29 連
二回目に木塊と出会ったあの日からさらに一月以上経ち、伊勢くんの母親から連絡が入る。
「もしもし、蓮見紗さんですか」
伊勢くんの母親はそう言い、わたしが、
「はい、そうです」
と応えると、
「伊勢文朗の母です」
と続ける。
「ハイ、お声でわかりました」
「紗さんはお元気かしら」
「はい、とりあえず」
「それは良かったわ。ええと用向きですが……」
と、そこで伊勢くんの母親は僅かに躊躇い、
「文朗を偲んで欲しいのですが、邸ではなくて、お墓の方でも宜しいかしら」
と決意したようにわたしに言う。
わたしはその事情には触れず、
「ええ、構いませんが」
と応じ、
「でも次の休みは日曜日ですから、早くても一週間後になってしまいます。それでも構わないしょうか」
と自分の都合を淡々と告げる。
つまり伊勢くんの母親からわたしに通話があったのは日曜日で、理系の大学では特に珍しくないが土曜部には授業があるということだ。
それに関しては当然わたしが自分の息子と同じ大学に通っていたことを知っているはずの(そうでなければ、わたしのスマホ番号がわかるとも思えない)伊勢くんの母親も理解しており、
「紗さんの方で他にご予定がなければ、次の日曜日にお願い致します」
と続け、今度は淀みなく場所と時間を指定する。
それはわたしのアパートからタクシーを走らせて三十分くらいの私鉄の駅でTという名の寺の最寄駅だと言う。
待ち合わせ時刻は午前九時だ。
それを聞きつつ、わたしは頭の中で地図帳を開き、Tという名の寺と伊勢くんが暮らしていたお屋敷が必ずしも近くはないことに疑問を感じる。
……といっても都会的長距離だが。
「ああ、それはね」
と伊勢くんの母親が事情を説明する。
「伊勢の、いえ、主人の祖父がこちらに出てきたとき、最初に住んだのがT寺の近くだからなんです」
それに続けて、わたしが、
「山形でなくて助かりました」
と言うと、
「ああそれも。主人の祖父がこちらでお墓を建てたんですよ。きっと故郷へ帰る気がなかったのでしょうね」
と応えたので、わたしにもその辺りの事情がわかる。
わたしの家の菩提寺も、祖父の出生地こそ違え、似たような事情で選ばれたからだ。
「わかりました。ではそのときに……」
と最後にわたしが言い、伊勢くんの母親が、
「よろしくお願いします。ではまた……」
と受け、通話が終わる。
通話の内容から、わたしは伊勢くんの母親が当日待ち合わせの駅前に独りで現れるだろうと予想する。
ついで、ああ伊勢くんの四十九日が終わったんだ、と想いを馳せる。
遺骨をいつまでに埋葬/納骨しなければならないという規則はない。
墓地、埋葬等に関する法律(墓地埋葬法)にも納骨時期の規定はない
だが一般的には四十九日忌法要の際、お墓に埋葬するケースが多いという。
つまり火葬後の遺骨は七七日(なななのか/亡くなって四十九日目)まで自宅の後飾り祭壇に安置されるが、それが終わる時期に同時に埋葬もしてしまおうという考えだ。
もちろん火葬を終えた当日に納骨する場合もある。
仏教の忌日法要では四十九日の後は百カ日法要だが、かつてはこの時期に埋葬/納骨されることが多かったようだ。
時代が現代となり、葬儀も簡素化され、百カ日法要が略されるようになり、埋葬が四十九日と合わされるようになったらしい。
ちなみに法要の年忌は、初七日/二七日/三七日/四七日/五七日(三十五日)/六七日/七七日(四十九日)/百か日/一周忌/三回忌/七回忌/十三回忌/十七回忌/二十三回忌/二十七回忌/三十三回忌/五十回忌となる
調べるとT寺は臨済宗なので禅宗だ。
遡ると中国禅宗の祖とされる達磨(インド人)に行き着くが、創設は唐の臨済義玄。
義玄は喝の臨済や臨済将軍の異名で知られ、豪放な家風を特徴とする。
宋代に曹洞宗の黙照禅(坐禅の要諦は一切の思慮分別を断絶してただ黙々と坐することにより人が持つ仏としての心性が現れ、仏徳が備わるところにあるという考えに基づく禅)に対し、公案を参究することにより見性しようとする看話禅(かんなぜん)がその特徴として認識されるようになる。
平安時代末期から鎌倉時代初期の僧である栄西により日本に伝えられ、以降、中国から各時代に何人もの僧によって持ち込まれ、様々な流派が成立する。
歴史的には鎌倉幕府/室町幕府と結び付きが強いのが特徴。
その臨済宗を特徴づける公案とは禅宗において修行者が悟りを開くための課題として与えられる問題のこと。
ほとんどが無理会話(むりえわ)だが、これは通常の知性ではなく知的理解を超えたところで成立する問答とでも言えば良い。
一般には禅問答と呼ばれる。
有名な公案には、隻手の声/狗子仏性/祖師西来意などがある。
例えば『隻手の声(せきしゅのこえ)』は江戸中期の禅僧である白隠慧鶴(はくいん・えかく)が創案した公案の一つで、
『隻手声あり、その声を聞け』
(白隠が修行者たちを前にしてこう言った。両手を打ち合わせると音がする。では片手ではどんな音がしたのか、それをわたしに伝えなさい)
というもの。
これについてわたしはわたしなりの答を得たが、それがわたし以外の人にとっても正しいかどうかわからない。
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