11 来
伊勢くんが住むお屋敷がある地域からわたしが一人住まいをするアパートまで道に迷わなければ三十分程だろうか。
二人は思ったより近くに住んでいたのだ。
わたしの実家もアパートから自転車で三十分と遠くはないから、機会があれば過去の何処かで二人は出会っていたのだろうか。
それとも偶然同じ大学に通うまで、やはり出会いはなかったのか。
申し訳ないので眠るつもりはなかったが、知らずにウトウトしていたようだ。
「蓮見さん。ホラ、着いたよ。起きて……」
と伊勢くんに声をかけられ、目を覚ます。
「ふあああ」
と呟きながら体を伸ばし、
「ゴメン寝ちゃったみたい」
と伊勢くんに詫びる。
「別にいいよ。でも、ちゃんと起きたの」
「たぶんね、んんあああ」
と今度は大きな欠伸だ。
わざわざ自分のアパートまで送ってもらった相手に失礼なこと、この上ない。
いつものわたしはいったい何処へ行ってしまったか。
まだ、両親に甘えていた子供時代のわたしが今ここにいる。
「うん、大丈夫。ありがとう」
伊勢くんの高級車から降りるわたしの表情に名残惜しさがあったのか、伊勢くんもわたしに同じような表情を見せる。
わたしが一人暮らしをするのは鉄骨モルタル壁のアパートだ。
大通りから小道に入り、さらに分岐した小道の先に建っている。
隣近所にも何軒か同様のアパートがある。
名前だけは立派に○○メゾンだったり、ハイムだったり、ヴィラだったり、あるいは旧い木造建てなのに白鳥荘。
幸いなことに小道の幅が広いので、わたしのアパートが建つ一角だけでも数台の自家用車が停められる。
そうでなければ、わたしたち二人は名残を惜しむことが出来なかっただろう。
アパートよりずっと手前でわたしが伊勢くんの車から降り、運転席に座ったままの伊勢くんに手を振り、それが別れだ。
次のシーンで二人は背中合わせ。
わたしはアパートに向かい、伊勢くんは帰路に着く。
まかり間違っても、
「ねえ、伊勢くん。ちょっとだけでいいから寄っていかない」
などという言葉がわたしの口から発せられることはなかったはずだ。
「いくらなんでもマズイんじゃないの。ぼくだって男だし、理性が飛ぶよ」
「じゃ、本当にそうなるかどうか、実験してみましょう」
とわたしが提案すれば、伊勢くんはそれ以上躊躇しない。
息が合うというか、阿吽の呼吸と言うか。
「じゃあ、本当に少しだけ……」
と伊勢くんが言い、高級車のエンジンを切る。
すると辺りが急に静けさが満ちる。
わたしのアパート周辺は駅前の繁華街から十分程離れた住宅街だから、夜の十一時ともなれば目立った音はない。
時折、猫か赤ん坊が泣くくらいだ。
あとは漏れ聞こえるテレビの音。
「では、こちらへ……」
と車から降りた伊勢くんにわたしが言う。
わたしの住む部屋は三階建てアパートの二階なので、まず階段を指し示す。
……といっても、それは伊勢くんのすぐ目の前にあるのだが。
階段はアパートの側面に張りつくように設えられている。
階段を上らず道を先に進めば、大家さん一家が住む家の玄関だ。
一階すべてが大家さんの住まい。
伊勢くんに先に階段を昇らせ、その後をわたしが追う。
昇り切った二階で短い外廊下を逆進すると、そこがわたしの部屋だ。
背負った紫色のリュックサックから財布を出し、その中からさらに部屋の鍵を出すと、錠に入れる。
回せばカチリと音を立て、当然のように錠が開く。
ノブを回してドアを開け、部屋の電灯を点けると、
「お先にどうぞ」
とわたしが伊勢くんの背を軽く押す。
「お邪魔します」
と伊勢くんは部屋の奥に言うが、当然のように誰もいない。
「礼儀正しいのね。でもドアを五センチ開けなくていいから……」
伊勢くんの背をさらに押し、靴を脱がさせ、部屋の中に進ませる。
わたしも沓脱に立ち、靴を脱ぐ。
今日わたしは伊勢くんのお屋敷に上がるときにも靴を脱いでいるが、自分のアパートだと開放感がまったく違う。
とにかくホッと人心地がつき、緊張感が見る間に解れる。
「何にもないけど、まあベッドにでも腰かけて……」
部屋を入ると右側の奥がキッチンだ。
つまりドアを入って目の前が廊下の短辺を挟んで壁。
キッチンの向かいがユニットバス。
右側突き当たりの壁から順に左にガスレンジ/シンク/冷蔵庫がある。
そのさらに左側がガラス引き戸で奥に六帖間。
六帖間の(向かって)右手側にベッド、その先がクローゼット。
クローゼットの対面、つまり六畳間の左奥に机がある。
机の椅子が向く方向は玄関(廊下)側だ。
その机の前が、いわゆるラックでデスクライトなどが取り付けてある。
六帖間の左側全面が収納(押入れ)という間取り。
六帖間を突き抜けた先がベランダとなる。
「殺風景でしょ」
とキッチンでケトルに水を入れ、スイッチを押してからわたしが伊勢くんに声をかける。
「でもまあ、蓮見さんらしいというか、イメージ通りだよ」
「そう」
「食事をしているときや、ぼくの家での態度の方が別人みたいだった」
「わかるわよ。わたしにしてもそうだったから……」
と独りキッチンで優しく微笑みながら、わたし。
まるでもう一人の自分に生まれ変わったようだ。
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