第2話

 その日の夜、上野では一人の少女が追われていた。

 金髪のセミロングを三つ編みに結った、整った顔の少女は、女性というにはまだ幼く、女の子というには少し大人びている。身長は百六十センチ程、年齢は十七歳程だろうか。ポンポンがついたニット帽を被り、大きめのグレーのパーカーに、ジーンズ生地の短パンを履いており、パンパンに膨らんだ黒革のバッグを持って走って逃げている。

 追うのは犯罪者討罰法が認められて、しばらく経ってから結成された内閣総理大臣直属の特殊部隊、【アウトロー討罰隊とうばつたい】。

 市民や警察が討罰できないような犯罪者を討罰する黒スーツの部隊は、火器などの特殊装備が許可されており、身体能力を向上させる近代的な超硬合金の装甲を手と足に装備していた。彼らの速度は馬をも超えているが、追われる少女はその速度を更に超えている。

「隊長、あの小娘の身体能力は何なんですか……⁉︎ 装甲を装備し、訓練している俺達より生身で身体能力が上なんて……!」

「あれがアウトローの【三番地の女盗じょとう】だ。逃がすな、包囲して討罰する」

 隊長と呼ばれた男の名は火野罰人ひのばっと。【アウトロー討罰隊】の隊長だ。

 黒スーツ姿のスキンヘッドをした四十路を超えている火野は、他の討罰隊員より大きな手甲と足甲を装備しており、顔のほとんどが火傷の跡で覆われている。おそらく、火傷の跡はスーツで見えない筋骨隆々の巨体全体に広がっていることが予想された。

 【三番地の女盗】と呼ばれた少女は、火野を中心とした【アウトロー討罰隊】に銃で撃たれながらも、驚異的な身体能力で躱して逃げる。時にはビルの壁を駆け、時には驚き騒ぐ人ごみに紛れ、遂にアメ横商店街の路地裏に隠れ、火野を中心とする【アウトロー討罰隊】を一時的に撒いた。

「ほんっと、討罰隊は面倒だよ」

 周囲は囲まれており、上空の至る所に自分を探すドローンが飛んでいる。更に追われた際に銃弾で左腕を貫かれていた。そんな中【三番地の女盗】が選んだ選択肢は、

「落ち着くまで時間を稼ぐかね」

 上野公園に身を潜めることだった。


 塾を終えた太一は帰宅途中、乗り継ぎをする上野駅で降り、上野公園へと向かう。大きい公園の中のベンチに腰掛けてコンビニで買ったカフェラテを一口飲んでふぅ、と息を吐く。

 勉学に勤しんだ長い一日の唯一の憩いの時間。夜の広い上野公園は、賑やかな声が聞こえつつもどこか静かで、孤独な気分を味わえる。太一にとっては大事な時間だった。

「今日はいつもより騒がしいなぁ」

 駅周辺ではいつもよりがやがやとしていた。【アウトロー討罰隊】が【三番地の女盗】を逃し、上野駅周辺をパトロールしていたからだ。当然来たばかりの太一は、原因に関しては露ほども知らない。

 ガサッ。

「ん?」

 太一が座るベンチの後ろの草陰から音が鳴り振り返ると、「ちっ」という舌打ちと共に手が伸びてきた。

「んぐっ……⁉︎」

 華奢にも関わらず余りにも力強い手で、口を塞がれ草陰へと引き込まれる太一。彼は拘束を振りほどくために暴れたが、細い腕は微動だにせず、首元には即座にナイフが当てられる。

