104話 その名はルルス


 ディスプレイに見慣れた名前が表示されるのを見て、私はいぶかしむ。


 彼女が夜の九時を過ぎて連絡してくる事なんて滅多にない。


 一瞬だけ、先週に撮影したスポーツ飲料水のCMの件で何か問題でも起きたのだろうか? と疑念がよぎる。だけれどあの撮影での自分は、監督や企業が求めるイメージを完璧以上にこなせたという自信があったので、それはないだろうと否定する。


 というと、緊急の新しい仕事でも取り付けてくれたのだろうか?

 今週はファッション雑誌の撮影がニ件だけと、けっこうフリーな週でもあったし。


 とにかく考えていても仕方がないので、着信で震えるスマートフォンを手に取った。



『シンキ。今、大丈夫かしら?』


 受話器ごしから聞こえてくる彼女の声が、いつものペースで私を呼ぶ。

 それに私はいつもの調子で答える。



「ええ、平気ですよ。徳永とくながマネージャー」


『夜分遅くに申し訳ないわね』


 少しだけバツが悪そうに、徳永マネージャーは詫びた。



「珍しいですね」


『……まぁね』


 わずかに曇ったマネージャーの声音に、やっぱり何かあるんだと感じる。

 高校一年生の時に彼女からスカウトされ、今に至るまでお世話になりっぱなしではあるけども、彼女らしくない行動に私の疑念が深まってしまう。


 最近、身近でおかしな現象が起きているから、少し神経質になっているのかもしれない。



「どうかしました? なにか、仕事で問題があったりとか……?」


 徳永さんはなるべく私の希望に沿った仕事を取り付けてくれる。私が極力やりたくない事にも、最大限の理解を示してマネジメントをしてくれた。グラビアやテレビ番組の出演オファー、芸能活動におけるチャンスを否定する私の在り方を尊重してくれている身内だ。それでも今まで、何度か衝突があった。

 居住まいを正し、私は彼女が切り出すであろう話の内容を待ちうける。



『あなたのお仕事に関しては問題なんて全くないわ。むしろ好調ね。よくやってくれてるわ、ありがと』


徳永とくながマネージャーこそ、出演交渉や宣伝活動にスケジュール管理、いつも助かってます」


『それが私のお仕事よ。気にしないで』

 

 まるで、モデルとしての私の頑張りもお仕事だから当然。それはお互い様と言わんばかりに、冷めた返事をもらう。



『次の目標は、シンキのドラマ出演。一緒にがんばるわよ』


 一見して、彼女の態度を見た他人ひとは、冷徹な仕事人というイメージを持つことが多いらしい。けれど、彼女はクールな顔の下に熱い情熱を隠しもっている。



「はい。一個一個の仕事を、しっかりと全力でこなしていきます」


『大学の方もちゃんといくのよ? 通学できるぐらいにはスケジューリングに大幅な余裕をもたしているつもりよ。ぷらすで、あなたの趣味に割ける時間もね』



 思いやりもある。だからこそ、こうやって三年もの間、良き仕事のパートナーとして組めているのだから。でも徳永さんからは常に、本当は私に仕事をもっと振りたい、という意志がひしひしと伝わってくる。


 私の事を評価し、もっと活躍させたいと思ってくれるのは凄く嬉しい。



「わかっていますよ。感謝してます」


 だけれど、今の活動を一生したい仕事かと問われれば、迷う。

 モデル上がりからの歌手デビューや芸能人デビュー、女優デビューなどはよくあるケースで、私は女優デビューが濃厚路線らしい。

 

 まだまだ、私には知らない事がたくさんある。色々なモノを既知にしていけば、やりたいことは変わるかもしれない。それこそ、クラン・クランなんてゲームと出会うまでは、ゲームに夢中になるなんて事もなかった。


『期待しているわ』


 だから今は将来、何をやりたいかなんて実は判然としていない。

 けれど、高校生からやっているモデル業には、確かなやりがいも感じている。元々、服やファッションには興味があったからというのもあるかもしれないけれど。今となっては、どんな自分を演じて、どう着こなすかを考えるのがすごく楽しかったりする。


