8 懸
わたしが伊勢文朗に指摘したことは嘘ではない。
人にはどこかしら自分と似通った、あるいは正反対の人間を嗅ぎ分ける能力があると思えるからだ。
わたし自身には証明できそうもないので、おそらく生涯に渡り仮説だろうが、そう信じている。
わたしとの付き合いに相応の距離を置いてくれれば、わたしは付き合いを拒まないのだ。
けれども世間的にそれはわたしの我侭と映るので、そうまでして近寄ってくる人間がいない。
あるいは歩み寄っては見たものの、わたしのツレナイ態度に失望するのだ。
せっかく世界でただ一人、蓮見紗の理解者となったはずなのに、当の本人にそれが理解されない、と嘆くのだ。
それで高校一年の後半から、わたしの常態が孤独になる。
それで苛められるかといえば、初期に少しあったものの、その後はピタリと止む。
そもそも他人に関心のないわたしを苛めて面白いわけがない。
髪を引っ張られて泣き喚くでもなし、またそれらの行為を正確無比に所属校を飛び越えた教育施設に報告されては面倒なだけだ。
爽快感も優越感も生じない。
また中学生のときに喧嘩相手を血塗れにしたという、わたしに対する間違った噂もそれに輪をかける。
実際にわたしがしたのは学芸会の工作の都合で偶々持っていた千枚通し(目打ち)で相手の掌……というより親指と人差し指の間の、いわゆる河童の水かき部分を貫いただけだ。
確かに血は出たが、大量ではないし、すぐに止まる。
これが合谷という名のツボ部分だったら後遺症が残ったかもしれないが、それもない。
相手の右手がしばらく学習机の表面に固定され、ついで解放されただけだ。
目撃者がいて、そもそも喧嘩を吹っかけたのが相手だという証言もあり、わたし自身は単に担任教師に叱られただけで放免される。
だが教育程度の低い子供の親の教育程度が低いことは世の常だ。
そちらの攻撃はわたしの父が食い止めてくれる。
方法は訊かなかったから知らないが、いずれ想像の範囲内だろう。
しかし父からはすごく怒られる。
普段大人しい父の姿しか知らなかったわたしだから、父が怒る姿を目の当たりにし、それに驚く。
けれども父の気持ちもわかるから、素直に項垂れたポーズを取る。
母はわたしを庇わない。
父の言うが儘を許している。
だが、それも当然のことか。
父はわたしの振るった暴力に対してのみ怒ったからだ。
その点に関し、仮にわたしがそうしなければ殺されていた状況でも父はわたしを怒っただろう。
それがわかるから、わたしは黙るしかなかったのだ。
今では一貫性のないことこそ人が人として生きる在り様だと理解しているわたしだが、当時はまだ一貫性を求めていたようだ。
伊勢恭助に連れて行かれたのは、結局彼の母親が経営する和風レストランの一軒だ。
その近くに父親が経営する別のレストランがあると車中で聞く。
「凄いわね」
「凄いのは、それぞれの親の方だよ」
「でも、経営状態を維持してるんでしょう。やっぱり凄いじゃないの」
「まあ、そうなのかな」
わたしにしては当たり障りのない会話。
会話をすること自体つまらなくはないが、愉しくもない。
だが伊勢文朗の醸し出す雰囲気がわたしには不思議と心地良い。
そう思い、横目で観察すれば、男なのに睫が長く人形のようだ。
顔立ちも醤油顔のイケメンだろう。
育ちが良いから会話で上段に構えることがない。
またわたしの話を聞きたかったはずなのに、自分のことばかり話してしまうところもどこか可愛い。
「あら、いらっしゃい」
「何だ、今日はいたのか」
伊勢親子、その夜の会話。
「初めて見るお嬢さんね、よろしく」
「蓮見紗といいます。こちらこそ、どうぞよろしく」
ついで伊勢くんの母親とわたしとの挨拶。
母親の態度/雰囲気の何処にも棘がない。
だから子供依存症の母親ではないとわたしにもわかる。
子供依存症の母親の場合、例えば息子依存症ならば、母親は息子の連れてきたどんな女に対しても敵愾心が凄まじい。
冷静に考えれば、自分のその態度がいずれ息子に不幸を招くとわかるはずだが、おそらく生涯に渡り気づかない。
説得しても理解を放棄するから相手になるだけ無駄だろう。
病気の症状としてなら納得できるが、わたしは同情する気になれない。
わたしにできるのは、そういった親に育てられなかった事実に感謝することだけだ。
「もういただくものは決まったの」
「いえ」
「では、本日のお勧めはこちらとなります」
……と急に商売口調に変わった伊勢くんの母親に示されたのが会席膳。
お品書きは以下となる。
前菜/御碗/御造り/米沢牛ステーキ/酢の物/サラダ/芋煮/つや姫釜炊き/デザート。
「伊勢さんのご出身は山形なんですね」
と、お品書きの内容からわたしが言うと、
「まあ、良くご存知で……」
と伊勢くんの母親がそう応えつつ会釈を残し、その場を去る。
「ママは蓮見さんが気に入ったみたいだね」
「人は見かけに拠らないのにね」
わたしにしては珍しく、笑顔を浮かべながらそんなことを言う。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます