24 予

 そんな自分の心の動きがわたしに涙を流させたのだろうか。


 嬉し涙だが、伊勢くんはわたしが半分は痛がっていると思ったらしい。

 それでペニスを抽送させるのを暫く躊躇う。


 けれども次には若い男の血が、伊勢くん自身のわたしに対する優しい想いを破壊する。

 狂ったようにとまでは行かないが、わたしが吃驚するほど乱暴に伊勢くんのペニスがわたしの秘所を出入りする。


 普通なら擦れて痛いし、怖くなる。

 そう感じ、想うはずなのに、わたしはそれらを感じない。

 逆にわたしの意思で伊勢くんを乱暴に行動させているように錯覚する。

 そんな自身の錯覚がわたしの気持ちを奇妙に捻り、興奮させる。


 ベッドの上でわたしの身体が乱れ始める。

 それを伊勢くんが更に乱す。

 わたしのこれまでの、生き方/考え方/行動様式、そのすべてを完膚なきまでに打ち毀す。


 ついで、わたしに絶頂が近づく。

 伊勢くんにも近づいているのだろうと遠く思うが、わたし自身がそれどころではない。

 わたしの全身が細かく震え始める。

 骨格筋が収縮し、呼吸が過度となり、心臓は爆発しそうにドキドキとし、骨盤まわりの筋肉がリズミカルに踊り始める。

 もうすぐ、もうすぐ天に昇りそうだ。


 すると――


「蓮見さん、ぼくもう……」

「ああ、わたしも……」


 伊勢くんの咄嗟の呼びかけに掠れ声でわたしが応える。

 直後、波がやって来る。

 これまで、わたしが感じたことがないような大波だ。


「うああ……」

「ああああ……」


 わたしの全体が反り返る。

 反り返り、きれいな弓をなす。

 同時に伊勢くんからは白くて熱い迸りが送られる。

 伊勢くんのペニスに巻かれたコンドームに静止され、わたしの体内に直接放出されることこそないが、わたしがそれを実感する。


 ついで伊勢くんがぐったりする。

 わたしの上で重くなる。

 けれども、その感触がまだ遠い。

 わたしの絶頂波が去らず、未だ陶酔状態にあったからだ。


 だが、それも徐々にわたしの身体から去っていく。

 すると代わりに伊勢くんの身体の重さがわたしの身体に感じられる。

 伊勢くんは身体が細いから、男としては軽い方だろう。

 だが、わたしにとってはそれでも重い。


「伊勢くん、重いわ」


 だからわたしが言うと伊勢くんが吃驚したように、


「蓮見さん、ゴメン」


 わたしの上から慌てて去る。

 去るといっても、わたしのすぐ隣、右側(壁側)に移動しただけだが……。


「蓮見さん、ぼく、すごく良かった」

「ありがとう。わたしも良かったわよ」

「こんなふうに上手く行くこともあるんだね」

「うん、そうだね」


 事が終われば男は虚しくなるだけ。

 普通はそうらしいが、伊勢くんは違うのだろうか。


「満足した。それとももう一回したい」

 とわたしが問うと、

「したい気持ちはあるけど、今日は帰る」

 と伊勢くんが答える。


「そう」

「ママに送り狼だと思われるのも癪だし……」

「お手伝いさんに告げ口されてるなら、もうバレてるよ」

 とベッドの足元側の窓の上に吊り下げた丸い時計を見ながらわたしが言う。

「もう夜中の二時だから……」

「そうだけど。……トイレを借りるね」

「ダメ。わたしが先」


 そう宣言し、わたしが先にトイレを使う。

 シャワーを浴びる前、汗や他の体液を流すのが惜しい気分に襲われる。

 だがそれも長く続かず、すぐに全身にお湯をかける。

 あのとき、わたしは何かを予想したのだろうか。

 今以てわたしにはそれはわからないが、考えると不思議だ。

 わたしの身体に残る伊勢くんの香りを躊躇なく洗い流してしまったのだから……。


「お待ちどう」

「じゃあ、借りるね」


 伊勢くんの自宅へ帰る意思は変わらないようだ。

 性行為中のわたしなら伊勢くんをどうしても引き止めたかもしれない。

 だが普段の自分に還れば、それもない。


 いや、本当にそうだったか。


 わたしはあの夜、伊勢くんが自分の部屋からいなくなることに一抹の寂しさを感じたのではないか。


 けれども――


「それじゃあ、また明日にでも……」

 と身支度を整えた伊勢くんが、パジャマ姿だが、やはり身支度を整えたわたしに言う。

「あら、明日なの」

「そうか、もう今日だ」


 二人の会話が噛み合わない。

 わたしは伊勢くんの一つ前の発言に応え、夜が開けたらまた会いに来てくれるの(嬉しいわ)、と返したつもりだったが……。


「じゃあ、また……」

 パジャマ姿だったので、アパートの玄関までしか、わたしは伊勢くんを見送らない。

 ドアの外に雨の匂いを嗅ぎ取ったのも理由の一つか。

「雨だ」

 と半開きにしたドアの隙間から伊勢くんが特に驚きもなくわたしに伝える。

「そうみたいね。じゃあ、お休み」

 とわたしも特に感慨なく伊勢くんに応え、ドアを閉める。

 その前に伊勢くんが、

「うん、お休み、蓮見さん」

 とわたしに声をかける、その余韻を味わうこともなく。


 ガチャリ


 と音を立てドアが閉まれば、それが二人の別れ。

 外階段を下りて行く伊勢くんの足音は聞こえない。

 六畳間に戻り、ベランダ側の窓を開ければ車に乗り込む伊勢くんの姿を見送れるが、何故か逡巡するうちにエンジン音が聞こえ、伊勢くんが忽ちこの地から去る。


 さらに二十分後には伊勢くんがこの世からも去るが、あのときのわたしはまだそれを知らないし、気づきもしない。

(第二章/終)

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