59話 美少女カミングアウト(1)

 戦乱と驚きの連続だった『妖精の舞踏会』が終わった翌日。


 俺は早起きをして、軽い朝食(カップメン)をとり、アパート内の掃除・洗濯をしていた。

 

 夏休みに入ってから、クーラーをガンガンにかせた冷室の中、クラン・クランに没頭していた十日間。自堕落極まりない生活を送っていたツケが出ていたのだ。

 

 脱いだ服は散らかしっぱなし。食べたモノは、主にカップメンばかりだけど、その容器はビニール袋にまとめて放置しっぱなし。しかも、ところどころゴミが落ちている始末。



「うーん……まだまだ、汚れてる」


 うん。先に言い訳をさせてもらうと、この小さな身体になってから料理はしづらいし、洗濯物もやりにくかったのだ。だから、カップメンオンリーイベントは楽でよかった。着ていた衣服も、この身体になってからというもの洗わなくても別段汗臭くはならなかったので、床にそのまま放置していても気にはならなかった。

 

 それが、なぜ。夏休み中サボっていた家事に、今日は朝から必死に従事しているかと言えば。


 答えは簡単。

 あと一時間もすれば、姉が家にやってくるからだ。



「このペースなら、間に合うな……」


 姉がこの現状を見たら、俺に独り暮らしは無理と判断して、ずっとココに居座る可能性が出てくる。こんな身体になっても今まで通り、生活できると示さなければならない。


「合格点をもらえればいいんだけどな」


 クラン・クランでの姉は、程良く放任主義だったけど、俺が目の届く範囲に入るとやはり過保護になっていたと思う。

 そんな姉のことだ。俺の姿を目にしたら、自分のアパートには帰らないと言い出しそうで怖い。姉が通う大学はここから遠いので、迷惑をかけてしまうことになる。



 舞踏会の時もそうだったように、妖精さんたち随伴のおかげで、色々と注目を浴びてしまった俺に、姉が目を光らせて変な輩がアプローチをかけてくるのを防いでくれていた。

 そこにはすごく感謝をしているけど、リアルも同じような事をされるのは少し遠慮したかったりもする。



「随分と、余裕だな……」


 無理矢理に、とある思考から目を逸らしている自分に発した呟き。


「今更、何も不安になる必要なんてないんだ」


 誰に向けたでもない自分自身への言葉は、洗濯機の『ピーッピーッ!』という洗浄完了の知らせでかき消された。

 震えそうになる両手をギュッと握りしめ、洗い終わった衣類が入った洗濯物カゴを抱える。



 ベランダに出て、高くなった物干しざおに吊るされたハンガーへと手を伸ばす。しかし身長が縮んでしまった今の俺では、安全に掴めるとは言い難い結果に終わる。背伸びして届くか、届かないかといったところ。


「はぁ……」


 姉と会う前に下手な怪我でもしたら、余計に話を複雑にしてしまうだろう。俺は溜息をつき、妹のミシェルが小さい頃に使っていた台を物干しざおの真下へと引きずって、足をかける。そして、再びハンガーに手を伸ばす。



「もう、これ以上。先延ばしにはできないんだ」


 自分の決意を固め、何か大事なモノをこの手の内に納めようという気持ちで、ハンガーを手に取った。

 姉が来るまで、俺は黙々と家事をこなしていった。




――――

――――



 姉が来ても大丈夫だと確信を持てるぐらいには、小奇麗になった家の最終チェックをしていると。


『ピンポーン!』


 家政婦よろしくな俺は、来客を知らせるインターフォンの音にピクリと反応してしまう。


 そしてゆっくりとモニター付き電話に近づき、受話器を取る。

 玄関前に備え付けられたモニターが映し出したのは、紛れもなく姉の姿だった。

 キャリーバッグを右手に持った姉は、髪を無造作に左手でなでていた。ゲーム内のポニーテールな髪型とは違い、長い髪をおろした姉は清楚可憐というよりかは、清廉潔白といった風情が漂っている。

 

 ちょっとした姉の変化に、ちょっとした新鮮味を覚えた。

 

 高校時代の姉は『校則が厳しいから、長い髪を縛っているだけ。仕事上、簡単に切るわけにもいかないわ』とよくぼやいていた事を思い出した。そういってポニーテールをずっと維持してきたのだ。



 姉も大学に入って多少なりとも変わったのだろう。

 見慣れたポニーテールからストレートロングへ。


 

 そんな些細の変化を目の当たりにしただけで。

 握っていた受話器は、スルリと抜けおちていた。



『ピンポーン!』


 再び、静まり返った室内に響き渡るインターフォンの無機質な音。


 何か返事をするべきだとか、鍵を開けに行かなくてはだとか、頭ではわかっていても身体が動かない。



 俺がさっき、姉のほんの少しの変化に感想を抱いたように。姉も必ず、俺の姿を見て何かを思うはずだ。姉が俺の変化を見て、一体どんな反応をするのかが物凄く怖い。


 今まで、必死にそういった感情を抑え込んでいたフタは、容易く瓦解してしまいそうになっていた。



『太郎? いないのか?』


 インターフォン越しに声をかけてくる、画面に映る姉はいぶかしげに首をかしげた。ドアノブをひねったり、ノックした後、億劫そうにキャリーバックから何かを取り出した。


 ウチの合いカギだ。

 

 

 もう時間はない。

 姉は鍵を差し込み、その手をノブへと回している。


 

