7 夕
山道を昇り、降り、どうにか転ばず、最初の分岐道にあった背の高い草群をわたしが見る頃には明らかに陽が傾いている。
いつのまに現れたのか、筋雲が空で交差する。
ついで元の道に抜ければ、こんなに近かったのかという印象が過ぎる。
行きは知らぬ道だが、帰りは知った道ということか。
それでも一時間近く近くかかったから軽い散歩とはいえないだろう。
時刻は五時前。
間違って遭難をしなくて良かったと思い、取り合えずホッとする。
同じ道をまた一時間ほど戻れば大学がある。
周囲に迂回路はあるが、学生なので大学構内に中に入る。
警備員はいたが、挨拶すれば誰何されない。
もっともその警備員がわたしを見知っているのかどうか、浮かべた会釈からでは判別できない。
見上げはしないが、すでに午後六時なので夕景だ。
二本の筋雲が未だに残り、真っ赤な空の真上で交差している。
ついで目を向けた真新しい新館校舎にも古惚けた休館校舎にも夕日が映る。
目を凝らせば、いくつかの窓に蛍光灯の明かりが見える。
講堂や教室内には見えないが、研究室で点っているのだ。
わたしが通う大学の本校舎はT都にあるが、郊外に聳え建つ教養課程の校舎にも研究室が設けられる。
噂は種々だが、そのすべてが権力闘争の果てとも思えない。
こちらの方が捗る研究対象もあるだろう。
学生が三年時にこちらの校舎にある研究室を選べば、都会での授業は三年のときだけだ。
わたし自身はまだ騙されたような気分でいたので、四年時にも都会にいたいと思っている。
寮によれば知り合いはいるが、大学構内にあるのは男子寮だけなので近づく気はしない。
女子寮もあるが、それは大学構内ではなく、同じ土地だが市内のもっと中心地の方に建っている。
わたしはキャンパスを横切り、入ってきた方角とは反対側の正門に向かう。
キャンパス内に人影はあるが、わたしに近づく者はいない。
運動場の方から声が聞こえるから連休のこんな時間なのに練習をするクラブがあるのだろう。
体育館にも人がいるようだ。
そちらも運動部の活動だろうか。
けれどもキャンパス内の活気はその程度で、やはり平日の面影はない。
喉の渇きを覚えたので自販機に向かい、ルイボスティーを購入する。
この大学に入って嬉しいと思ったのは、自販機にルイボスティーがあったことだ。
普通の自販機の飲料には選定されない。
学生からのリクエストがあったのだろうか。
そんなことを考えながらルイボスティーを飲んでいると背後に気配を感じる。
振り返ると同じ学部の伊勢文朗(いせ・ふみあき)が物珍しげに立っている。
「こんな時間に大学にいるわけ」
と開口一番、わたしが問うと、
「それはこっちの台詞だよ。蓮見さん、クラブ活動してないでしょ」
という返答。
「入ってないからね」
「それがどうして……」
「訊きたいわけ」
「詮索はしないけど」
「伊勢くんは、どんな状況」
「今ちょうど帰るところ」
「それなら道々で……。バス、乗るでしょ」
「今日は車なんだ。兄貴が農学部の研究室にいてさ、その用事でモノを運ぶ手伝いをしたけど、もう終わったから」
「じゃあ、お兄さんは……」
「あっちは別行動。まだ実験が終わらないけど、終わったら、その後はデートらしいよ」
「で、伊勢くんは一人」
「そういうわけ。蓮見さん、駅まで送るよ。遠くないなら自宅まででも……」
「その前にご飯が食べたいな」
「ぼくで良ければ付き合うけど」
「伊勢くんなら十分よ」
それで話が纏まり、わたしが彼に従い、大学の駐車場に向かう。
傍から見ればカップルだろう。
それも貧乏くじを引いた男と無関心女のカップルだ。
まあ、そう見えてもわたしは構わないけどね。
駐車場で彼が指し示した車は、なるほど荷物を積んだだろうと思わせるワゴン車だが、高級外車。
「お金持ちなのね」
「父と母がね。飲食店を経営してるんだ」
「今時、黒字経営なんて凄いわね」
「その辺りのこと、ぼく、詳しくなくて」
「お坊ちゃまだから」
「最近つくづくそう思うよ」
そこから先は車内での会話だ。
「で、そのお店に連れて行くのね」
「蓮見さんがリクエストするなら行ってもいいけど、ぼくは気が進まないな」
「今度は鍵っ子の告白か」
「よくわかるね」
「伊勢くんの話の流れなら誰でもわかるわよ。だけど伊勢家の息子さんたちは、どちらもお店を継がないのね」
「兄がもう一人いるんだ。長兄で、そっちが継ぐよ」
「なるほど」
「で、蓮見さんは、これから何処で何を食べたいの。それともそろそろ駅だから、やっぱり電車で帰る」
「お気遣いなく。お店は任せるわ。何だったら、伊勢くんのアパートでもいいけど、食事を作るのは伊勢くんよ」
「へえ、びっくり。蓮見さんて、そんな人だったんだ」
「そんな人も、こんな人も、わたしはわたしよ」
「人と関わるのが嫌いそうに見えたけどね」
「だから、そうとわかる人といる分には苦にならないのよ」
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