27 恨

 子供の頃なら、わたしだって誰かを好きになる。

 その子はわたしの家の近所に住む男の子で、わたしと同じ幼稚園に通う。

 わたしが木塊と出会ったとき、比較として頭に浮かんだ半球状の傘に似た木がある寺院が経営する幼稚園だ。

 その子の何処を、わたしは気にいったのだろうか。

 今となっては思い出せない。

 子供なりに整った顔立ちをしていたことを記憶しているから、それがわたしの好みだったのかもしれない。


 比較すれば、伊勢くんも顔立ちが整っている。

 始めてわたしを貫通したあのオジサンも顔の造詣は整っている。

 その後気に入って抱かれた男も、それ以前に単に憧れたり、好きになった男の子も、本質的に皆同じ整った顔を持っている。

 つまり、それがわたしの好みなのだろう。

 いくつかの例外はあるにせよ、その本質は変わらない。

 もっとも、わたし自身が変われば当然のようにその好みも変わるだろうが……。


 その男の子が事故で死ぬ。

 状況的には伊勢くんと似ている。

 男の子がわたしを訪ねた場所はアパートではなく、隣町にあった父方の親戚の家だが、とにかくわたしと出会ったがために死んだのだ。


 行こうと思えば、幼稚園児のわたしでさえ独りで行けた親戚の家だから、その近くを彼が通りかかったとしても不思議はない。

 詳しい経緯は不明だが、やんちゃな彼が家を抜け出し、冒険をする。

 彼の冒険好きなところも、わたしが彼を気に入った一要因かもしれない。


 材木屋の奥の道を入り、私道に抜ける。

 そこで垣根越しにわたしを見かける。

 わたしと母は叔父叔母夫婦の家を訪れていたが、何の用向きだったか記憶がない。

 いつもは見せない母の暗い表情から、もしかしたら親戚内に揉め事があったのかもしれない。

 けれども、その後の経緯がすべての記憶を有耶無耶にする。


 最初にわたしの存在に気づいたのは彼の方。

 だが見つめられればわたしも気づく。

 親戚の家の垣根越しに自分が知った顔を見つけ、とても驚く。

 幼いわたしが密かに想いを寄せていた相手だから尚更だ。


 まだ恋という感覚はなかったと思う。

 だから単なる『好き』だろう。

 昔のわたしは悪びれない。

 大声で彼の名を呼び、濡れ縁まで出て手招きする。

 そんなわたしの態度に母も叔母も気づき、顔を見合わせて微笑んだかもしれない。

 そういえば叔父の姿がなかったから、あの日は出かけていたのだろうか。

 もっともあの日あの家に叔父がいたとして、後の展開が変わったともわたしには思えないが……。


 叔母が席を立ち、玄関を出て木の門を開ける。

 そのときにはもう彼が門の前で待っている。

 わたしの叔母に手を引かれるように家に上がる。

 そこで急に照れ始める。

 けれども、わたしの近くにはちゃんと来てくれる。

 だから彼もわたしのことが好きだったのだろう。

 その逆の態度、つまりわたしの妙なはしゃぎ方から当然母と叔母にも彼に対するわたしの気持ちがすぐに見通される。

 見通されてどうなるわけでもないが、わたしを彼と自由に遊ばせてくれる。


 当時のわたしと彼はまったくネンネでお医者さんごっこなど性的な遊びを試したことがない。

 それどころか、そんな遊びがあると知りもしない。

 それをわたしの母がわかっていたから放って置かれたのかもしれない。


 叔父叔母夫婦の家の中のあちこちをわたしと彼がドタバタと走りまわる。

 その日は留守の年上の従兄弟の部屋に入り、机の下に潜り込んだり、ベッドの上で跳ね上がったり。

 別の洋間でソファに上り、和室で座布団を頭から被る。

 今思えば身体の接触もかなりあり、わたしが彼に後ろから抱きつけば、彼が正面からわたしを押さえつける。

 その都度上がる二人の嬌声に母と叔母も釣られるように微笑んだかもしれない。


 やがて愉しい時間も終わり、母とわたしが彼を伴い、叔父叔母夫婦の家から暇する。

 丁目が変わり自分たちの町に入ると、急に彼がわたしの手を振り切り、独りで走り出す。

 わたしは呆然となるが、彼はまた照れ臭くなったのかもしれない。


「○○ちゃん、車に気をつけてね」


 という母の声が彼の背に届く。

 彼は振り向き、ニコリと笑み、母の言葉に応えると先を急ぐ。

 やがて彼が視界から消え、わたしと母が歩き始める。


 事故が起こったのはそのすぐ後らしいが、わたしと母は気づかない。

 子供と車が接触するような音も聞いていない。

 家に帰って報せが入ったかといえば、それもない。


 わたしが彼の死を知ったのは翌日だ。

 彼はその日の内に集中治療室で息を引き取ったという。


 わたしには何が何だかわからない。

 子供なりに感覚が麻痺し、何も受け入れられなくなってしまう。

 それに追い討ちをかけたのが、わたしが彼を殺したという彼の母親の言葉だ。

 情報経路は不明だが、彼がわたしの親戚の家にいたことを誰かが彼の母親に告げたのだろう。

 あるいはわたしの母が情報ソースかもしれない。

 つまり、それは隠すべきことではなかったから……。


 彼の死は不幸な事故死には違いないが、わたしにもわたしの母にも無関係なのだ。

 けれども彼の母は、そう見ない。

 わたしの母に対する恨みは薄いようだが、わたしに対してはすぐにでも殺してしまいそうだったと当時を知る誰彼が言う。


「○○さんは子供に依存していたからね」

「苦労して授かった一人息子だし、○○さんももう若くないから二人目は無理だろうし……」


 当時、そんな会話が流れたようだ。

 その後、彼の母親は精神を病み、夫が転勤すると町を去る。


 厭な思い出しかない自分の子供が死んだ町を離れ、少しは精神の病が治まっていれば良いが……。


 彼の母のことを思いだすとき、わたしはまずそう考え、次に、わたしを恨むことで少しでも楽になるならそうすれば良い……と無責任に思うのだ。

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