閑話 アルベールの憂鬱 前編
リアステア城の領主の間で、ミスランティ辺境伯アルベールは大好物のチョコクッキーも手につかないほど悩んでいた。
話題の主はもちろん、昨日国王フェルナンドより下された、フィリーネと王の懐刀として活躍する侍従長セドリックとの婚約の王命である。
「ヘンリック、私はどうすればよい?」
ヘンリックはミスランティ辺境伯家の執事であり、辺境伯の右腕として活躍している。
「どうもこうも、王命を受け入れるほかありますまい。此度の王命に逆らうのはいかにこのミスランティ辺境伯家とて不可能ゆえ。それに上手く断れたとしても二の矢が飛んでくることは火を見るよりも明らかなのですから」
「そうだな。その通りだ」
ヘンリックの返答に、小さく返事をするとアルベールは肩を竦めた。王は随一の信頼を置く侍従長をわざわざ手放してまで婚姻を成立させようとしているのだ。
相当の本気度を持ってことに当たっているのは察するにあまりない。
「ただ、侍従長をこちらに寄越して婚姻させる利益と王の側において役立てる利益との天秤が成り立たないのが不思議です。嫁入りならともかく婿入りさせる意味はあまり感じません」
「フィーリーネたちも同じようなことを言っていたな。来たところで家督を継げるわけでもない。フィリーネがもしも一人娘であれば可能性はあったのであろうが・・・」
フィリーネにはテオドラという弟がいる。
いまだ齢10歳ながらも将来を嘱望される聡明さの片鱗を見せている次期辺境伯に相応しい自慢の息子だ。
この国の爵位の継承は男女で差別されるわけではないが、本人が希望していないことやフィリーネをゆくゆくはレプトン伯爵として貴族を取りまとめる立場にしたいとの考えから後継者を外れている。
「ですが、我が国の貴族たちはそれでは納得しないでしょう。王がお嬢様を傀儡にしてミスランティを牛耳ろうとしているのだと、そう主張する貴族も複数おります」
「相手がフィリーネであるからな。当然だろう」
フィリーネは実績的にも辺境伯の地位に立つのに不足はない。むしろ跡継ぎでない状況の方が不自然なのである。
「フィリーネが家督を望むと思うか?」
「望まぬでしょうが・・・姫様はとてもお強い。あんなこともありましたし、武勇が健在かはわかりませんが上に立つものとしての資質がおありです。独立を望む貴族にとっては最高の指導者となります。かくいう私も、気を抜くと姫様に王冠をかぶせてしまいます」
フィリーネが家督を望まなかったのは自分がなりたくないからだけではない。独立の機運が高まることを恐れたからだ。
フィリーネはミスランティの平民達よりひどく慕われている。
反乱軍がミスランティの街に押し寄せた時に陣頭で指揮を執り、10歳そこそこの年齢で自らも反乱軍の騎士を相手に勇敢に戦っていた姿はさしずめミスランティのジャンヌ・ダルクといったところだろう。
とにかく、フィリーネがひとたび声を挙げればミスランティを動かせてしまうのだ。
「それだけは防がねばなるまい。あの子たちも望まないだろう。そんなことをしては悲しませるだけだ」
辺境伯は独立を夢みたことはある。しかし戦争を起こしていたずらに犠牲者を出したいわけではない。
「左様にございます。ですから我々は戦わなければならないのです。悲しみを繰り返し、これ以上姫様が心の傷を負うことがないよう」
それは優秀な家宰であるヘンリックが提示した、最も手っ取り早く荒い方法であった。
「私に義父殿と戦えというのか?」
「最大の過激派であるレプトン伯爵をいま抑え込めば、表向きの反対は鎮圧できましょう。その間に懐柔を計れましょう」
確かに、一番確率の高い方法ではある。しかしながらそれはミスランティを揺るがすものになることは間違いない。身内を、それも領主婦人の実家をつぶすのだ。ミスランティ辺境伯家に対する信用そのものが揺らぎかねなかった。
「・・・そのようなことできるわけなかろう。私とて、義父殿の気持ちがわかるのだ。ミスランティのかつての無念が分かるのだ」
夢を見ないためにテオドラを見極めることなく早々に決断したのだ。
領内で地獄を見るか領外と地獄を見るか
そのどちらを選ぶことも今のアルベールにはできない。
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