アルカンシェル~勇敢令嬢と王の懐刀、敵対貴族の恋のはなし~

シルフィア・バレンタイン

はじまりの雨

今日は雨、北部地方においてはなかなかない晩秋の雨の日である。ミスランティではいつ雪に変わってもおかしくない。


「お嬢様、よろしかったのですか?」


ミスランティ辺境伯領都のリコリアス城の一室、辺境伯との会談を終えて自室に戻った少女に、リリーは声色に不満をにじませて言った。


「よいもなにも、断る理由はないかしら。相手は優秀で王からの信頼も厚い。ミスランティのためにも悪い相手ではないわ」


つい先程、少女には婚約が伝えられた。それも王命によって紡がれたものである。

もちろん少女、フィリーネにはそれ自体に異論はない。王国のバランスを取るために大貴族の間に縁談を運ぶのはよくあることだ。


にも関わらずフィリーネの顔色はすぐれない。


そう、問題はその相手・・・


「まさかハドール侯爵家との縁談だなんて・・・ミスランティとの確執は重々承知されているでしょうに」

「そうね」


フィリーネは穏やかに返す。

実はミスランティ辺境伯家とハドール侯爵家には切っても切れない因縁がある。そしてこの縁談の相手はまさにそのハドール侯爵の息子である。


「陛下は何を考えておられるのでしょう」

「私にも分からないけれど、セドリック様は王の懐刀と呼ばれるお方よ。侍従長として宮中伯の身分も有しているのだし、そこまでハドール侯爵家としての存在感は強くないとお考えなのかもね」


フィリーネはため息をついた。

不敬を承知で正直に言えば、ミスランティの恨みを軽く見過ぎである。独立を奪われ、領地を削られ、果ては寒さ厳しい生活の中で拠りどころとしてきた自分達の王を王と呼べなくなった屈辱はそう簡単に消えない。

なので今は王都の法衣貴族として宮中で勤めているとはいえ、侯爵の息子を因縁とは無関係だと割り切れるわけがないのだ。


「それにしても婿入りは想定外だけどね」

「私もその点は謎です」


『先の内乱において幼い身で領地を最前線で守った勇敢令嬢と称され慕われるフィリーネを故郷から離すのは忍びない』


辺境伯から見せられた王命を伝える書面にはそのように書いてあったが、そんな取り繕いとしか思えない理由を信じるはずがない。


「お父さまも言っていたけれども、ミスランティとハドール侯爵家のしこりの瓦解、北部の大貴族同士仲良く、というのはあくまで表向きで、本当は別の目的があるのではないかしら」


王の懐刀と呼ばれるほど重用する側近を手放す理由、それすなわち·····


「ミスランティの内情を探ることでしょうか?」

「お父さまはそのようにお考えよ」


今回も内側に入ることで内情を探り、なんらかの行動をミスランティに対して行うのではないか、そう辺境伯は警戒していた。


「なんてこと!」

「そう慌てないで、決まったわけじゃないのよ。それに王の思し召しを量るのはお父さまが請け負ってくださるわ。後継ぎでもないのだから、私にできることはないわ」


フィリーネはそう伝えるとリリーに微笑みかける。今にも飛び出しそうな顔だったリリーは微笑みを見て思い留まり、代わりに笑みの中に隠れた憂いを見つけた。


「お嬢様、ひとつお聞きしたいことが」

「ん?どうしたの?」

「お嬢様はこの婚約をどうお思いですか?」


フィリーネはなんだそんなことかとでも言わんばかりに口元を手で隠して笑う。


「言ったでしょ。悪くないって」


フィリーネの返事にリリーは困ったように視線を左右させた。


「そうではないのです。お嬢様は、お嬢様自身にとってはどうなのですか?」


フィリーネはようやく意図を理解する。そして、少し瞳を閉じて考え込んでから答えた。


「ミスランティが幸せなら、それでいいの。私は領主の娘としてみんなを幸せにする義務があるし、幸せになってほしいの。そのためなら、私はなんだって受け入れるつもりよ」


それでは答えになっていないのです、と言いかけてやめる。故郷を愛する勇敢令嬢にとってはきっとそれが答えなのだ。そして貴族としても満点の回答だ。きっと何を言ったとて変わらない。


もやもやする気持ちを抱えながら、せめてもの反撃としてもう少し付け加えた。


「領民は本当にそれを望むのですか?お嬢様を大切が思う平民や貴族、雪子爵の方々・・・特にレプトン伯爵はおそらく強硬に反対なさいますよ」


フィリーネは彼らの顔を思い浮かべた。領主の娘として以上に、北部地方の過酷な冬を乗り越えてきた仲間、昔のなにもできなかった自分のことも愛してくれた大切な家族だ。


「そうでしょうね。みんな優しいもの。きっと私が犠牲になりに行くのだと心配してくれるわ・・・でも違うの。私は犠牲になるつもりなんてない。政略結婚でもなかよしの夫婦なんてこの世にごまんといるのよ」


お父さまとお母さまだってそうでしょう、とおどけてみせる。


「それにね····誰かが言ってたの。いがみ合うままいるより少し苦労しても最後にみんな打ち解け合ってなかよしになればそのほうがもっと幸せだって」


まあ、誰が言ったかわかんないんだけどね、とフィリーネは笑ってみせる。

リリーは微笑みを返しつつ沈痛な心情を隠し、姿勢を整えて礼をする。


「お嬢様のおこころ、理解いたしました。侍女としてこれからもお側でお嬢様に仕え、お守りいたします」

「ありがとう」


リリーの視線に移る純真無垢に笑うフィリーネの先にある窓からは雨上がりのかかりかけの虹が見える。まだ地平線に足場が見えたばかりの虹だ。


「あら、もう雨が上がったの。そろそろ冬ね」

「冬支度を完成させなければなりませんね」


とはいえ存外、雪はまだ遠い。案の定、初雪よりも早くセドリックはミスランティに到着することになった。

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