のぶこ[C]
「ひろさん、外に看板出しましたよー♪」
扉の外から聞こえるユイカの元気な声に「ありがとう!」と大きな声で答えるひろ。
「ふう、あの看板結構自信作なんですよー♪ 褒めてくーださい」
目をつむって頭をひょいと差し出してくるユイカに、ひろは軽めにチョップを入れる。 「さあ、今日もよろしくねユイカ」
「・・・はーい。よろしくお願いします、ひろさん」
ユイカはめがねをくいっとあげる。
☆☆☆☆☆
しばらくすると、入り口の扉がゆっくりと開いた。
「・・・あのーすみませーん。もうやってますか?」
ユイカよりも身長の低い、小柄な女性。髪の毛は肩につくくらいの長さ。
「あ、大丈夫ですよー させて頂きますー」
「こちらで荷物をお預かりいたしますね♪」
ユイカの声に反応して、その小柄な女性はカバンをユイカに渡す。髪の毛は黒髪で、全体的に緩やかにうねっている。
「それではこちらの方に、お名前のご記入をお願いします♪」
「はい~」
ユイカからペンを受け取り、受付表に名前を記入する小柄な女性。名前は[のぶこ]。書き終わったタイミングで察したユイカが受け付け表を優しく受け取る。お互いにっこりとする。
「可愛いですね~ 私もこの位にしてもらおうかしら」
「あら、私とおそろいですか♪ いいですね♪」
お客さんを席にご案内し、椅子に座ってもらう。椅子を回転させて、鏡の前でひろはお客さんと対峙する。
「のぶこさん、初めまして。本日担当させて頂きますひろと申します。よろしくお願いします」
「あら、丁寧ね~ ひろさん、よろしくお願いしますね~」
お互いににっこり。
「さあ、今日はカットですね。さっきこの子くらいの長さにしようかなーとおっしゃられてたんですけど、そのくらいの長さには挑戦されたことはありますか?」
「いえ~ ないんですけど、やってみたいなあと思って。ほら、私赤ちゃん産まれたばっかりだから」
ひろはおぉ! と声を上げる。
「それはめでたい。と言うことは、カットされるのは久しぶりですか?」
「お店に来るのは久しぶりで、伸びたら自分で切っちゃってたんです~ すみません」
「いえいえ。少し触りますね」
ひろは触診を開始する。毛先の方を触ると、ざらざらとしている。ばらつきがあり、引っかかりも感じる。所々濡れている。
「カラーや縮毛矯正などはされてますか?」
「? カラー? 縮毛矯正?」
「えっと、色を変えたり、まっすぐにしたりすることとか何か髪の毛にカット以外にしたかなと思いまして」
少し、沈黙。そしてお客さんは答える。
「したことないですね~ 何か私の髪に不具合がありますか?」
「不具合、と言いますか。結構髪の毛が引っかかるからやりにくそうだなと思ったので、それを改善するのにトリートメントした方が良いかなと考えてました」
「トリートメント? ってなんですか~?」
ひろは少し目を開く。
「トリートメントは簡単に言うと、髪の毛がつやつやになって引っかかりにくくなる物です。扱いやすくなって、嬉しくなりますよ」
「! え、それやってみた~い」
「わかりました。シャンプー台で寝たままさせて頂きますね」
「は~い」
お客さんは静かに微笑む。
「あともう一つお伺いしたいんですが、髪の毛がちょっとうねってるのはお子さんが生まれる前からですか?」
「? そうですね~ そう言われてみると、子供が生まれる前はまっすぐだったかしら~ 子供が生まれてからは髪の毛が抜けたりしやすくなったかしら~」
「前髪の部分、少しめくりますね」
生え際を確認すると、産毛が多いと感じた。
「前髪も、多分もっとありましたよね」
「え~わかるんですか~ そうなんですよ。抜けちゃって、恥ずかしい」
「今の感じだと前髪の取ってる範囲が少ないので、もう少し増やすことも出来ますが、増やしときましょうか?」
「! 増やせるんですか? 是非~」
「了解です。後ろはギリギリまで切らせてもらって、横はあごくらいで切らせてもらいます。自分で髪の毛のクセを伸ばしたりはされますか?」
「・・・いや、特には~」
「わかりました。では、クセがある感じでも決まる感じでやっておきますね」
お客さんはおおーと口をすぼめる。
「? 大丈夫ですか?」
「! いえ~ こんなに事前に聞いてもらったのが初めてだったので、何だか感心しちゃって~ 楽しみ~」
「お、良かったです。では、シャンプーとトリートメントをさせて頂きますので、シャンプー台にどうぞ」
