32 色

 約束の日曜日、わたしは余裕を見て電車でT寺の最寄駅に向かう。

 タクシーを使うより安いのも理由だが、移動中まわりに人がいた方が緊張しないだろうと考えたからだ。

 高架駅の階段を下り、改札を抜ける前に見覚えある人影を確認。

 近づけば確かに伊勢くんの母親で、わたしは瞬時言葉に詰まる。

 すると……、


「おはよう、紗さん」


 わたしの躊躇とは裏腹に伊勢くんの母親がわたしに気づき、先に声をかけてくれる。

 わたしと違い、とても落ち着いているようだ。


「おはようございます。ええと……」

「わたしの名前は環奈よ。お嫁さんでもないのに、伊勢くんのお母さまって呼ばれるのもヘンだしね」

「はい。助かります」


 それでわたしの伊勢くんの母親に対する呼び名が環奈さんに決まる。


「早かったでしょ。眠くない」

「いつも五時過ぎには起きますから」

「そうなの。まあ、わたしも似たようなものだけど。……じゃ、行きましょ」


 そう言い、環奈さんが歩き始める。


 後姿を一目見てわかったが、環奈さんは喪服のような服を着ていない。

 ……かといって派手な服装でもなく黒とグレーを上品に合わせている。

 一方わたしといえば前身黒だが、それはいつものこと。

 違うと言えばジーンズではなくスカートを履いてきたことくらいか。


 日曜日の朝なので、まだ賑やかではない商店街の緩い坂を二人して昇る。

 スーパーマーケットの始まりが九時半なのか、店員が開店準備に忙しい。

 その他の店は雑貨屋と自転車屋を除き仕舞っていたが、じきに開くのだろう。


「遠いんですか」

 とわたしが問うと、

「そうねえ、十分くらいかしら」

 と環奈さんが答える。


 傍目から視れば親子に見えたかもしれない。

 顔は違うが、どちらも細い体型だ。


「お線香は買ってきましたが、お花はどうしましょうか」

「お寺のすぐ傍のお花屋さんに頼んでおいたから大丈夫よ」

「先週が四十九日ですか」

「そうよ。慌しかったわね。お店の従業員がいろいろと気を使ってくれたけど、こういったときにこそしっかりしないとオーナーとして見下されるから……」

「大変ですね」

「いずれ紗さんだって同じような生活になると思うわよ。お仕事の内容まで見当つかないけど」

「それは、わたしにも見当がつきません」


 わたしは応え、少し笑う。

 なりたい職業がないわけではないが、まだ漠然として遠い感じだ。


 緩い坂を昇り切ると一車線の通りを渡り、民家の方へ。

 すでにT寺の外壁が見えている。

 その上に覗く木が剪定されていて……。


「ここは、お寺の反対側なんですね」

「昔は裏門が開いていたけど、今ではお墓の拡張工事のとき以外、開かないんじゃないかしら」


 普通の民家が並ぶ路地を抜けたところで左折。

 寺の外壁が部分的に網に変わる。

 だから境内(墓地)が見える

 それを左手に眺めながら進むと、やがて山門に辿り着く。


「大きくて立派ですね」

「その代わり毎年結構なお布施を取られるわよ」


 礼儀に従って門を潜らず、その先のお花屋さんへ。

 店自体は閉まっていたが、桶に入れた花束に伊勢家の文字。

 それを環奈さんが持とうとするので、柄ではないがわたしが代わる。

 それを環奈さんが嫌がらない。


「ありがとう」

「いえ、これくらいでしたら……」


 結局山門は潜らず、お花屋さん横の自動車用門扉から境内に入る。

 その位置から見通しただけでは寺が広いのか狭いのか見当がつかない。

 わたしは事前にT寺について調べたが、所在地や所有面積を地図で確認していない。

 いったい、どういう風の吹きまわしか。


 敷石の上を進み、一度左折する。

 やがて敷石がコンクリートに変わり、それを右折し、墓地に至る。

 白いコンクリートの道を進むと水汲み場があり、そこで手と口を清め、桶に水を入れて箒を借りる。

 更に進むと、やがて伊勢家の墓がある。


「文朗さん、紗さんがいらしてくれたわよ」


 墓の正面に立ち、環奈さんが言う。


「この一回で、紗さんをあなたから自由にしてあげなさい」


 その言葉にわたしは驚き、


「あの、環奈……さん」

「いいのよ。平気なようでも紗さんが気にしていることがわたしにはわかるから」

「あの……」

「文朗さんが紗さんの中で良い思い出になることは構わないけど、鬼になるのはわたしも厭。だから、これはわたしの勝手」

「はい」

「さあ、お線香を上げください」

「ええ」


 そう応え、わたしが背中のリュックサックから取り出したのは色とりどりの線香だ。


「まあ」

「マナー違反かもしれませんが、これがわたしの供養です」


 地色が地味な黄土色なのは隠しようもないが、それでも虹の七色の線香をわたしは用意する。

 そんなわたしの心情は、もしかしたらは環奈さんと同じだったかもしれない。

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