25 識
わたしは天使を認識したが、天使がわたしを認識しているかどうかわからない。
それはわたしが天使と邂逅し、実体験した事実からの帰結。
けれども実際のところはどうなのだろう。
天使の視線はわたしに向かない。
事実として、それは明白だ。
少なくとも故意に向くことはない。
けれども偶々ならば、天使とわたしの視線が交わったことが数回ある。
天使が首を廻したその先にわたしがおり、わたしも天使を凝視する。
そのつもりはないが、天使を見つめるわたしの目に力が入る。
だから結果として凝視になる。
時折わたしに起こる悪い癖の一つだ。
気になった対象を思わず強く見つめてしまう。
だから相手は吃驚する。
いわれなき凝視に困惑し、咄嗟の判断ができなくなる。
それから僅かの間があり、ハテと首を傾げる者があれば、不安に駆られる者、行き成り腹を立てる者などがある。
そうかと思えば、わたしの存在自体を無視する者がある。
その場合、即座にわたしも同じ態度を選ぶ。
子供の頃には違っただろうが、いつの間にか身についた習慣だ。
おそらくわたし以上に他人と関わるのを苦手とする人物に敬意を表した態度と説明しては生意気だろうか。
わたしに凝視された相手が知り合いならば、事の経過は単純だ。
ああ、またいつものことか、で話が終わる。
けれども、そうでない場合は様々だ。
わたし自身が短時間で相手に興味を失くせば、それで終わる。
そうでない場合も、わざわざ因縁をつけにわたしのところまで遣って来る者の数は少ない。
強いて言うなら、不審者を見つめる目で見返される反応が最も多いだろうか。
どちらにせよ、わたしと視線を合わせた相手はわたしに気づく。
視線が交わる場合、それは当然だろう。
だが、そうでない場合でも相手が気づく。
わたしが相手を横から視れば、その視線は通常、相手に伝わらないはずだ。
後ろから見たときも同様。
あるいは前から見たときでさえ、相手が正面を向いていなければ、わたしとは視線が交わらない。
それでも相手が気づくのだ。
だから、わたしの凝視は痛いのだろう。
痛くないまでも身体の何処かを押された感じがあるようだ。
知り合いの一人から、そう指摘されたことがある。
普段は気配を消して生きているようなわたしだから、それを聞いたとき、自分でその対比に笑ってしまう。
暫く声を立てずに笑ってから、いや、普段の影が薄いから却って視線が痛いのか、と考え直す。
そんなわたし特有の視線。
それに天使は気づかない。
少なくとも、わたしに気づいた様子をまるで見せない。
自分の存在に気づかない他の人間たちと同様に、わたしのことにも気づかない。
無視ではなく、天使は本当に気づいていない。
本当は気づいているのに無視する/気にしない、あるいは放って置く、ではなく。
それが、わたしと天使との関わり。
関わりは、わたしの方だけにある。
天使がわたしに気づかないのだから当然だ。
けれども、わたしの印象はそれと異なる。
天使はわたしに気づいている。
理由はないが、そう感じるの。
感じるというより、わかるだろうか。
肌の感覚でわかるのだ。
もちろん、わたしがそう感じるだけで証拠もなければ証明もない
わたしの確信があるだけだ。
わたしの凝視に天使が何らかの反応を見せてくれれば裏づけができるが、そうでないから始末に困る。
わたしの感情だけが泡立ち続ける。
偶然わたしに凝視された者たちの心の中に浮かび流れる感情と、わたしのそれは本質的に同じかもしれない、ふと気づく。
天使がヒトでないことを除けば……。
わたしがヒトであることを差し引いても……。
思い返せば、木塊の態度もそれに似る。
わたしに気づく様子は見せないが、わたしには木塊が気づいたとわかる。
初めての出会いのときには、事実としてその印象はないが、そんな余裕がなかったのだろう。
だから、わたしはわかっていたのかもしれない。
それとも、それこそがわたしの思い過ごしだろうか。
天使はわたしにもまたそれ以外の人間にも気づかないが、どうやら物理的には存在しているようだ。
理由は不明だが人々は天使のいる場所を避けて通り過ぎる。
天使の身体を擦り抜けたものはいない。
少なくとも、わたしは見たことがない。
また朝の太陽に向かえば反対側に影が落ちる。
天使同様誰もその影の存在に気づかないが、影が出来るから、やはり実態があるのだとわたしは思う。
それが物理というものだ。
無論、今のところわたし一人の思い込みに過ぎない。
けれども、それを言ったらすべての考えが思い込みだ。
また役に立つ考えだけが生き残り、後世に伝わり続くわけでもない。
天使のことを、わたしは後世の誰かに伝えたいのだろうか。
そう思えばそんな気もするが、わたしには自分の心の動きすら掴めない苛立たしさの方に気にかかる。
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