしが用意したのは線香は棒状だ。
火の付け方は一般の線香と変わらない。
それぞれの色が一束ずつでは、さすがに多いと思ったが、
「いいのよ。景気よくやりましょう」
と環奈さんがわたしを唆し、七束すべてに火をつける。
それに結構手間がかかる。
伊勢家の香炉は御影石の墓前用なので火がついた線香の束を順に横に並べて置く。
さすがに後半の束は上に重なってしまう。
「このお寺は臨済宗だからお線香は一本ずつが本当なんでけどね」
「どちらにしても香炉が横置きだからマナー違反でしょうね」
わたしの言葉に環奈さんが応え、僅かに顔を綻ばす。
そのうち線香の煙がモアモアと辺りに多くなる。
朝のせいか、墓参者が数えるほどだから気にしなかったが、大勢いたらさぞ迷惑だったろう。
「伊勢くんも煙たがってるかもしれませんね」
「そうね。わたしも涙が出てきたわ。……合掌しましょうか」
「はい」
わたしがリュックサックから数珠を出す。
祖父の葬式のとき、両親からわたしに与えられたものだ。
環奈さんの手には、すでに数珠がかけられている。
わたしが右、環奈さんが左。
二人並んで目を瞑り、伊勢くんのことを想い合掌する。
もっとも、わたしと伊勢くんとの思い出は大半がセックスだから大いに困る。
それでも伊勢くんのまるで少女のようなよがり声を思いだし、逆にわたしはしんみりする。
相手がわたしなのはともかく、童貞を捨てられて良かったわね。
心の中でそっと言ってみる。
すると、ああイヤ、わたしの中に熱いものが込み上げる。
それが涙と変わり、溢れてくる。
参ったな、こんな性格の女じゃなかったはずなのに……。
それで目を開けると、すでに環奈さんは合掌を終えている。
続ける気になれば、いくらでも長く偲んでいられるはずだが、過去に引き摺られるのが嫌いなタイプかもしれない。
わたしの頬の涙を見ると少なからず驚いたようだが、まるで気づかなかったように、
「それでは帰りましょうか」
とわたしに声をかける。
「はい」
とわたしが応え、ついで、
「お線香はどうしましょうか」
と涙声で訊く。
「風邪も強くないし、火事になるとも思えないけど、消すしかないでしょうね」
と環奈さんがぼやきつつ、
「だけど、一束だけ残しましょう」
と続ける。
「どれを残しますか」
「紗さんに任せるわ」
「では赤を……」
息を吹きかけて消えるものでもないから、他の線香は桶に残った水をかけて消す。
普通の線香ならば三十分程度で燃え終わるはずだが、わたしが選んだ色とりどり線香は、この先いつまでも燃えていそうに見えたから仕方がない。
赤以外の線香の火が完全に消えたことを確認してから廃棄場に捨てる。
ついで伊勢くんのお墓にお別れを言い、水汲み場に桶と箒を返し、ゆっくりと墓地を出る。
事後になったが本堂に寄り、観音様に手を合わせる。
硝子越に覗くと結構大きい。
「立派ですね」
「近くで見るともっときれいよ。ただし金箔の剥げたところも見えるけど」
「そうですか」
「あらヤダ、またマナー違反」
「許してくださいますよ、きっと」
「そうね。モノより心、死者より生者。その方が大事」
「生者は煩悩だらけですよ」
「それがあるから愉しいことも悲しいことも味わえるのよ」
「確かに……」
「帰りに喫茶店でコーヒーでも飲んで行かない」
「はい」
お花屋さんに桶を返し、そのまま来た道に戻って歩く。
駅前商店街はわたしたちが歩くうちにも活気づき、喫茶店も開いたようだ。
入った喫茶店の名は阿闍梨という。
寺との関係者とか、何か由来があるのだろうか。
そんなことを考えながらメニューを手繰ると阿闍梨餅の文字。
なるほどそちらの方かと納得し、環奈さんと二人分注文する。
頼んだコーヒーは二人ともキリマンジャロだ。
わたしと環奈さんは趣味が似ているのだろうか。
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