 自室に閉じこもるべきか。

 さっきまでの堅く決めた覚悟は、風が吹けば消し飛んでしまうような灯になってしまった。

 心を真っ黒に塗りつぶす不安に掻き立てられるように、一歩後ずさる。



『ガチャリ』


 扉の開く音がこだます。


 ソレは小さな音のはずなのに、まるで洞窟内で反響しているかのような錯覚に陥る程、俺の耳にはやけに大きく響いてきた。


「ただいまっと」


 玄関から聞こえる姉の声を背中越しに聞きながら、俺はひっそりと自室へと入りドアを閉じる。



「ふぅ……」


 ドアに寄りかかり、深く息を吐く。

 変な汗が尋常じゃない程に出ている。そのくせ、背中に感じるドアの感触は冷え切っていて、それは妙な不快感を味あわせてくる。


 リビングでガサゴソと何か姉がいじる音を耳にしながら、俺は目をつむり、これまでの姉の行動や言動を反芻していく。


 姉はいつでも俺をかばってくれた。

 姉はきっと、俺が何かを抱えて悩んでいるのを初めてクラン・クラン内で一緒にプレイしたその日から勘付いていたのだと思う。あんな、小学校の頃にされていた『いい子いい子』なんかをしてきたのが、いい例だ。


 いつも、凛としていて、少し怖くて、でもすごく温かい姉。

 そんな姉が、ゲームの中ではなく、すぐ傍から、扉一枚を隔てた場所にいるんだ。向き合わなくてはいけないはずなのだ。



 大丈夫。姉なら大丈夫なはずだ。


 俺は自分に何度も言い聞かせた言葉を胸のうちで暗唱し、グッと下腹に力を入れる。更に気合いを入れるために、両頬をパンッと手で叩いた。


 その音に反応したのか、ドアの向こう、リビングから声がかかった。



「太郎? いるの? 寝ていたのか?」


 姉の問い掛けに、俺は唾をゴクリと飲みこんだ。

 これ以上ためらっていると変な行動をしかねないと踏んだ俺は、思い切ってくるりとドアへと振り返り、ドアノブを勢い良く回し、押した。



 姉は膝立ちで、キャリーバッグから着替えやら何やらを取り出しているところだった。俺の部屋のドアが開いた事で当然、視線は手元から俺へと移動した。



 最初は、多分。俺の脚、つま先部分を目にしたと思う。

 そして膝、腰、手、胸と腕、首へと。下からゆっくりと上に向かって。少なくとも俺にとっては、永遠とも言える程の長い時間をかけて俺を眺めていたような気がした。

 最後には俺の顔へと、姉の黒い瞳は向けられた。



「た、」


 姉は、口を一度開きかけたが、すぐに真一文字にきつく結んだ。

 そして、じっくりと銀髪美少女である俺を再度、観察し始める。


 その表情には一抹の恐怖が見てとれた。なぜ、姉がそんな感情を抱いているのか、その答えにはすぐに至った。同時に、悲しくもなった。

 

 久々に帰って来た実家に見知らぬ少女が勝手に家の中にいて、しかも弟の部屋から出てきたら不審がるのが当たり前だ。姉だって一応は女性だし、怖がるのが妥当だというもの。

 しかも、その姿がゲーム内で日常的に目にしていた弟のキャラと酷似していたら、恐怖の念がき出てしまうだろう。



 わかっている。

 わかってはいるのだけれど、押し寄せてくる感情の渦がどうしても抑えきれず、姉に何の説明もできていないのに、目からは情けなくも塩水が溢れ出ようとしていた。



「た、太郎……?」


 だが、不意に姉から発せられた言葉のおかげで、俺はギリギリのところで踏ん張れた。



「えっと……ゲームの太郎が今ここにいて、つまり、そこにいるのは太郎だ」


 そして、ぶつぶつと自問自答を繰り広げ、ジーッと俺を穴があくほど見つめてくる。

 そして、姉は立ちあがりこちらへと一歩一歩近づいてきた。



「一つ、太郎に質問がある」


 ひざを突いた姉は、幼い子供を安心させるように目線の高さを合わせ、柔らかい口調で問い掛けてくる。


 

 俺は、姉が質問をする前に『俺』だと判断してくれた事がすごく嬉しくて、両目から、両鼻から液体が出てしまうのを止められなかった。


 こんなにアッサリと看破してきた姉には、言葉では言い尽くせない程の感謝の念が噴き出てくる。そして、こんな無様に音もなく泣いたのは、宮ノ内茜さんにウン白をかました時以来だ。つまり、たった十日とそこらで二回も号泣してしまった。それでも今回は惨めさとか切なさとか悔しさではなく、純粋に嬉しいという気持ちから来た塩水垂れ流しなので、俺は気にせずに姉を見つめ返した。



「な、に……ぁ、あね


 そして、やっと絞り出した声は震えに震えていた。

 だけど、しっかり姉の耳には届いたはずだと思う。


「私の記憶にある太郎は、身長がもうちょっと高くてだな……いや、変な事を言っているかもしれないが気にしないでくれ」


 奥歯に何か挟まったかのように、歯切れの悪い言い回し。

 姉も必死に、混乱しないように考えを巡らしているのだろう。


 自分がもうどうしようもないぐらい、不甲斐ない姿をさらけ出しているからなのか、姉の姿を逆に冷静に見ることができるという不思議。我が姉ながら、パニック状態にもならずによくもまぁこんなに冷静に対応できるものだと、感心してしまう。

 


「それで、だな……太郎はもちろん可愛いのだが、その、なんだ。私の記憶によれば、太郎は男子だったはずなんだが、それは記憶違いというものだろうか?」



 やっぱり、どこか混乱しているような台詞を吐いた姉だった。



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