9 訪
「蓮見さんって食べるのがゆっくりなんだね」
「伊勢くんも男性にしては遅い方よ」
結局薦められるまま会席膳をいただくが、わたしにとっては結構な量だ。
メインのステーキを除き、一品ずつは少ないが、味付けがしっかりしているので、わたしには少し辛い。
それもあり段々とお腹が一杯になる。
ついで食べることに飽きてくる。
「そろそろ限界かな。もったいないけど食事は終わりにして、デザートをいただこうかしら」
わたしが言うと事前に頼んだゼリー状のデザートが給仕される。
正確に言えばゼリーではなく透明な葛餅で、その中にイチゴとキウイが埋まっている。
器にまず餡が引かれ、その上に果物の入った葛餅が載り、さらにその上に抹茶餡と少量の生クリームがかけられている。
美味。
和風デザートに舌鼓を打ちながら伊勢くんの方をみると、すべての料理とデザートをすでに平らげている。
華奢に見えるが、食は細くないようだ。
「わたしが食べ終えるのを待ってると飽きるでしょ。わたしが残した手付かずの分でも食べたら……」
「いや、ぼくもお腹が一杯」
言うと、伊勢くんが飽きることなくわたしを見る。
だから少し気恥ずかしい。
けれども話すこともないので、そのままにする。
気恥ずかしいが、苦痛ではない。
ふと、Is this love? (これが愛か)と思い、一人で笑う。
振り返れば中学生のとき以来の感情かもしれない。
そんなものがまだ自分に残っていたのかと吃驚する。
けれどもすぐに勘違いかもしれないと思い返す。
愛を知るほど、わたしには他人との交際経験がない。
もっとも、それが行為を通じてであるなら話は別だが……。
そんなことを考えながら伊勢くんの方を見ると目が合ってしまう。
普段ならば、そのまま何事もなかったかのようにしれっと視線を逸らすのだが、せっかくなので微笑してみる。
すると伊勢くんの表情が変わる。
まるで鳩が豆鉄砲を喰らったように……。
あるいはホエールウォッチングで初めて抹香鯨を見た人のように……。
「どうしたの。わたしの顔に何か付いてる」
「いや、人は見かけと日頃の態度に寄らないと思ってさ」
「Don't judge a book by its cover and on the place.……ってこと」
「そんな感じかな」
それからゆっくりとお茶を飲み一息吐く。
「ご馳走さまでした」
「お粗末さまでした」
「伊勢くんが作ったわけでもないのに……」
「まあ、そう言わないで」
わたしたちは二人とも未成年だし、伊勢くんは車を運転するから当然ノンアルコールだ。
他の客たちで店が賑わってきたこともあり、そろそろ会計にしようという話になる。
それでおあいそ(飲食店などで客に出す勘定書)を頼むと給仕が席まで赴いての会計だ。
この国では高級料亭を除き、飲食店の出入口近くで会計をする店が圧倒的に多い。
けれども欧米/南米/アジア各国は席で会計を済ませる文化のようだ。
欧州では特定のボーイに席を任す習慣があるから、その名残かもしれない。
もっとも最近では、この国でも都会を中心に席で会計する方式が広まっている。
面白いのは、その昔中国の庶民的な飲食店が食券制だったことだ。
あくまで冗談だが、人を信用しない文化の名残なのかと笑ってしまう。
……というような話を最後に店を出る。
「これからどうする……。家まで送るけど」
「明日も休みだし、伊勢くんの家に遊びに行こうかな」
「蓮見さん、それ、本気で言ってるの。それとも誤解させて愉しんでるの」
「さあ、どっちかしら」
二人して駐車場に向かい、伊勢くんのワゴン車の中に入る。
「そういえばホテルのフロントに当たる飲食店の、いわゆるレジ席って本当は何ていうんだろう」
と急に思いついてわたしが問うと。
「さあ、ぼくも知らないな。働く人たちはレセプション・スタッフだろうけど」
と伊勢くんが答える。
少し間があり、
「蓮見さん、本当にぼくの家でいいの」
と伊勢くんが問うので、
「お邪魔でなければ、お邪魔します」
とわたしが答える。
すると伊勢くんがまた、鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をする。
郊外に建つわたしたちの大学から伊勢くんの母親が経営する和風レストランまでは結構な距離だが、そこから伊勢くんの家まで十分もかからない。
「着いたよ」
と言いつつ、伊勢くんがワゴン車を一軒家の前に止める。
敷地は広そうだが、豪邸という雰囲気はなく、質素で落ち着いた感じがする。
居住者代々の暮らし振りの賜物だろうか。
ついで伊勢くんがワゴン車を降り門を開ける。
わたしは手伝おうかと思ったが、邪魔になると判断し、伊勢くんの動きを黙って目で追う。
それから伊勢くんがガレージに車を入れる。
わたしが家……というより屋敷の玄関に目を向けると灯りはあるが、人気がない。
その玄関に至ると、
「ようこそ、我が家へ……」
と当然のように伊勢くんが言う。
「大きな家ね」
とわたしが嘆息すると、
「でも旧いよ」
と伊勢くんが答える。
すると、そのタイミングで玄関ドアが内側から開く。
三和土に立つ中年女性が、
「文朗坊ちゃま、お帰りなさいませ」
と挨拶し、
「ただいま、吉野さん。お客様がいるから飲みのものの手配をお願いします」
と、その家の使用人らしい中年女性に伊勢くんが命じる。
「畏まりました」
伊勢くんに吉野さんと呼ばれた女性が会釈を浮かべながらも探るようにわたしを見つめ、
「いらっしゃいませ」
と一声残し、奥に消える。
わたしも同時に、
「お邪魔します」
と頭を垂れたが、それを上げたときにはもう彼女の姿がない。
「歓迎されていないようね」
それで戸惑ったようにわたしが言うと、
「そんなことはないと思うよ」
と根拠を示さずに伊勢くんが言う。
ついで思い出したように、
「吉野さん、ああ見えて結構せっかちなんだ」
と伊勢くんがわたしには良くわからない根拠を付け加える。
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