第1話 領都を離れる

「フィリーネ、其方にはこの城を離れてもらうことになった」


翌日、既に雨は上がり一転して清涼な晩秋の陽気の中、辺境伯はそう通達した。


「どういうことですか?姫様に城を出ろと?」

「止めなさいルイーズ」


突然の通知、しかもフィリーネを切り捨てるかのような辺境伯の言動に語気を強めた騎士のルイーズをリリーが窘めた。


とはいえリリーも納得しているわけではない。


「辺境伯、侍女の身でありながらの失礼をお赦しください。お嬢様を城から出す理由をお聞かせしていただいても?」


感情が元騎士としての貫禄、凄みとなって威圧するようなオーラになる。

辺境伯はリリー達の剣幕には無反応で、フィリーネを正面にして静かに口を開いた。


「フィリーネ、君はバルデン宮中伯がどのような人物であるか知っているな?」

「はい」

「どんな人物だ」

「バルデン宮中伯はアルメニタ王国の侍従長にして王の懐刀と呼ばれる程の切れ者です。先の内乱においては中立の貴族、並びに王女派の貴族を寝返らせるなど多数の活躍をしています」


ミスランティ辺境伯家のようなどちらかと言えば王女派よりだった国の重要貴族が王女側に参戦しなかった、もしくはエーレンフェスト侯爵家のように王子派に寝返ったのは彼の功績による部分が大きい。


また、内乱に乗じて独立を目論んでいたミスランティの思惑を間接的に打ち砕いた人物でもある。


「あぁそうだ。我々が独立を果たせなかったのも宮中伯のせいだと言えよう。宮中伯の手勢の監視を感じたからこそ我々は行動を慎まざるを得なかった」


辺境伯は冷静沈着な様相を保っているものの、わずかに苦虫を噛み潰したような表情で悔しさを示した。


「だからこそだ。其方がこの城にいるのは、百害あって一利なしだ」

「お祖父様は特に独立が果たせなかったことを悔しがっておいででしたね。それを考えれば、セドリック様が城内に、叶うなら領都内に入るのを防ぎたいということでしょうか?」


辺境伯はうなずいた。好き嫌い、というよりもセドリックの安全を考慮した結果、それこそ間違いが起きて騒動に発展するのを防ぎたいのだろう。


「承知しました。リリー、ルイーズ、あなた達もよろしいですね?」


リリーとルイーズを見る。リリーはもとより思考力には自信のないルイーズも二人の話を聞いて納得した。


「それで、代わりにどこに行けばよいのでしょうか?バルデン宮中伯様がいらっしゃる直前のこの時期に私が領都を離れるとなれば、それ相応の理由がなければ余計に怪しまれるのではないかと」

「ディアラドだ。フィリーネには領地経営を学んでもらうという建前でリコリアを離れてもらうつもりだ」


フィリーネにはテオドラという弟がいる。実はフィリーネは彼を溺愛していたりするのだがそれはさておき、ミスランティ辺境伯家の後継者はテオドラであると内々で決まっていた。


とはいえテオドラはまだ10にも満たない幼子


万が一の中継ぎという観点から見ても、フィリーネが領地経営を学ぶというのはありうる話で、外部から見てもなんらおかしな点はなかった。


「妥当なところですね。ただ私が領地経営を学ぶことで、私が後継者になる可能性を考える貴族も出てくるのでは?」

「リリーも同意いたします。お嬢様は勇敢令嬢と称されるほどの功績をお持ちです。辺境伯家の爵位を継承させるおつもりがないのであれば、領地経営を学ばせるのは危険であると拝察いたします」


それこそ今回はセドリックが婚約者として婿入りするタイミングでの判断である。この婚約を機にフィリーネを跡継ぎに考えたと思われても不思議ではない。

二人の懸念に辺境伯はすこし考えてから口を開く。


「それがたとえ、宮中伯を遠ざける方便だとしても、か?」

「はい。テオドラ様の爵位継承において一番の障壁となるのはやはりお嬢様の存在の大きさです。これ以上存在感をもたせる必要もないでしょう」


人の先陣をきる勇敢さ、高貴な血筋、聡明な頭脳を持つフィリーネに唯一次期領主として欠けている資質は領地経営能力であった。

フィリーネと辺境伯、両名の意思であえて領地経営を学ばないようにしていたのは辺境伯領内では公然の秘密で、それがフィリーネが爵位に興味がないことの証左になっている。


それが領地経営を学べばどうだろうか?


