第3話
翌朝、太一は眠れずに迎えた。今の社会にとって悪いことをした高揚感、父が作った法律に逆らった優越感、死んだ母の言葉に逆らった罪悪感、様々な感情が入り混じる。
(大丈夫、絶対にバレるはずがない)
罪悪感はあっても、犯罪者を助けた後悔はない。むしろ人が怪我をしていた所を助け、良いことをしたとすら考えていた。
毎日と同じように学校へ行く支度をし、食卓に入ると、陽菜がテレビで朝のニュースを見ながら朝食をとっていた。
「太一さん、どうぞ」
陽菜とは対角線上に座りたかった太一だが、陽菜の隣に結衣が食事を用意したため、仕方がなくそこに座る。いつもなら席を代えてもらうのだが、今日はそんなささいなことはどうでも良かった。
「何、あんた。気でも触れたの?」
「別に」
自分の隣に太一が座ったことでそう察した陽菜。いつもは顔を見合わせず隣にも座らない二人が、隣同士に座ったことで結衣は内心喜んだ。逆に陽菜は少し不機嫌となる。
「あんた今度は一位取れるの? 戸鎖家の名に恥じないようにして欲しいんだけど」
「姉さんに言われなくても頑張るよ」
「ふんっ、何その曖昧な態度! 情けないわねっ!」
隣同士に座っても、愛も変わらず水と油。思春期の姉弟は決して交わることは無かった。すぐに会話は無くなり、居た堪れない空間となる。
『本日の犯罪者に認定された者を発表致します』
故に、三人はテレビを見た。毎日どのチャンネルでも同じ時間に公表される犯罪者認定の時間だ。
『本日犯罪者に認定されたのは、五人です。
驚きのあまり、太一は箸を落とす。
『戸鎖太一、十六歳。以上です。犯罪者は法外追放された社会のゴミです。積極的に討罰しましょう。討罰した方には報酬として――』
「嘘……だ……」
テレビ画面には、マイナンバーカードで登録した自身の顔写真と住所が写っていた。太一は昨日の一件で犯罪者と認定されたのだ。
(犯罪者討罰法、第二条に引っかかった⁉︎ 何で……⁉︎ もしかして、あの火野って人にバレてた……⁉︎)
恐る恐る隣を見る。すると――。
「うわぁ⁉︎」
陽菜が箸を手に太一に襲いかかっていた。太一はすぐさま座っていた椅子から逃れて躱す。躱された攻撃は椅子に当たり、箸はへし折れた。箸で太一の顔を刺す気だったのだろう。刺さっていれば、軽傷では済まなかったかもしれない。
「弟が犯罪者なんて……信じらんない! どんな顔してこれから学校に行けばいいのよ⁉︎」
不仲とは言え、いきなり姉が襲ってきた。太一は腰を抜かして床に尻餅をつきながら、その事実に怯える。
「本当の弟のように思っていたのに……」
そんな中、結衣は台所へ向かい、引き出しから包丁を手に取る。泣きながら目を見開いているその表情は、さながら鬼の形相だ。
「せめて私の手で討罰してあげましょう」
「わああぁぁ‼︎」
結衣の豹変ぶりに恐怖した太一はリビングまで走り、パリィィンと窓を割って外へと飛び出した。そのまま庭池がある広い庭を抜けて、家の敷地外へと逃げ出し、靴下のまま道路を走る。既に緊張から息を切らし、冷や汗をかいていた。
「はぁっ! はぁっ!」
後ろを振り返ると、陽菜と結衣が後ろから追ってきている。
「止まりなさい! この社会のゴミ‼︎」
「今討罰された方が楽に死ねますよ⁉︎」
(何で人を助けた僕がこんな目に……⁉︎ このままじゃ……殺される‼︎)
殺気立った二人に追われ、そう思った太一が前を向いた刹那――ゴツッ!