ひろは椅子を回転させ、左手をピシッと伸ばして誘導する。お客さんはゆっくりと立ち上がり、シャンプー台へと向かった。
☆☆☆☆☆
「こちらですねーどうぞー」
ひろに案内され、お客さんはシャンプー台にゆっくりと腰掛ける。
「おお~ ふかふかですね~」
「オープンしたてですから」
黄色いタオルを首に掛け、次いでシャンプークロスをかける。後頭部を支え、足付近にあるボタンを足で押す。
「では、倒しますねー」
「はい~」
自動で椅子が倒れていく。お客さんの首がシャンプー台の枕につくと、顔に小さなタオルを掛け、シャワーを出す。
しばらく出し、お湯になったら顔のラインにお湯を当てていく。右手でお湯をためるようにためるように動かしていく。
「お湯熱くないですかー」
「大丈夫ですよ~」
「はいー」
頭を掻きながら右のこめかみ、耳後ろ、左のこめかみ、耳後ろ、頭を左手で持ち上げてシャワーで後頭部にお湯を当てる。頭を下ろしてシャワーを止める。
シャンプー剤を手に2プッシュとる。手のひらで少し泡立て、頭につけていく。あまり泡立たない。ひろは1回シャワーをとり、その泡を流す。そしてもう一回同じ行程を繰り返す。
右のこめかみから順に、シャカシャカと頭をリズミカルに掻いていく。頭頂部は強く、動きを変えたりしながらやっていく。端から端まで掻くことを頭の念頭に置いている。
左手で頭を持ち上げ、掻いていく。以外と後頭部は力を入れないと気持ちよくないので、ひろは気合いを入れて掻いていく。三往復したら、下ろす。
今度は手をクロスさせるように掻いていく。これが気持ちいい。それぞれ掻いたら、シャワーを出す。泡を全てキレイに流し、トリートメントをつける。くしで髪の毛の中に浸透するように解いていき、首に温かいタオルを置く。
「あ、気持ちいい~」
「気持ちいいですよね~」
ひろは10本の指を使って、生え際からマッサージしていく。圧をかけることで血行を良くするという意識でじんわりとやっていく。書道の一筆書きのように、流れるように手を動かしていく。クラゲの触覚のような動きや、耳を挟み込むようにするマッサージなどを交えながら、いやしていく。
一通り終わると、タオルを取り、流していく。一つ目のトリートメントがある程度流れたら、二つ目、三つ目とつけてお湯を何度かかける。そしてシャワーで流す。
流し終わったらタオルをフェイスラインにぴちっとして、耳を拭く。そして頭を優しく、でもきっちりと拭いていく。
ひろは椅子を起こす。
「お疲れ様でしたー」
「・・・・・・」
お客さんは目をつむっている。くしゃっとなった髪の毛を、ひろは大きな目のクシで毛先から解いていく。つむじから放射状になるように、キレイに解かしていく。
「はい、どうぞー」
「・・・はい~ っと」
ふらっとなったお客さんを、ひろは支える。
「大丈夫ですか?」
「あ、はい~ 大丈夫です~ ちょっとふわっとなっちゃって~」
「ゆっくり行きましょうねー」
お客さんの歩幅に合わせながら、ひろはセット面に戻る。
☆☆☆☆☆
「お疲れ様でしたー」
「お疲れ様でしたー♪」
ひろの声に同調し、ユイカも元気な声でお客さんを迎えてくれる。お客さんはゆっくりと椅子に座り、ほげーっとしている。ひろは白いカットクロスをつけ、その上に首に髪の毛が入らないようにするネックシャッターをつけた。
「癒やされました~ ねむ~い」
「あら、ありがとうございますー」
ほにゃほにゃしているお客さんの頭を支えながら、ひろはどのくらいまで切るかを鏡越しに確認する。
「あんなに気持ちいいの、初めて~」
「お、真剣にやった甲斐がありました」
「嬉しいわ~」
お客さんはニコニコしている。
「では後ろはギリギリまで切らせてもらって、横は顎くらいの長さになるように切っていきますね~」
「はい~ お任せします~」
お客さんがほわんほわんした状態で、カットが始まる。
後頭部の髪の毛を半分にクリップで斜めに分け取り、首に貼り付けるようにときつける。そして、前下がりになるように断ち切る。首に張り付いた髪の毛を優しく床に落とす。ポトッと落ちる。
先ほど分けとった髪の毛をおろし、また貼り付けるようにときつける。そして切った髪の毛の長さよりも少し長めにカットする。しゅきしゅきしゅき・・・ ちゃ。心地のいい音が店内を彩る。左右にときつけ、出てくる細かい毛をカットする。
「・・・すやぁ」