本人にその気がなくとも祭り上げられる危険性は大いにある。それにハドールの血を嫌う者達との間で二分され、対立が起こる可能性さえある。


「ですが宮中伯を領都に入れることも同程度に危険でしょう。理由に問題はあるにせよ、お嬢様を城の外に出すことには賛成いたします。ルイーズも構いませんね?」

「······はい」


リリーは振り返り、有無を言わせない微笑みを向けた。笑みを向けられたルイーズは不承不承という様子ながらも頷く。


「私もそれで構いません。ディアラドのお母様の屋敷にはどちらにせよ滞在したいと思っていたところですし、それで貴族達の溜飲が多少なりとも下がってくれるなら喜んで」


滞在したい、と滞在する予定とは別の意味だ。いつかではあってもそれは今年ではなかったし、弟にも会えなくなるのは憂鬱でもある。


しかしながら、フィリーネの一番の願いは領民が安全に幸せであることだ。

平民達に気概が及ばないようにすることは言うまでもないけれど、貴族達にも当然嫌な思いでいてほしくはない。


「無理を言って済まない。そしてありがとう」


フィリーネの真意を聞くまでもない辺境伯は頭を下げて謝意を示す。


「ところで理由はどういたしましょう?領地経営を隠れ蓑にするのはやはり下策、されど合理的な理由がないのもまた問題でしょう」

「そうだな・・・今年の冬の討伐にはフィリーネが参加し、されども騎士として最前線から離れた期間が長いためその遅れを取り戻すための訓練、というのはどうだろうか。たしかディアラドの近くにはウルフの森があっただろう?」


ミスランティでは冬の時季に強力な魔物が毎年発生する。

通称"氷の将軍"と呼ばれるこの魔物は、人をいたずらに襲うということはないものの、放置していると地上の栄養や森のめぐみを枯らしてしまう。

そのため騎士団が毎年討伐するのだが、実はフィリーネは討伐には参加したことがなかった。というのも、フィリーネは先の内乱で活躍したころの年齢はまだ10歳であり、参戦は非常事態ゆえのものだったからだ。

もちろん他にも事情はあったが、一番の理由はそこだ。

しかしフィリーネは今年で17歳。成人を迎えた昨年は冬の儀式のために不参加だったものの、騎士団に随行して氷の将軍の討伐に出ても何らおかしくはない。


加えて・・・


「今年の氷の将軍は例年よりも強いのですね?」

「あぁ。まだ不確定ではあるが、神官の調査によればそうなのだそうだ。昨年、一昨年と小規模だった。今年はその反動が起きても不思議はない」


表情を変えずに言ったが、フィリーネはその言葉の意味を正しく理解していた。

まだ季節は秋で、冬の兆候が見え隠れする程度のこの時期に、正確さを好む神官達が氷の将軍の規模の推測を出すのはただごとではない。


「分かりました。そうしましょう」

「其方には背負わせてばかりで申し訳ないが、そのつもりで準備を進めてくれ・・・望むのなら準備や訓練を口実に国王陛下の定めた宮中伯との予定をなくしても構わない」


いたずらっぽく辺境伯は付け加えた。むしろそっちが本題なのではと思うほどだ。ただ、フィリーネも王命で人と会うことを強制されるのは気の進む話ではない。


「その案、ありがたく頂戴いたします」

「ではよろしく頼むぞ。何かあれば屋敷のものを通して伝えなさい」

「はい。御命、承りました。氷の将軍討伐のために訓練に励ませていただきます」


にわかに騎士の風格を纏わせたフィリーネは、辺境伯に忠誠の礼をとる。

こうして翌日、フィリーネは領都を離れて衛星都市ディアラドに移ったのだった。

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