「はい。それで、電話の用件とは何ですか?」


 そろそろ本題に入ってもいい頃かと思い、核心に触れる質問をする。



『それがね……私がシンキ以外にアイドル部門の子たちのマネージャーを兼任しているのは知ってるわね?』


「ええ、まぁ」


 双子の姉妹でユニット組んでいる子たちだ。

 それほど面識はないけれど、顔を合わせれば挨拶はするし話したりもする間柄だ。私が同じ事務所に所属する先輩でもあり、マネージャーも同じ徳永さんだからということで、彼女たちはわざわざ私に挨拶をしに来てくれた事が知り合うきっかけになった。


『彼女たちに少し問題があってね』


「問題、ですか」


 15歳になったばかりの彼女たちだけど、かなりハイレベルな『歌って踊れるアイドル』をこなしている。テレビ番組や歌番組、ラジオやイベント、ライブなどにも積極的で、芸能活動に励んでいる。今ではうちの事務所の大黒柱になったと言っても過言じゃない二人組。


 部門が違うとはいえ、私が先輩などと言える立ち場ではない。

 彼女たちの方が知名度も、その努力も何十倍も上だ。

 そんな彼女たちに、問題が生じた?


『実は、次の仕事内容で妹のルルが辞退したいって言い出したのよね』


「もう契約はしたのですか?」


『いいえ、まだよ。ただ、あの子たちの勢いを更に増すチャンスでもあるから、あまり外したくない仕事なの』


「なるほどです……」


 契約をしていないのであれば、キャンセルという扱いにはならないので事務所や彼女たちにダメージはほぼ0と言っていい。

 だけど、徳永さんからすれば今回の仕事は彼女たちにとって、けっこうなプラスになると踏んでいるのだろう。


「それで、私と何の関係が?」


 どんな仕事内容かは聞かない。

 

『シンキ、あなたが前に話していたクラン・クランっていうゲームがあったわよね』


「はい……」


『そのゲームを共同運営している〈カグヤコーポレーション〉と〈ショニーコーポレーション〉と契約が取れそうなの』


「大きな案件ですね……」


 カグヤという会社は中小企業だけど、ショニーはコンピューターエンタテイメントという分野で、日本を代表する会社の一角だ。


『それでね、くだんのVRMMOで、コラボイベントを実施する話を取りつけたのよね』


「クラルスとですか?」


 彼女たちのユニット名を出す。



『ええ、そうよ。あのゲームはユーザー数も多いし、十分な宣伝力になるんじゃないかしら』


「確かに、あのゲームは大きな宣伝媒体にはなると思います」


『でもね、何だかルルが乗り気じゃないみたいで……姉のララの方は、いつも通り元気もやる気も満ちてるんだけどね……』



 徳永とくながマネージャーの言葉に、私はぼんやりとあの二人組ユニットの事を思い返す。姉のクララと妹のルルス。

 ウチの太郎ほどではないが、なかなかに可愛らしいアイドルユニット。

 姉のクララは活発的な印象を、妹のルルスは少し人見知りをするような子達だったという印象が残っている。



『そこで、実際にクラン・クランをプレイしているシンキの出番ってわけよ』


「は、はぁ……?」


『ルルがどうして今回のコラボライブをしたくないのか、聞いて来てちょうだい。そして、ついでに説得もお願いできないかしら』


「そう、ですか……」


 クラン・クランをプレイしているだけでルルスちゃんの悩みを聞き出せる……徳永さんにしては少し安直な考えだなと感じつつも、一応は承諾をしておく。


『引き受けてくれるかしら?』


「わたしは別に構いませんが……あまり成果は期待しないでくださいよ?」


『よかった……助かるわシンキ。もちろん、説得に成功したらボーナス弾むわよ~』


「それは、ありがとうございます。でもルルスちゃんの方は、大丈夫なんですか?」


『大丈夫よ。実はあの二人ってシンキに憧れて、うちの事務所に入ったのよ』


 それは初耳だった。

 アイドルとしてそれなりの人気を確立している彼女たちが、私をそんな風に思っていてくれたのには純粋に嬉しい。



『じゃあ、さっそくだけど。クラルスのスケジュール的に、今週中で空いてる日が明日しかないのよね』


「明日ですか……急ですね」


『そうなのよ。もう契約日まで日数もないし、来週まで待てないから、こんな夜遅くの連絡になってしまったの。ごめんなさいね? で、明日なのだけどルルと会える?』


「ええ、会えますよ」


『それじゃあシンキ、お願い』


 こうして私、ふつ真世まよは、今をときめくアイドル『クラルス』の片割れ、ルルスの相談役と説得役を任された。



――――

――――




「はい、太郎の服はこれでいいわね」

「う……」


 リビングに置かれた立ち鏡の前で、姉主導のコーディネートが完了したのを眺めてみる。


 紺のワンピースをはおる。

 それだけだ。

 

 だが、しかし!



