28 悲
大学内にわたしと伊勢くんの関係を知るものはいないが、二人で歩く姿は目撃されている。
それで誰かが話題にするかとも思ったが、それはない。
伊勢くんもわたしも他人の興味の対象外だったようだ。
わたしたち二人が大学に入学してすぐのことだから、それも当然かもしれない。
これが時を経て二人が多くの学生に見慣れた存在となれば、ああ、そういえば、と言いだすものがいたかもしれない。
けれども現実は無関心。
からかいの対象にするには、やはり存在感が薄過ぎたのだろう。
伊勢くんの家にお悔やみに行くより先にわたしは木塊に会いに行く。
伊勢くんの母親から電話が来ないのと上天気が続いたのが、その理由だ。
同じ道を同じように歩き、同じように息を上がらせつつ山道を進むと広い空間に出る。
……といってもせいぜい百平米の叢なのだが、それまで狭く暗い山道を歩いているから、とても広く感じる。
広い叢が醸成され損なったゴルフ場のように見える印象も変わらない。
その広い叢の左端の一角にある奇妙で不思議な形。
近づくまでもなく大小の木々が絡み合う、不思議と人工性を感じさせない木の群、木塊だ。
木塊はまだそこにあったというわけだ、
わたしの見間違いでも白昼夢でもなく、現実に存在していたのが、わたしには逆に不思議に感じられる。
「また来たよ、木塊」
声を出してわたしは言うが、木塊が応えるはずもない。
けれどもわたしには木塊がわたしを認識したことがわかる。
もちろんそれはわたしを懐かしんだり/歓迎したりという類のものではない。
せいぜい、ああ、アレが来た、という程度の認識だろう。
けれども、それでも認識には違いない。
現時点でわたしだけがそれを感じる/わかるという点に目を瞑れば……。
前回と同じにわたしは木塊のぐるりを巡り、自分が中に入った隙間を探す。
最初に木塊と出会ってからまだ半月と少ししか経っていない。
だから入口となった部分の木の絡み方が変わるとも思えない。
けれどもそれは変わっており、わたしの記憶と一致しない。
一致しないが場所が同じなので、わたしはまたそこを入口と決める。
前回ほどではないが、木々が絡む隙間の大きさが、それでも木塊全体で一番そうだったのもわたしが入口と決めた理由。
バネに弾き返されるような抵抗感が以前より大きい。
だから木塊は生長しているのかもしれない。
中に入るとずいぶん暗い。
天井部分の葉がより密生したのだろうか。
代わりに水に濡れた感じがしない。
木塊内の地面もサラサラと乾いている。
気にかかる点を挙げれば、やはり虫がいない。
蟻も蚯蚓もいる気配がない。
存在する気配はわたしのものだけだ。
もっとも木塊そのものの特殊な気配を別にすればだが……。
人工的な感じがしないのに生命が宿る感じもしない。
木塊とは不思議な存在だ。
それと同様の存在はおそらく天使くらいだろう。
だが、天使はわたし以外には見えないようだからその点が違う。
一方の木塊は伊勢くんの親戚が見たらしい。
実はその親戚も単にも話を聞いただけかもしれないが、いずれにせよ木塊はヒトに隠された存在ではない。
航空写真にさえ写るのだ。
一方の天使は航空写真に写らない。
仮に写っていたとすれば、すでに世間が騒いでいるはずだ。
航空写真は飛行機から撮影されたものだが、天使は衛星写真にも写らない。
地球の周回軌道を巡る人工衛星には軍事/偵察衛星が多いが、それらに搭載された監視カメラの解像度は三〇センチメートル以下だという。
よって二〇センチメートル丈の人形が道に落ちていても識別不可能だが、車ならば軽自動車でもそれとわかる。
わたしが見た天使は身の丈三メートル強だから搭載カメラで識別可能。
商用衛星でも今では解像度が三〇センチセンチメートル程度あるという。
既存のものの形から曖昧な画像を補正するデジタルソフトを使えば、その解像度はもっと上がる。
天使が写真に写るなら、必ず何処かに写っているはずだ。
けれども世間にそんな事実はない。
少なくともわたしは聞かないが、仮に噂になれば、鼻の利く誰かがまず事実めかしたフィクションとして発表するだろう。
わたしはそれにも、お目にかかったことがない。
確かにわたしは通俗フィクションに疎いが、それでも世間で噂になれば耳に届く。
風聞の力は馬鹿にできないのだ。
そんなことを暫く考え、わたしの心に伊勢くんに飛ぶ。
わたしが勝手に思い出しているのだけだが、伊勢くんは笑顔を浮かべている。
伊勢くんは、どうしてぼくを殺した、とわたしを詰りはしない。
詰りはしないが、浮かべた笑顔も変化しない。
わたしが想像する伊勢くんが、わたしが実際に知った伊勢くんの域を出ないから当然か。
だから空虚。
だから悲しい。
いっそ伊勢くんが大怪我はしたが命に別状なく、わたしを恨み、詰ってくれた方がまだマシだ。
たとえ伊勢くんがわたしのことを嫌っても、彼が生きているのなら……。
不意にそう思う自分にわたしが気づき吃驚する。
ついで別の吃驚がわたしを襲う。
自分が泣いていたからだ。
もちろん嗚咽ではないが、わたしが涙を流したのは、ずいぶん久し振りのような気がする。
そして、あのときの涙も悲しみの涙だ。
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