26 罪

 わたしが伊勢くんの交通事故死を知ったのは大学が始まって一種間以上経ってからだ。

 伊勢くんとわたしが睦み会った翌日の休日、伊勢くんはわたしの前に現れず、わたしは少しだけがっかりするが、まあそんなものだろうと気を取り直す。


 その日は雨が降っていたので木塊に会うのは別の機会にまわし、静かに読書をして時を過ごす。

 前夜がわたしにとって騒がしい時間だったから、そうしたかったのかもしれない。


 それから翌日の授業の予習をする。


 ……といっても該当する教科書のページを読んだくらいだ。

 読んでいて気になった練習問題をいくつか解いているうち、夜になる。

 それで買い物に行き、夕ご飯を作り、食べ、やがて寝る。


 翌日大学に行くと伊勢くんがいない。

 教室内にいないだけではなく、キャンパスの何処にもいない。

 それで風邪でも引いたのかとわたしは思う。

 だから昨日は来られなかったのではないかと考える。

 僅かの間だが、わたしにしてはとても珍しい心の動きだろう。


 わたしと伊勢くんとはメアドもスマホ番号も交換していない。

 それら番号を伊勢くんに問われればわたしは教えていたはずだから、お互い気づきもしなかったのだろう。

 つまり余裕がなかったということ。

 メアドやスマホ番号を気軽に交換する習慣がわたしにないので、わたし自身から問いかける可能性はまずないといってよい。

 もっと親しくなってからならわからないが、あの夜、わたしの頭の隅さえ浮かばない。


 もっともそれを知っていたところで、わたしに出来たことは何もない。


 伊勢くんは即死だったのだ。


 即死でなければ、わたしにも伊勢くんに対して何か出来ることがあっただろうか。

 けれども運命は、わたしにそんな感慨を許さないようだ。


 結局噂で、わたしは伊勢くんの死を知ることになる。

 伊勢くんの葬儀の後、大学に連絡が入り、それが教務課から漏れたのだ。


 大学なので中学や高校のようなクラス担任はいないが、理学部の教授会で決まったらしい。

 ある授業の冒頭で一人の教授から同じ学科の学生たちに報告される。


 学生たちの噂は当然、その数日前から流れている。


「おまえ知ってるか。伊勢、交通事故で死んだってさ」

「伊勢って誰だ」

「何だよ、おまえらしいな。同じクラスの仲間なのに……」

「まだ大学に入ったばかりだからな」

「雨に濡れた路面でスリップした大型トラックに追突されたらしい」

「あらら……」

「間が悪いことに夜間に車両移動していた無人の信号待ちで伊勢の乗った車が踏切前に停ってたんだ。そこを後ろから……」

「ペシャンコだな」

「電車には車両の下に隙間があるから下半身の一部は残ったらしいよ。その他は家族が見てもわからないように潰れてたってさ」

「ふうん。でもいったい誰から、おまえ、そんなことを聞いたんだよ。学科の掲示板には出てないだろ」

「口の軽い教務の人間が電車で話しているのを聞いたんだよ。吃驚したな。事故にしても可哀想過ぎる」

「そうだな」


 わたしが昼食時、大学の広いキャンパス内の特定のベンチでその話を聞いたのは偶然だ。

 だが同じ大学の学生が一人、入学後間もなく死んだのだ。

 いずれ広がった噂が、わたしの耳まで届いただろう。

 翌日にはもう多くの学生が知る事実となる。


 中学でも高校でも入学してすぐに最初の友だちグループができるが、伊勢くんにも五人ほどメンバーで構成されたあるグループがあったようだ。

 けれどもさすがに付き合いが短いので、伊勢くんの親族から彼らに連絡はなかったらしい。

 そうでなければ彼らだって葬儀に出向いたはずだが、大学に事故の連絡が入ったのが葬儀の後なのだからどうしようもない。


 それでわたしは自分に連絡があったことに驚いたのだ。


 どうやって調べたのか知らないが、わたしのスマーフォンに通話がかかる。

 両親と親戚、それに僅かの知り合いの番号しか登録されていないスマホにだ。

 ほとんどの人間が知らないはずの番号なのだ。


「もしもし、そちら蓮見紗さんかしら」


 迷うまでもなく、それは伊勢くんの母親の声だ。


「はい、そうですが」

「ああ、よかった。もう大学から聞いているとは思うけけど、文朗が死にました。だから短い期間だったけど、お友だちでいてくれた紗さんに伝えておきたくて」

「それは御愁傷様です。わざわざご連絡をしてくださり、ありがとうございました」

「いえ、実はもっと早く連絡できたのよ。だけどいろいろ手間取って遅くなってしまって……。ごめんなさいね」

「いいえ、それは構いません。何も知らないので、こちらからご葬儀にも行けず、失礼致しました」

「いえ、それはいいのよ。でもいずれこちらが落ち着いたら、お線香を上げにいらっしゃらない。待っていますよ」

「わたしが伺っても構いませんか」

「ああ、実はわたしがあなたを気にしたのは、それなの。わたしなら大丈夫。運命だと思い、受け入れました」


 そこで伊勢くんの母親のすすり泣く声がわたしの耳に聞こえる。


 伊勢くんの事故を、わたしは自分のせいだとは思っていない。

 伊勢くんの母親の言葉を借りれば、それは伊勢くんの運命だったのだ。

 けれども世間の人間はそう考えない。

 伊勢くんがわたしのアパートに寄らなければ彼は事故に遭わず、よってわたしが彼を殺したと考えるのだ。


 さらに、わたしには過去に複数の前科がある。


「お母さまは、わたしを恨んでおられないのですか」


 わたしが単刀直入に訊ねると、


「世間の人がどう思うか知らないけど、わたしは思わないわよ。だけど主人や使用人は思うかもしれないわね。だから、あなたは邸に来ない方が良いのかしらね。わたしが誘ったのは余計なお世話で……」

「いいえ、いずれお伺いいたします。そちらのご都合が良くなられましたら、ご一報をお願いいたします」

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