「討罰ぅぅ‼︎」
突如路肩から現れた短髪の男に金属バットで殴りつけられ、頭からは血が噴水の様に噴き出した。その場に倒れ込みそうになった太一は歯を食いしばり、何とか堪えて再び走る。どこかに行く当てがある訳でもなく、ただ逃げるために無心で走るしかなかった。
向かう先はT字路。右か左、どちらかが天国か地獄、はたまたどちらも地獄。慌ててT字路に着き、右と左を太一は確認する。答えは後者であった。凶器を持った群衆が自分を殺そうと、左右から走って向かってきていた。背後を振り返ると、陽菜と結子を含めた集団が追いかけてきている。
「うぅ……」
正義という名の剣を手にした群衆達は皆、自分が正しいという免罪符を手に入れ、悪となった太一を討つ快楽に溺れていた。
逃げ場はない、万事休す。彼がそう思ったその時――。
「うぉ⁉︎」「危ねぇ‼︎」
暴走したシルバーのセダン車が群衆をかき分け、太一の目の前に後輪を滑らせながら止まった。自分を殺しに来た誰かだろうか、そう考え彼が戸惑っていると――運転席のドアが開き、降りてきたのは盗心彩葉であった。
「だから言ったろう? またねってさ」
「その声……彩葉さん⁉︎」
挨拶をする間も無く、太一の頭を金属バットで殴った短髪の男が再び襲い掛かって来る。
「死ねや‼︎」
頭を抱える太一を庇うように前に出た彩葉は、男が振りかぶったバットに一瞬右手の平で触れた。すると、
【
男の手からバットが消え、腕だけが空を切る。そのバットは何故か彩葉が左手に持っていた。マジックさながらだ。何がどうなって、彼女がバットを奪い取ったのか、その場にいる誰も理解できないでいた。
「あれ? な、何でお前が持ってやがる⁉︎」
「悪いね、手癖が悪くってさ」
どぼッ!
彩葉は襲い掛かって来た短髪の男の胸をとんでもない勢いで蹴り飛ばす。蹴り飛ばされた男は宙を舞い、勢いそのままに群衆へと突っ込み、将棋倒しのように人々が転がっていく。
「嘘……?」
太一と同い年ほどの華奢な少女が、否――人間が繰り出すような蹴りではなく、その様子に太一も群衆も唖然としていた。
「乗りな」
「は、はい!」
彩葉に声をかけられて正気に戻った太一は、足止めのために群衆に向けて金属バットを放り投げた彼女に続いて、セダン車の後部座席へと乗る。
「逃すな!」
迫ってくる集団に対し、構わず彩葉はアクセルを踏んだ。群衆は道を開けるも、何人かは轢かれて地面を転がった。
「ちょっと……人轢いてますよ⁉︎」
「はっ、人はそう簡単に死にやしないさ」
そう言って彩葉はアクセルを更に踏み込み、車を加速させていく。太一は車内で右へ左へと揺られた。
「うわぁ!」
「舌噛みたくなきゃ黙って掴まってな」
信号を無視し、たまに歩道を走り、速度も違反している。思わず太一は後部座席から身を乗り出した。
「違反しまくってますよ⁉︎」
「もう犯罪者のあんたが何気にしてんだい? 罪が百個や千個増えた所で関係ないじゃないのさ。社会的に死んでんだからさ」
「それは……そうですけど! そうじゃなくって!」
太一の言い分など聞く由もない彩葉は、百キロを超えた速度を出して他の車やバイクを掻き分け、信号も無視して移動する。次第に騒ぎを聞きつけたパトカーや白バイの集団が背後から現れてきた。二人が乗るセダン車を追尾しサイレンを鳴らしている。
「ほらっ! こうなるじゃないですか!」
「ほれ、こいつを使いな」
「……っ……⁉︎ ちょっと、冗談ですよね……これ本物ですか⁉︎」
彩葉が運転しながら粗雑に太一に投げ渡した物は、手榴弾だ。
「こんな物騒な物、何で持ってるんですか⁉︎」
「使い方分からないのかい? 車の窓開けて、ピン抜いて、後ろにポイっと投げるだけさ」
「そんなことできませんよ!」
「じゃあ捕まって討罰されるかい?」
「それは……嫌ですけど……」
「んじゃ、投げな」
「もう……僕は知りませんからね!」
太一は後部座席の窓を開け、ピンを抜いた手榴弾を投げた。先頭を走るパトカーの下に潜り込んだ手榴弾はドオォォン! と爆発し、パトカーと白バイの集団は吹き飛んで、後続は停止する。
「だ、大丈夫なんですか……これ?」
「言ったろう? 人は簡単に死にやしないさ」
「あれは死んでもおかしくないですよ!」
彩葉はあっけらかんとそう言ったが、あまりの惨事に太一は唖然としていた。
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