「叫べば殺す。首以外を動かしても殺すよ」

 少女らしき声の急な命令に混乱していたが、首元のナイフを見て、慌てて首を縦に振る太一。身体からは緊張と恐怖から冷や汗が吹き出る。

「このままここを立ち去りな。あたいのことは絶対に誰にも話すんじゃないよ。話せばどこまででも追いかけ、必ず後悔させてから殺す。分かったかい?」

 背後におり、姿を見せない少女にもわかるように、再度勢いよく首を縦に振る。

「振り返んじゃないよ」

 少女は塞いでた手をのけ、太一の背中を押して解放した。しかし、彼は自身の手の平に血がついていることに気付き、振り返らずに声をかける。

「あれ……? もしかして……怪我してます?」

 太一自身が怪我していないため、おそらく少女が怪我をしており、先程暴れた際に手に付着したのだろうと察した。

「だったら何さ」

「だったらって……大変じゃないですか」

「あたいはアウトローだから治癒力が他の人間よりか高いから、大丈夫さね」

「アウトロー……?」

 犯罪者であろうと同じ人。父が作った犯罪者討罰法があれど、それは変わらない。女の子が怪我をしているのを放っていてもいいのかと太一が立ち尽くしていると、手足を大きい装甲で武装した一人の黒スーツ姿の男が近づいて来た。

「そこの少年。私は【アウトロー討罰隊】の火野罰人という者だが、聞きたいことがある」

「はい……?」

 日本の国章である十六葉八重表菊じゅうろくようやえおもてきくの紋が入った手帳を見せながら名乗って来た、火傷跡だらけの百九十センチを超える巨体の火野を見て、太一の心臓が跳ね上がるように大きく鼓動する。それと同時に背後の少女は警戒心を強めた。

「この犯罪者を見なかったか?」

 見せられた写真は、顔は見ていないがおそらく背後にいる少女のモノ。火野や駅にいた武装した黒スーツの男達は少女一人を追っていたのだろうと、太一は悟る。

「……見ましたよ」

 太一の答えに少女はナイフを強く握る。場合によっては火野と太一の二人を殺して逃げるつもりだろう。しかし――。

「あっちの方に走って行きました」

 太一は上野公園の出口を指差し、嘘をつく。太一のその行動に少女は驚いた。太一の答えを聞いた火野は耳につけたインカムに手を当て、部下の隊員に即座に命令を下す。

「撒かれたようだ。もう駅を張らなくていい。追うぞ、着いてこい」

『はっ‼︎』

 部下の返答を聞いて手帳を閉まった火野は、武装した手で太一に敬礼した。

「少年。協力、感謝する」

「……いえ」

 そして、その場を去っていく。その速さたるや、逞しく重そうな体からは想像できない程速く、まるで猫のように軽かった。

「ふぅ……」

 火野が去り、緊張感から解放された太一は疲労し、ドスンっと勢いよくベンチに腰掛ける。

「あんた、バカかい?」

「何で……ですか?」

 少女から声をかけられても、ベンチに座ったままの太一は後ろを振り向かず、緊張で体を硬らせながら会話する。無理もない。先程、草陰に引き込まれてナイフを首に突きつけられたのだから。

「あたいが犯罪者だって、分かってんだろう?」

「それは分かってますけど……」

 分かってるのにも関わらず何故助けるのか、少女は理解出来ずにいた。犯罪者を救済したことが国にバレれば自らも犯罪者となるというのに。

「あなただって、同じ血を流す人間だから」

 それでも太一は無意識に助けた。

「それにあなたは犯罪者でもそんなに悪い人じゃないでしょう? さっきあやふやな口止めをして解放するなんてリスクを負わないで、僕を殺すっていう手っ取り早い方法だってあった。もう社会的に死んでいるから、罪を重ねても重ねなくても、結局討罰されれば死んでしまうのだから」

「…………」

 父、一心が作った法律に逆らう。太一はそうすることで目に見えない何かを振り解ける。そんな気がしたのかもしれない。あるいは、ただ助けたくなってしまっただけだ。

「あんた、名前は?」

「僕は戸鎖太一です。あなたは?」

「あたいは盗心彩葉とうしんいろは彩葉いろはでいいよ。じゃ、

 どこか上機嫌に名乗った彩葉は、怪我した左腕を抑え、

「戸鎖……太一ね」

 意味深に太一の名前を呟きながら、そのまま公園の何処かへと消えた――。

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