12 決

 お湯が沸いたので長四角の盆にティーカップ二客とケトルを載せ、緑茶の工芸茶が入った缶から取り出した二つの球体をそれぞれのティーカップに入れ、伊勢くんの許へ運ぶ。


 工芸茶とはお湯を注ぐと茶葉の塊が徐々に開き、やがて花の形になるお茶のことだ。

 出来上がる花の形によりそれぞれ名前がつけられている。


 わたしが伊勢くんに饗したのはover the rainbowという種類だ。

 千日紅/ジャスミン/金盞花という三種の花が虹の形を作り出す。

 より正確に言えば、緑の草の上の黄色い大地が金盞花で、白いジャスミンが虹、その虹の頂点に赤い千日紅が配置される。


 もちろん上手く花が開いた場合だが……。


「お口に合うかどうかわかりませんが……」


 伊勢くんに頼んで、彼の右隣に座ったわたしの膝の上に乗せた盆の上のティーカップにお湯を注いでもらう。


 工芸茶のことは伊勢くんも知っていたようだが、over the rainbowは初めての体験らしい。


「透明なカップじゃないと横から見られないわね」

 と開く過程にある茶の花をティーカップの上から覗き込みつつ、わたしが言うと、

「いや、十分きれいだよ」

 と伊勢くんが応える。


 それに続けて、まるで蓮見さんのように、と冗談でも付け加えないところがわたしには心地良い。


「だけど、ずっと放っておくとクタッてなっちゃうのよね」

「まあ、水を吸い過ぎれば仕方がないよ」


 少しずつお茶を飲みながら二人で言葉少なに会話する。


「どう、理性は飛びそう」

「今のところ、大丈夫みたい」

「そう」

「でもそんなことを言って、蓮見さん、誘ってるわけ」

「伊勢くんの気持ちによるわね」

「蓮見さんに可愛い面があることは今日わかったけど、でもセックスの経験はないでしょ」

「そう思う」

「確実なことはわからないけど、たぶんね」

「それは、わたしが日頃見せている態度から」

「だって、ずっとそうだったんでしょ」

「中学生のときからね」

「やっぱり」

「それで高校に上がって、しばらく経ってから思ったのよ」

「何を……」

「こんなわたしでもセックスを愉しむことが出来るのかって」

「それで……」

「だから実験をすることにしました」

「実験って……」

「だから実験。ちょうど好い相手がいれば良かったけど、そんな都合の良い相手なんているわけないでしょ」

「うん」

「だから偶然に任せることにして相手を探したのよ。夜の街で……」

「蓮見さんが……」

「他に誰がいるのよ」

「吃驚させるなあ。それで……」

「最初の一人にはずいぶん手間取ったけど、まあどうにかね」

「怖くなかったの」

「そりゃあ、怖かったわよ」

「やっぱり」

「だけど出会い系サイトを利用するより自分の目を信じようと思ったから」

「ふうん」

「詳しい話はしないけど、お茶だけ飲んで別れた相手の方が多かったな」

「そうなんだ」

「軽蔑する」

「いや、それは。でも……」

「わからない」

「正直にいえば、そうかな。でも今はもう止めたんでしょ」

「二十人くらいで憑き物が落ちたわね」

「ああ、良かった」

「でも発見もあった」

「発見って、どんな……」

「わたしにもセックスが愉しめるってわかったこと。最初の男が大当たりだったのかもしれないわね」

「ふうん」

「だけど明らかな外れは一人もいなかったから……。今にして思えば退け時が良かったのかもしれないわね」

「ぼくには、ああそうなの、としか言えないよ」

「それに、もう一つの発見もあって」

「もう一つって……」

「わたしにも性欲があるってわかったこと。上辺を取り繕っても結局は獣なのよ、わたしたち人間って。でも、その獣を制御できると信じてる」

「うん」

「何か、甘い話題じゃなくなっちゃったわね。ごめんなさい」


 と伊勢くんに謝りつつ、すでに中身を飲み干したティーカップとケトルをキッチンに運ぼうと腰を上げる。

 シンクの三角コーナーに捨てられた工芸茶の残骸は極限まで水を吸い、クタクタ……というよりヒタヒタに変わる。

 その形を見るともなしに見、伊勢くんの座るベッドに戻る。


 その前に、

「蓮見さんが謝ることないけど」

 と伊勢君からわたしに声がかかる。


 ついで再び伊勢くんの右隣にわたしが腰を降ろし、しばらく彼の顔を見つめた後で決心して告げる。


「伊勢くんね、今あなたがわたしを欲しければきっとあげる。でも明日になったらわからない」

「難しいなあ」

「そう、わたしは単純だと思うけど」

「だったら、そのわからない方に賭けて今日は帰るかな。おやすみ……」

「ああ、おやすみなさい。伊勢くんは最後まで紳士なのね」

「そんなことはないよ」

「じゃあ、わたしが勝手に思った伊勢くんの紳士像にわたしからのご褒美……」


 そんな前置きをし、わたしが伊勢くんの頬にキスをする。

 唇にしなかったのは何となく気後れしてしまったからだ。

 わたしともあろう女が情けない。

 けれども、わたしのそのキスが伊勢くんの心に火を点けたようだ。


「ぼく、やっぱり帰るのをやめる」

 と急に伊勢くんが言い放つ。

「いい子でいるのはもういいよ。一度くらいはしたいことをする」

「紳士失格ね」

「だって、ぼく、紳士じゃないから」

「経験もないくせに……」

「わかるの」

「そりゃあ、わかるわよ。ずいぶん日は経ったけど、何人もの男に抱かれ、且つ抱いたのよ。そういった経験って身に染み込んで感覚が鋭くなるの」

「初めての人はイヤ」

「誰でも最初は初めてよ」

「まあ、そうだけど」

「覚悟を決める」

「まるで、ぼくの方が蓮見さんに襲われるみたいだ」

「今はそうかもね。だけど、わたしは伊勢くんに抱かれたいな。すべてを毀されるみたいに……」

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