ひろはサイドの髪の毛に移動する。生え癖にあわせてときつけてある髪の毛の流れを見ながら、くせも考慮しながら顎くらいの長さになるようにカットする。ガイドを決めると、そことさっき切ったところをキレイにつないでいく。左右にとき、いらない毛がないかを確認する。
右サイドに移行する。左サイドと同じようにガイドとなるあご辺りの髪の毛を切り、ソコと後ろをつないでいく。しゅきしゅきしゅき・・・ ちゃ。
「よし、では乾かしますね~」
「zzZ! はい~」
ユイカがタイミングを見てつけてくれたドライヤーのスイッチを入れ、髪の毛を乾かし始める。
「あ、もしかしたら私、髪の毛乾きにくいかもです~ 水属性持ちなので~」
「ん?! 水属性持ちなんですか? となると、今日来られたときに髪の毛が少し濡れていたのは水属性持ちだからですか?」
「いえ、えっと~ それは、まあ、美容室に来るし、いっかな~って、思いました」
「オッケーです」
後頭部の下から順に乾かしていく。クセでできるだけ髪の毛が膨らまないように乾かしていく。
(ブリーチ毛並に乾きにくいなぁ)
ひろは乾かしながら、心の中でそう思う。ブリーチをやり過ぎると乾きにくいように、水属性持ちの方の髪の毛は乾きにくい。
その後も集中して乾かしていき、普通の人の二倍くらい時間がかかって乾かし終わる。あえて手だけで乾かし終わり、ブラシは通していない。
「よし、ではドライカットしていきますね~」
「はい~ お願いします~」
まずは量を減らすために、スキバサミに持ち変える。普通に切るハサミと見分けがつくように、青緑の鋼を使った特注品。
襟足の部分を分け取り、斜めにハサミを入れていく。間の髪の毛が間引かれ、スキバサミの隙間に挟まり、床にポトッと落ちる。
「ちなみに旦那さんも水属性の方なんでしょうか?」
「い~え~ 旦那は炎属性なんです~ すぐ怒るから困りますね~」
「お、そうなんですね~」
次のラインを取り、斜めに梳いていく。クセの方向を考えて、はねないようにハサミを入れていく。表面はあまりスキバサミを使わず、中の部分を適度に梳いていく。
「でも、のぶこさん水属性やから、なんとなく大丈夫なんじゃないかなーって思いました
。今ふと」
お客さんは少し目をつむり、口をすぼめる。
「そうですね~ 怒ったら、水をかけます~ そしたら冷えて、しゅんってなります~ それが可愛くて可愛くて~」
「・・・さすがです」
表面になる部分は少しうねっているので、スキバサミは根元から1回だけ入れて、サイドに移行する。キャスター付きの椅子をスムーズに動かし、髪を分けとって梳いていく。
「子供もね~ 炎に適性があったんですよ~ 口は私に似てるんですけどね~」
「女の子ですか?」
「い~え~ 男の子です~ 目がくりくりして可愛いですよ~」
毛束一つ一つの量を見極め、量が均等になるように手の感覚で確認しながら梳いていき。左サイド、次いで右サイドも終える。そしてまた後ろに戻り、毛をしっかりとときつけ、細かな毛をそろえていく。そしてまた毛を分け取り、毛先にハサミを縦に入れてなじむように間引いていく。
「お子さんがめっちゃ優しい炎使いになったらいいですね」
「そうですね~ 料理人とかになって私に毎日美味しい料理を振る舞ってくれるようになるかしら~」
「なることを祈りましょう!」
「ふふ」
お客さんは穏やかに笑った。
毛先を全体的に縦にハサミを入れ終わる。
「はい、まずは下むいてくださいね」
「はい~」
下を向いてもらい、再度髪の毛が出ていないかを確認する。少し出てきた髪の毛を切る。
「はい、次は首をこう」
ひろは首を右に傾ける。
「こう、ですか~」
「オッケーです」
お客さんが首を右に傾けたところで、左の髪の毛をときつけて出てくる細かい髪の毛をカットする。ハサミのひんやりとした感覚がお客さんに伝わり、お客さんは少し目をつむる。
「はい、次は首を反対にー」
「はい~」
お客さんは首を左に傾ける。先ほどと同じように細かい髪の毛をカットしていく。
「よし、スッキリしましたね」
鏡の前には、先ほどまで長かった髪の女性はもういない。
「すごいです~ ほんとに、ありがとうございます~」
穏やかに笑うお客さんの笑顔につられ、ひろと後ろに立っているユイカは思わずつられ笑い。
「よし、乾かした状態でこんな感じでうねってても収まるので、日常生活でも問題ないかなと思います」
「はい~」
「では、乾かしますねー」
