閑話 アルフォンスの安息

セドリック・バルデンの執事アルフォンスはいつも忙しなく動き回っている。


侍従長を務め、王の懐刀と呼ばれる主の情報収集の手伝いをし、そしていつも忙しい主が家ではすこしでもくつろげるようにするのが彼の仕事だ。


それはミスランティにきても変わらなかった。休職中とはいえまだ完全にやめたわけではないセドリックのもとには今でも様々な仕事が割り振られている。

そのうえ、ミスランティはセドリックたちハドール家にとって敵地も同じ場所。

情報収集は怠れないし、食材調達など日々の暮らしの体裁を整えるのも一苦労だった。


そんなセドリックは今日、婚約者のフィリーネとの逢瀬に臨んでいる。


「そんなに不安なのですか?」


侍女のマリアが尋ねた。彼女はアルフォンスにとって唯一の全幅の信頼が置ける同僚であり、思いをともにしている同志でもある。


「当たり前でしょう。マリアは不安ではないのですか?」

「ふだんこそ素っ気ないですが、セドリック様はなんでもそつなくこなされますから」

「それはそうですが・・・」


マリアはわかっていない。セドリックはそつなくこなしはするが、それ以上に踏み込むことが苦手なのだ。

特に任務に関わらない相手、それこそ恋人などとのかかわりは皆無である。そして何より、素の状態では愛想がまるでない。


「人とのかかわり、それこそ恋路などでは優しく、愛想よくあることが第一でしょう」

「アルフォンスの恋愛遍歴ではそうなのですね。ただ、優しくするばかりが恋路ではないのでは?」

「というと?」

「自分の本当の姿を隠さず相手に曝け出して、受け入れてもらう。そして自分も相手を受け入れる。それこそが必要かと・・・」


なるほど一理ある、と思いはした。しかしそれは恋愛だ。政略結婚ではそんなに簡単にはいかない。どれだけうまく相手の望む姿を演じ、円満な関係を築くことこそ必要なのだと、アルフォンスは考えている。

それを正直に話せば、これまでそんなことを考えて自分と暮らしてきたのかと怒られそうなので決して口にはしないが・・・


「ともあれ、まずはセドリック様が戻らぬことにはどうしようもないでしょう」

「それもそうですか。・・・にしても、遅いですね。夕暮れ前には帰ってくると思っていたのですが」


外を見ると、既に月がだいぶん明るく見えていた。

本当なら時間も忘れるほど良好に進んでいるのだろうと喜ぶものだが、あのセドリックのことである。うまくいっているのなら予定通り早々と帰ってくるはずだ。


「何か計算外のことでも起こったのではないでしょうか。我々はミスランティの民にはたいそう嫌われておりますし」

「おやめなさい、不吉な」


たしなめるが、その可能性は大いにある。日夜感じるあの射殺さんばかりの敵意の眼差しは、ふとした拍子で何が起きてもおかしくはないと思わせるほどだ。


「勇敢令嬢殿が側にいて、間違いを犯すことはないとはないでしょう」


アルフォンスはマリアを追い出して一人になった執務室の中で、言い聞かせるように何度も呟きを繰り返した。


・・・ああ、胃が痛い。


胃薬の調達をしておかなければと思いながら整理を進めていたとき、外は既に真っ暗な中でセドリックが帰宅するとの知らせがマリアより齎された。

アルフォンスは駆け足で向かい、門で主の帰りを待ちわびる。


「おかえりなさいませ」

「ああ」


いつもどおりの素っ気ない返事だが、今日は何か少し違うことに気が付いた。なんとなくいつもの冷気とは違う、暖かい空気をまとっているように思えた。

今すぐ問い詰めたい気持ちを必死に隠し、ご無事で何よりとだけ言って夕食に案内する。


「今日新しく集まった情報を頼む」


夕食、湯浴みを終えるとすぐセドリックは催促した。


「はい。めぼしいところでは先日エーレンフェスト侯爵がミスランティを訪れていたようです。会談相手はミスランティ辺境伯、それとレプトン伯爵ともお会いされたようです」


アルフォンスは情報をまとめた紙束を渡す。エーレンフェスト侯爵の来訪は既に一週間は前の話で、会談相手も定かとは言い切れない不確実な情報だ。

セドリックは渋い顔をした。


「ミスランティでの情報収集が難しいのは承知の上だがここまでとは」

「リコリアはともかく、以北の貴族領となれば我々はおろか、商隊ですら易々と入り込む隙がありません」


ミスランティを見くびっていたと言われればそれまでなのだが、以前はここまではなかった。それだけこの婚約に逆風が吹いているのだろう。


「やはり今しばらくはデイムとディアラドの民を中心に情報を集めるよりなさそうだな」

「勇敢令嬢殿はともかくディアラドの民ですか?」


アルフォンスは発言の意図を計りかねた。ディアラドの民衆はその他多くのミスランティの人々と変わらず好意的ではない。情報収集もおぼつかないと言っていたのはほかならぬセドリックなのだ。


「解決したのだ。デイムのお言葉によってディアラドの民は我々に対する敵意をひとまずは取り除いた」

「言葉だけで・・・ですか?」

「そうだ。人とはあんなに早く変われるものなのだな」


 セドリックがしみじみと言った。嘘を言っているようにはとても見えないが、かといってあの殺意が消えるのは全く想像もできない。


「にわかには信じられません」

「だろうな。これが証拠だ」


セドリックは大事そうにしまっていた花かんむりを取り出して見せた。聞けば街の子どもにもらったものだという。


「お返しとしてこちらからも花かんむりを作っている。ひとまず受け入れられたと考えて問題ないだろう」

「坊ちゃまもおつくりに?」

「そういっているだろう・・・おい、笑うな」

「いいえ、坊ちゃまが成長されたのだと感じ、このアルフォンス嬉しくなりまして」

「とにかく、住民の態度が変わったことは明日外に出てみればわかるだろう」


泣き出すアルフォンスに投げ捨てるように言った。


翌日アルフォンスが食糧調達に行くと、セドリックに教えられたとおりの光景が広がっていた。

日々の食材を集めるのさえ苦労していたのに、今日は一瞬のうちに終わった。外を出歩くたびに身の危険を感じざるを得なかったのに、今日はむしろ気さくに挨拶までしてくれる。

洗脳したのかと疑ってしまうほどの変わりように戸惑いとフィリーネの存在の大きさを感じるとともに、昨日確かに変わっていたセドリックの行く末が少しだけ楽しみになった。


「今日はよく眠れそうです」

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