「この柄って……」


 おれは自分の腹部とスカート部分にある柄というか、絵を見て姉に抗議の顔を向ける。


「可愛いじゃないか、うさちゃん」


 そう、ウサギの丸い目がポツンと二つ。みゅいっとした口が描かれている、なんともぽわーんとしたシンプルデザインな柄なのだ。



「それよりも太郎、今日は風が強い。すこし、髪を結んでいくか」

「えぇ、めんどくさいよ……」


 俺が本格的に服装をチェンジしようと駄々をこねる前に、姉は更なる罠を仕掛けてきた。


「すぐ終わる。くるりんぱ、だ」

「くるりんぱ?」


 くる、りんぱ?

 聞き慣れない単語だ。


「すぐに終わるし、簡単だ。おそろいでいこう」

「えぇ」


「ぐだぐだ言うな、男だろう。アイス、おごってやらないわよ?」

「う、はい」


 こうして、姉は俺の背後へと回り、髪の毛をいじりだす。



「簡単で不器用な人でもやれるから。太郎、覚えておくのよ?」

「はーい……」


「まずは髪ゴムが太いと目立つから、細いのでやること」

「うい」


「サイドに髪を一房にまとめる、今回は左だ。たるむように結ぶの」

「ふぅーん。あ、首元が涼しい」


「だろう? 結んだ髪を少しゆるめて、上部分の真ん中あたりに穴を開けるイメージで指先を通していく」

「ほぉーん?」


「あとは簡単、この穴の中に毛先を入れ込み、くるっと折り返してやるだけだ」

 

 ほぉー。


「オ―ソドックスな『くるりんぱ』は真後ろをくるりんぱするけど、太郎はサイドアップの方が自分で見えるから、やりやすいだろ?」

「うん、まぁ」


 にこにこと満面の笑みで、俺の髪型の出来栄えを眺める姉。

 


「うんうん、太郎は今日も可愛いな」

「これは確かに涼しいし、いいかも!」

「だろう?」

「でも、ばっさり切りたいなぁ」


「下手に切るとおかしくなるから、今度いい美容院を紹介してやる。一緒に切りに行こう」

「ありがと、姉」


 姉がすこぶる上機嫌だ。


「ちょっと待て、太郎。すこし試したい事がある」

「え、あぁ、うん」


 そういって、一度完成した髪型を崩していく姉。


「今回は全て結ばず、うしろ髪をのこしていく」

「ふぅん?」


「それでさっきと同じように穴を開けて、毛束をくるりんぱだ」

「……」


 今回の作業は後ろから見ないと詳しくはわからないが、先程とやっていることはほぼ同じだろう。


「ハーフアップのくるりんぱのできあがり」

「……姉、後ろ髪が残ってるから、さっきより暑いよ」


「ううん……こっちの方が可愛い……が、まとまりが、ううん……」

「姉……」


 いじられにいじられ、結局さいしょの『くるりんぱ』とやらに戻されるまでに30分以上かかった。



――――

――――



 こうして、姉と仲良く同じ髪型で、出かけるわけになったのだが。

 その前に、どうしても一つだけ確認しておかなければならない事があった。



「そういえば姉」


「なんだ太郎。髪型と服に関する文句は、一切受け付けないぞ」


「いや、そうじゃなくて。今から会いにいく人って姉の友達なの?」


 姉にとってどんなポジションの人物なのか少しだけ気になる。


 も、もしかして彼氏とかだろうか?

 そんな想像をすると急に緊張が込み上げてきた。家族として紹介されるわけだし、粗相が目立つような言動や行動はできない。俺の態度が姉の沽券にかかわってくる。


「友達というか、一応は後輩になるのかもしれない」

「あ、なんだ。後輩ね」


 ホッと胸をなでおろす俺だった。





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