ひろはドライヤーのスイッチを入れ、髪の毛を思いっきり払うように頭をわしわしする。間に残っていた髪の毛が風に舞い、はらはらと落ちていく。髪の毛を落とし終わると、髪の毛をクリップで分け取り、丸いブラシを持つ、毛を面で取り、ブラシ←髪←ドライヤーになるように挟み込み、髪に熱を加えていく。ドライヤーの角度は45度。襟足の髪の毛は浮かせないように、根元を立ち上げるようにはしない。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
次の毛束を分け取り、少し根元を浮かせるように、次の毛束はもう少し浮かせる。トップの髪の毛は、顔とのバランスを考えながらボリュームを調整していく。
お客さんの顔のバランスに合わせて、サイドの髪の毛をブローしていく。根元が前に向いているので、それを矯正するように後ろにテンションをかけながら髪をまっすぐにしていく。
「よし」
ひろは冷風に切り替え、最後に髪の表面を落ち着かせる。その時、お客さんはゆっくりと目を開ける。眠そう。そしてドライヤーのスイッチをオフにし、コンセントを抜いてしまう。
つるつるになった髪の毛を優しくなでる。お客さんはまた目をつむる。ひろはお客さんと目線をあわせ、左右のバランスを確認する。オッケー
「さあ、完成しましたよ」
ひろが合わせ鏡になるように後ろを見せると、お客さんの笑顔が花咲いた。
「すご~い! すごいわ~ ほんとにありがとう~ ほんとに嬉しいわ~」
お客さんがそういった直後、頭の周りになにかヒカリのような物が見えたような気がした。
「こちらこそ、ありがとうございました」
ひろは椅子に座りながら深々と頭を下げる。お客さんもそれにあわせて、頭を下げてくれた。ひろは鏡をユイカにわたし、セット面の椅子を回す。ひろの案内で、お客さんは立ち、フロントにまで向かった。
☆☆☆☆☆
「お疲れ様でしたー」
「お疲れ様でしたー♪」
「ありがとうございます~」
ユイカがスムーズに荷物置き場から荷物と上着を出し、お客さんに渡す。そしてお会計。
「今日はカットなので、4400メルになります」
「あら、こんなに丁寧にやってくださったのに安いのね~ もっと料金あげてもいいんじゃない?」
「いえ、オープンしたばっかなので、まだまだこれからです」
お客さんは財布から、5000メルのお札を出し、フロントに置いた。
「5000メルからでよろしいでしょうか♪」
「はい、おねがいします~」
「それでは5000メルからでお預かりいたします♪」
ユイカがキャッシャーにお金を入れると、おつりがコミカルにぴょ~んと勢いよく出て、ユイカの手のひらにのる。
「それでは、600メルのお返しになります♪」
「はい、ありがとう。またくるわ~」
「はい、ありがとうございました!」
「ありがとうございました~♪」
ひろが入り口の扉を開け、お客さんを気持ちよく送り出す。お客さんは外に出てからこちらに向き、手を振ってくれた。ひろとユイカは同時に手を振り返し、扉をゆっくりと閉めた。
☆☆☆☆☆
「今日も喜んでくれて良かったですね、ひろさん♪」
「ユイカも途中ナイスアシストやったで」
「そんな、私そんなに役に立ってましたっけ♪」
ユイカはめがねをくいっとやりながら、少し照れている。
ひろが自然とお客さんの座っていた席を片付け始める。ユイカはそれを見て、シャンプー台のリセットをしに行こうとする。
「ユイカ」
「はい、なんですか? ひろさん♪」
ひろはじーっとユイカの顔を見つける。
「な、なんですか? そんなに私の顔を見つめて、わたしの事が好きになったんですか♪」
「そんなことはない」
「ひどい!」
ぷくっとほおを膨らませるユイカに、ひろは少し真剣な表情になる。
「髪型が完成したときになんかお客さんの頭が光っているような気がするんだけど、ユイカにも見えた?」
ユイカは少しうーんと考える。
「見えたような、見えてないような。まだ美容室の雰囲気に慣れていないので、ちょっと緊張していてわからないかもです」
「わかった。僕は異世界の人じゃないから、もしかしたらユイカならなにかわかるかなと思って聞いただけやから大丈夫やで」
「・・・今度お客さんが来られたとき、注意深く観察しておきますね♪」
両方の指でぐわっと目を開くユイカにチョップを入れつつも「よろしく」とひろが伝えると、ユイカは笑っていた。
異世界美容室ひろ ジュニユキ @zyuniyuki
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