4 絡

 人工性は感じないが、形はいかにも人工的だ。

 高さは木としては低く五メートルほどだろうか。


 巨大な盆栽と表現すれば比喩が荒過ぎるが。わたしの第一印象はそんなところ。


 種類は違うし、また数種が組み合わさったモノでもないが、わたしが通った幼稚園を経営するお寺さんの境内に半球状の傘に似た木があり、そのイメージも頭を掠める。


 その境内の木は小さな子供が三四人も雨宿りすれば一杯だったが、後にわたしが『木塊』と名づけたそれは遥かに広くて面積的に六畳間ほどある。


 連歌師宗長の『宗長日記』によれば大永六年(一五二六年)の茶室の広さは四畳半や六畳だったというから、角形ではないが、その印象も浮き上がる。

 いや、それより粋な離れが近いだろうか。


 あのときのわたしは十八歳。

 心はもっと子供だったはずだ。

 だから当然のように絡み合った木群=木塊の中に侵入する。


 けれども、その前に侵入路を見出すためにぐるりをまわる。


 木の種類に詳しくないのが残念だが、木塊を構成する木々の一つはわたしには椚(くぬぎ)に見える。

 樹皮が灰褐色で、表面の割れ目が厚いコルク状だからだ。

 けれども時期的にあるはずの房状の黄色い雄花が見当たらず、また虫もいない。

 クヌギは幹の一部から樹液が染み出すことが多く、甲虫や鍬形などの甲虫類や蝶または大雀蜂などの昆虫が集まる樹木の一種なのだ。


 けれども木塊の椚様樹木には、それがない。

 だから瞬時、わたしは狐に抓まれたような表情を浮かべたはずだ。

 もっとも自分の無知も承知しているので、それ以上悩みはしない。

 また枝はともかく、通常はまっすぐ上に伸びるはずの椚がぐにゃりと円くなっているので、やはり違う木だと惑う心もある。


 ただし一般的な広葉樹の特徴は太くて折れ曲がり、さらに枝分かれしていることなので、可能性としてはありそうにも感じる。


 さて、もう一種の木塊構成樹木は松だろう。

 これは見間違えようがない。

 種類は五葉松のようだ。

 だから、わたしは木群に盆栽の第一印象を持ったのか。


 五葉松は松を用いた盆栽で重用される一種。

 わたしの判定が正しくその木が松だとすれば当然針葉樹で、だとすると木塊では広葉樹と針葉樹が絡まり合っていることになる。

 そういうことが自然に起こり得ることなのかどうか、わたしには知識がないが、事実そうだとすれば起こったのだろう。


 木塊構成樹木のもう一種類は杜松のようだ。

 杜松も盆栽に利用されるが、わたしは本物を見たことがない。

 因みにセイヨウネズは英語でジュニパーベリー(Juniper berry)と呼ばれ、ジンの香りの元として知られる。

 わたしには杜松の詳しい種類まではわからないが、漂う香りはそれ系のようだ。

 そして、その木が杜松だとすれば針葉樹。

 わたしの頭の中で何かが混乱し始める。


 木塊最後の構成要素は樫だろう。

 鋸歯に見覚えがある。

 樫は広葉樹。

 さらに言えば椚と同じブナ科。

 松はマツ科で杜松はヒノキ科。


 種類はともかく、いずれの木もぐにゃりと曲がり、それぞれの木々と絡み合っている。

 自然が何を間違うとこんな形が生じるのか不明だが、わたしにはとても美しく見える。

 通常の木々の美しさとは、まるで違う美しさではあるが……。


 そんなことを考えながら木塊のぐるりを一周する。

 木々やそれぞれの枝の絡まり具合に大きな差は伺えない。

 わたしの身体の大きさくらいなら捩じ込める隙間が方々にある。


 さらに念入りに一周するが、その印象は変わらない。

 だから絡まった枝の隙間の中でも出来るだけ痛くなさそうな部分を選んで中に入る。


 バネに弾き返されるような抵抗をわずかに受けるが、それを越えればすでに内部。

 枝を触った掌に水の感覚が強く残る。

 樹液ではなく数日前の雨の名残のようだ。


 天井部分を見上げると光がない。

 それぞれの木々の葉が密生し、ドーム状の天井を埋めているせいだろう。


 けれども内部は薄暗くはあるが真っ暗ではない。

 周り中に隙間があるから当然か。

 それで反対側も見通せる。


 内部の広さは円形の六畳間ほどだが、当然のように、そこに椚、松、杜松、樫の幹がある。

 木塊内の中心部に位置するのが椚の木で他の三本はほぼ均等に端の部分に生えている。

 それぞれの幹は細く、一番太い椚でもわたしが抱えれば手が届く。

 ヒトが両腕を横に広げた長さが身長と同じならば、円周一六〇センチメ―トルということになる。

 内部の印象が思った以上に広いのは、わたしの背丈より上の部分で木塊内部の枝が伸びたり絡まったりしているからだろう。


 手を上に伸ばしても届かないから最低部でも二メートル以上ある。

 だから移動に神経を使わない。

 それが広い印象に繋がったのだ。


 それでも怪我をしないように注意しながら内部を巡る。

 巨人の腹の中に飲み込まれたと想像すれば、また愉しい。

 子供時代のわたし自身が心に広がり、想像の羽根を広げてゆく。


 ついで下を見てわたしが戸惑う。

 ドングリが落ちていたからだ。


 春にドングリ……。


 そういえば花もない。

 季節は春なのに……。


 そして葉が落ちている。


 木群内部に入ったときから音がしたはずなのに、わたしは気づかなかったようだ。

 枝の隙間を抜けることに気を取られ、さらに天井や内部の観察に感覚器官が寄ったのだろう。


 そうと気づき、改めて足元を観察する。

 しゃがんで触ると落ち葉全体が濡れている。

 近くに落ちていた小枝でその葉の下を突いてみたが、わたしを驚かすような虫がいない。

 いや、小さい虫ならいるのかもしれないが、大きなモノが見当たらない。

 それで先ほど椚から得た印象を思い出す。


 甲虫類や蝶、蜂がいない。

 樹液がない。


 それらは何を意味するのだろう。

 もちろん、わたしに答はない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る